誤作動起こして知恵熱わんこ
ベッドに倒れ込むようにして横になった寛茂は悶々としていた。いや、「混乱」という表現の方が正しいかもしれない。その原因は同居している他部署の上役であった。
最近の千誠がまぶしく見える。今日の彼も一段と輝いていた。そんな彼が寛茂の口元についた汚れを指で拭い、ぺろりと舐めてしまったのだ。あまりにも自然な流れすぎて鈍い反応しか返せなかったが、シャワーを浴びて胃袋以外にも血液が行くようになるにつれ、その行為がいかに刺激の強いものだったかを思い知らされた。
始めに血液が回り始めたのは脳だった。それはまだ良い。シャワーを浴びれば温められた血液が巡って脳味噌がはっきりとする。だが、それはある意味では良くなかった。
はっきりした頭で先ほどの映像を脳内で再生できるようになってしまった。思い出した映像は寛茂の中で美化されてしまったのか、はたまたそのままのものだったのか。とにかく刺激が強すぎた。
天女もかくやというたおやかな微笑みを浮かべたまま、寛茂が常にすばらしくおいしいと感じる料理を生み出す指が動く。その指は寛茂の唇のすぐ下、顎の近くをすうっとなぞって去っていった。
そのまま汚れた指が微笑みを形作る口からちらりと覗く舌に絡み取られ――……。
「俺が誤作動してるぅぅぅ……っ」
ずくりと慣れた痛みに眉尻が下がる。思わずシャワーを水に変える。すぐに冷たくなったシャワーを浴びてもすぐには熱が収まりそうにない。
落ち着かせようと頭だけではなく誤作動を起こしたそれにもしっかりと水をかけ、同時に別の事を考えようと努力した。
「そうだ。今日食べた棒々鶏はおいしか……駄目だ! えっと、この前食べた特製のモンブラン――……栗の下拵えまでしてくれてて、栗……栗原さん……ってこれも駄目だろ!?」
ぶつぶつとシャワーの水音にかき消されてしまうくらいの小声で寛茂が騒ぐ。
おいしかった食べ物を思い浮かべて気を紛らわせようとすればするほど千誠を思い出す。そして連想ゲームのように先ほどの映像がフラッシュバックする。
関係ないスポーツジムでのトレーニングを考えようとすると、今度は鍛えた体を見せようと思っていた事を思い出し、そしてまたあの映像が頭に浮かんでくる。
「くっそぉ……っ」
何をしても無駄だと諦めた寛茂は、迷子になった子供のような情けない表情を浮かべ、やり過ごす事を諦めて手を動かすのだった。
水を浴びながらの行為はひどく寛茂の体を冷やしたが、寛茂の動揺は落ち着きはしなかった。体の奥にくすぶるような熱がこもったままである。冷えた体表に閉じこめられた熱が体内で暴れているようにすら思えた。
どうしちゃったんだろ、俺。寛茂は心の中で同じ言葉ばかりを繰り返していた。体が冷えすぎたせいか、普段はぬるく感じる寝具が心地よい。ベッドに転がった寛茂はともすれば再び自身へと伸びそうになるのを、両の手を組む事で防ぐ。だからと言ってこの不具合は収まる気配がない。
そうだ、筋肉。筋トレをしよう! 寛茂はもじもじとすり合わせていた太股に力を入れ、腹筋を使って身を起こす。手始めに軽くストレッチをし始める。
体を動かしているとようやく気が紛れてきたのか、動く事によって血液が分散されるようになってきたのか、誤作動を続けていたものが落ち着いてきた。
汗をかかない程度に、軽い運動をしよう。そう決めた寛茂はプランクを始めた。じわじわと筋肉に付加がかかっていくのが分かる。腰が反らないように腹に力を入れる。
体が動かないと思考が動く。少しだけ千誠の顔がちらついた。今後も今日みたいなスキンシップがあるのだろうか。好奇心とも淡い期待とも言い切れない気持ちが寛茂を満たす。
もう少し鍛えたら、千誠に育てた筋肉を披露しようと考えていたが、見せたらどんな反応を示すのだろうか。
千誠が「腹筋、きれいに割れているね」とか言いながら触ってくるかもしれない。筋肉の割れ具合を確認するように指先で撫でてくるかもしれない。
そんな事をされたら寛茂は一体どうなってしまうのだろうか。千誠のスキンシップに耐えられるだろうか。プランクをしている最中だというのに、あらぬところまで震えている。
鍛えようと思っていないところも頑張ってしまっているのに気が付き、寛茂はまた眉尻を下げた。
不自然な盛り上がり具合のせいで、それが自重ではないのは明らかである。正しい姿勢に直り、視線をはずす。普段ならば使っている筋肉を意識するのだが、別の場所が気になって仕方がない。
だが、これ以上そこに手を伸ばす気もない。それをしてしまったら自分の何かが壊れてしまう気がした。
「俺、どうしちゃったんだよぉ……」
五分間のプランクから始まった寛茂のゆるい筋トレは煩悩まみれに終わるのだった。
「ヒロ、大丈夫か?」
「……ぁい」
千誠の気遣わしげな声にほとんど反射で返事をする寛茂の声は掠れていた。誤作動を起こした分身を落ち着かせる為に水をかぶって筋トレをしたのだが、どうやらそれがいけなかったらしい。寛茂は見事、体調を崩していた。
こんな調子では今日の出勤は見合わせた方が良いだろう。寛茂は溜息を吐く。寛茂は申し訳程度に千誠が用意してくれた粥を食べてから再びベッドへと沈んでいた。
「会社には俺が話を通しておくから心配しなくて良い。とにかく安静にしていなさい」
「――りました」
ベッドに横になったまま掠れ声を出す寛茂は、昨晩とは打って変わってしおらしい。胃腸が冷えたのか腹は痛いし、頭はガンガンしている。頭の方は知恵熱だろうか。
珍しく考え込んでいた昨晩の議題は、褒められた内容ではなかった。それはそれである種頭の痛い悩みである。
吐く溜息は熱く、熱い息が通り過ぎる毎にひりついた喉に痛みを覚えさせる。つらい。寛茂は千誠が寄こす視線に気が付く事なくベッドに潜り込んだのだった。
2024.2.20 一部加筆修正




