祥順の提案とお預け犬
最近は穏やかな日常だ。仕事もそこまで忙しくなく、祥順との関係も良好。少し驚いたのは、紗彩がほんのりと明寧が恋人だと祥順にちらつかせているらしい事。
本人がそうしたいなら良い。が、仄めかしているだけの事を当人以外から「それは○○だ」と言うのはだめだ。長年のつきあいから、紗彩が祥順に秘密にしていたいという感じではないのは分かっているが、それとこれは別だ。
それに紗彩の事だ。一番祥順が驚くであろうタイミングを狙っているだけかもしれない。彼女の楽しみを奪うような無粋なまねはできるだけしたくない。
だから祥順に聞かれたら「そうだけど?」とさらっと言うくらいにするべきだろう。
そんな中、浩和がこっそりと紗彩の知人からアレコレを仕入れていると、祥順から驚きの提案があった。
「一緒に住もうか」
最初、何を言われたのか分からなかった。
「週末とか結構一緒にいるし、良い機会だから一緒に住まないか?
もちろん、ここはちょっと手狭だから新しい場所で」
恋人になって数週間しか経ってないのに、同居だと? 硬派なイメージの祥順の発言とは思えなかった。が。祥順を見れば本気だと分かる。珍しく浮かれている。
背後にお花畑が見えるようだ。黒に近い焦げ茶色の瞳孔が普段よりも大きく見えるし、言葉尻も弾んでいた。どうしたものか。
とりあえず、可愛い。罪になりそうなくらいには可愛い。浩和は手にしていたグラスを傾け、揺らめく氷を目で追いかける事で気を紛らわせた。
夕食は鮭のムニエルに酸味の強い辛口白ワイン。祥順が作った鮭のムニエルは、程よく焼き目がついていて美味しかった。今は適当に酒をちびちびと飲みながらまったりしている所だった。
「悪い提案ではないと思うんだが、どうだろうか?
職場が同じなのだから、会社から近いこの家の周辺とかでも良いと思うし、二人で折半ならここら辺でもそこそこの広さが借りられる」
浩和の沈黙をどう取ったのか、祥順がプレゼンを開始した。といっても元々畑の違う人間だ。プレゼンとして考えるならば寛茂の方がよほど良い働きをする。
それに、合間に口にするのは水ではなくアルコール。祥順はジンバックを飲んでいる。
「ええと、それに二人で暮らすと洗濯とかがしやすくなるし、家事を当番制にすればずっと楽な生活になると思う」
だめだ、ひたすら可愛い。
「そう。それに俺がもれなく付いてきます!」
「ふはっ」
ぐっと拳を握り、突然の敬語で力強く言い放つ祥順を見て、浩和はついに耐えられなくなった。液体を口にしていなくて本当に良かった。口に含んでいたならば、今頃大惨事だっただろう。
「何で笑ってるんだ」
「くく……もう、カジくんが可愛くてさぁ……」
「どうしてそうなる。話題と全く関係ないじゃないか」
納得がいかないのだろうが、浩和がすぐに頷かなかったのを勝手に解釈して独り相撲を始めた祥順が悪い。メリットを言っているつもりなのにメリットとは言い切れないのもおかしい。一緒に住むのに祥順が付いてこなかったら誰との同居かも分からない。
ひとまず誤解を解く所から。
「嫌だ、なんて一言も言ってないのに勝手に喋ってるから」
「はあ?」
「大歓迎だよ。一緒に住むの」
のどを潤すのには向いていないが、アルコールで喉を湿らせる。
「だって、もっと色んなカジくんが見れるかもしれない。楽しみに決まってるだろ」
「そ、そうか……」
親友のテンションと恋人のテンションがうまく切り替えできず、祥順は口をすぼめるようにして、小さく納得の意を示した。そっちから恋人として攻めてきたくせに、照れるのは何なんだ。
むしろそんな態度の祥順を見ている方がむず痒い気持ちになる。
もう一口アルコールを喉に流して、そのむず痒い気持ちを宥める。こう、恥ずかしい気持ちになるんだよな……ウブっていうか、なんて言うか。
斜め上の方に思考が行こうとしているのを引き止めるかのように祥順が話しかけてきた。
「所で本当にここら辺に住む気はあるのか?」
「ぜんぜん構わないけど、何で?」
同居に否定的じゃないと理解して復活したらしい祥順は、またそわそわとし始めた。まだ、何かあるのか。浩和も目の前の祥順に意識が向かう。
「いくつか候補の物件がある」
「は?」
いやいや、気が早いとかそういう問題じゃない。なんだその手際の良さは。
「休みの日、暇だったからちょっと調べただけだ。
別に住む家は俺が見繕った候補じゃなくたって良い」
浩和の反応が全く通じていない祥順は、ざっくりとそう言いながら紙の束を持ってきた。結構な量だ。
「それはまあ、そうなんだろうけど。とりあえず見せて」
単純に、こういう物件があるのだという事を示す為だろう。浩和の予想通り、ルームシェア可、2DK以上、祥順の家の近く、という条件に合うものを適当にピックアップしたものだった。
間取りも面積も、ユニットバスかどうか、結構バラバラだ。キッチンの形も壁付けのものも含めて色々ある。そこに祥順の好みらしきものは見つけられそうにない。
個人的には今自分が住んでいるのと同じ対面式の方が作業スペースも広がって好きだが、面積をとってしまう。狭く感じる間取りになるか、金額が上がるかするだろう。
祥順の家と同じような壁付けだと、料理はやりにくくなるものの密着して一緒に料理ができるから捨てがたい。スペースもとらないから同じ広さの部屋なら対面式よりも広く感じるだろう。悩みどころだ。
恋人になったんだから寝室は同じでも良いかもしれないが、もしかしたら一人になりたい時があるだろう。それに距離感は大切だ。最初は別々の部屋で寝た方がバランスは良いかもしれない。
というよりも、週に一回の同衾は何とかなっても毎日になったら自分の理性がどうなるのか分からない。不安だ。
「色々あるだろう? どうだ」
「よくこんなに調べたな……」
「窓口は一回しか行ってないけど、家で調べてたし、一緒に住むなら二人で納得できる場所が良いじゃないか」
当然の事のように言う祥順が愛しかった。資料から顔を上げると優しく微笑んでいる祥順がいて、フィルターがかかったようにきらきらと輝いて見えた。たまにむらっとくる事はあるが、初めて積極的に「抱きたい」と思ってしまった――ってだめだろう。
祥順は家をご所望だ。ベッドじゃない。もしかしたら遠回しにベッドなのかもしれないが、まだベッドじゃない。
「一緒に住んで、もっと恋人らしくなろうな」
「そうだね」
そうだ。一緒に住んだらベッドだ。順番を間違えたらいけない。浩和はお預けを食らった犬のようにひたすら言い聞かせるのだった。




