新しくないようで新しい日常
告白をしたからといって、その上キスをしたからといって、大きく何かが変わるという事はなかった。浩和はそのまま祥順の家に泊まったし、更に言えば再び同じベッドで眠った。
ここ暫くぐだぐだと悩んでいた自分は何だったのかと拍子抜けしてしまうくらいだ。祥順が前向きに浩和を見てくれていて、それも意外な事に、祥順が浩和に対して独占欲を抱いていたというのだ。
何だか不思議な気分だった。
何事もなく一夜を過ごした浩和はいつものように朝食を作っていた。ちょっとだけ特別な感じだと良い。そう思った浩和は何でもない時に作って以来、作らなかったエッグベネディクトを朝食として用意する事にした。
今回はスモークサーモンを使う。あの日作ったものは、確かベーコンだったかと思うが、本当はスモークサーモンが使いたかった。ただ、最近は祥順の冷蔵庫でたまに見かけるようになった。たいていはベーコンが置いてあるが。
いつの間にか祥順の冷蔵庫どころかかなりの生活事情を把握してしまった浩和は、端から見たらちょっと気持ち悪く映るだろう。それを、祥順は良しとしているのがありがたい。むしろ浩和に中身のアドバイスを聞いてくるし、浩和の使いやすいようにカスタマイズしているような気すらする。
もしかして、そういう所に祥順の独占欲が現れているのか? 浩和の居心地が良いようにして、祥順の側から離れないように?
まさかな、と小さく鼻で笑い飛ばした。そんないじらしい作戦、気が付かないに決まっている。しかも、俺に対してめちゃくちゃ効果を発揮している。
ほとんどの週末、祥順の家に泊まっているのが実情だ。気が付いたら浩和専用のものも増えている。考えれば考えるほど、浩和が考えている以上に祥順が自分の事を中心に行動しているし、その逆も然りだと気が付かされる。
「あっ、やべ!」
するっと落とそうとしていた卵がぼちゃりと鍋の中に沈む。絶対に黄身が偏った。集中できていない脳内のように、黄身を完全に包み込むはずの白身がふわふわと溶き卵のように漂っている。これは自分用だな、と溜息を吐いたのだった。
「前々から気になってはいたんだけど」
「うん?」
何とか様になったエッグベネディクトを提供し、まったりしていると急に祥順が前置きした。昨日の今日だ。一体何を言われるのだろうかと心持ち身構えた。
「君って、香水使い分けてる?」
「ああ……それか」
全然昨夜とは関係ない話題だった。確かに浩和は数種類の香水を使っている。それも、組み合わせて。香水メーカーからは邪道だと責められるだろうが、浩和としてはより自分好みになるようにカスタマイズしているつもりだ。
「どの香りも似合ってるし、良い匂いだからいつか聞こうと思ってたんだ」
よく持ち歩くものは匂いが混ざってしまうからなるべく香水の匂いが移らないような工夫をしたり、消臭グッズを使ったりと面倒な所もあるが、自分のテンションを保つ為だ。浩和はそういう所で手を抜きたくなかった。
鞄から小分けにして持ち歩いているブレンド香水を取り出して祥順に渡す。
「昨日から使ってるのはこれ」
祥順は香水を使う事はないのだろう。それは普段の生活から分かる。恐る恐るといった手つきでキャップをとり、すんすんと香りを嗅いだ。
「爽やかだな。何てブランド?」
「浩和ブレンド」
「え?」
不思議そうに瞬きする祥順に笑いかけながら、訳を説明する。
「市販の香水を混ぜてるから」
「それって普通の使い方?」
「違うと思うけど。因みにこれはブルガリとカルバンクラインの香水を混ぜた奴。プールオムエクストレームをベースにしてる」
単品で使えば良いのに、もったいない。と、よく紗彩に怒られていた。否定はしない。単品で使う事だってある。ただ、そうしない時が多いだけだ。
「もったいないって言えばいいのか、それとも豪華だって言えばいいのか。
ちょっと俺には縁遠いな。良い香りだって事しか分かんないし」
祥順はそう言いながらも香りを楽しんでいる。嗅ぎすぎで鼻がバカになりそうだが、どうやら気に入ったらしい。
「それ気に入ったの?」
「え? あ、うん」
ぱっと顔を上げて即答した祥順は小動物みたいで可愛かった。
「あげるよ」
「ありがとう」
どうせ家に帰れば作れるし。そう続けようとしたら反応が早かった。そんなに気に入ったのか。
浩和は祥順が自分と同じ香りを身に纏うのを想像した。祥順は元々体臭が薄いから、きっとこの香水そのもののような香りを立たせるだろう。
甘すぎない、シトラスの雰囲気を感じさせる香りはきっと祥順を華やかに見せるスパイスになる。
「今付けたら、君と同じ香りになるのか」
瓶を見つめながら小さく微笑む祥順を抱きしめたい衝動に駆られた。可愛すぎる。
「知識としては分かるんだが、結局使いこなした事がないからな……
やはりこれは手首が良いのか?」
浩和が衝動に流されて動くか動かないか、といった瞬間に祥順が顔を上げる。まっすぐに見つめられて一瞬笑顔が固まったものの、何とか持ち直す。
「俺は手首に軽く付けてから、その手首を首に押しつけてるよ」
そう言いながらワンプッシュする仕草をして、実際にどうやっているのかをジェスチャーで伝えた。とんとんと手首になじませ、それから首の方でも同じようになじませるという具合だ。
「でも、普段使わない人が突然香りが強いと気になるだろうから、胴体の方が良いかもな」
早速付けようとしていた手を取め、祥順が変な顔をした。
「香水って腹に吹き付けたりするのか」
「するよ」
今度はシャツを軽くめくって両腹部にワンプッシュするジェスチャーを見せる。
「あ、ちゃんと噴射口は距離とって」
「うん」
至近距離で付けようとしたのを慌てて阻止した。祥順は軽くめくっていたシャツを思いきりめくりあげる。柔らかそうな腹部が目に入った。うっすらと筋肉の筋が見える。そう言えば、去年の年末に浩和の筋肉をひたすら触りまくって羨ましがっていた。
目が覚めたらそんな事など、けろっと忘れてしまったのか話題にすら上がってこなかったが。ふと、筋肉騒ぎの翌日の朝がエッグベネディクトだったと思い出す。
変に重なるなぁ、と不思議な縁を感じながら白っぽい肌を見つめた。
「香水の付け方変だったか?」
「あ、いや大丈夫。細いなと思っただけで」
肌に釘付けになった視線と思考のせいか、浩和にしては珍しく失言だった。




