紗彩のお説教
「あなたってそんなに奥手だったっけ?」
紗彩に言われて頭を落としたのは浩和だった。今日はややカジュアルな装いの紗彩は祥順と生活していた時の部屋着を彷彿とさせる。懐かしい気持ちだけが湧き上がってくるあたり、やはり紗彩の事は自分の中で完全に過去のものになったのだろう。
「カジくんが突然積極的になったり、逆に俺が積極的になったら引かれたり、うまくいかないっていうか」
「ただお互いに逃げてるだけじゃない」
彼女の言っている事はもっともかもしれないが、浩和には全くと言っていいほどに自信がなかった。親友として親しい自信はあるが、恋愛対象として見られているかと聞かれたら、それは違うと思う。
男の友情は、時にちょっと行きすぎるところがある。祥順のあれも、それと同じなのではないかと浩和は考えていた。
男の性というやつだ。意図せずとも競争じみた状態になっていくのは、闘争本能がさせるものだろう。片方が盛り上がればそのテンションにつられて盛り上がってしまう。
そう、恐らく祥順のあれは浩和が祥順に対して滲み出してしまっているであろう感情が原因なのだ。
「ずっと追いかけっこしてたって、終わりは来ないよ?」
「終わりって……」
「結論が出ないって事」
確かに。その通りだ。ずっと、このままでは何も解決しない。友人を続けていくにしても、恋人になるにしても、このままだと追いかけっこはどちらかが転ぶまで続く事になる。
どちらかが、終わらせるしかない。
「はぁ……私の時とは全然違うのね。なんだか妬けちゃう。
ハンサムなあの人はどこに行ったのかなー」
からかう口調とは裏腹に、紗彩の顔は穏やかで嬉しそうだった。心の底から、浩和の幸せを願っているのだろう。
紗彩の幸せを浩和が祈っているのと同じように。
「私の時より本気なんだと思うよ。
カジくんがあなたの事を大切にしてくれているように、あなたもカジくんの事を大切にしてるのが分かるもん」
「そうか」
浩和が思っているよりも、紗彩は祥順と連絡を取り合っているのかもしれない。もしかしたら、浩和よりも紗彩の方が祥順の事を理解していたりするかもしれない。
自分の方が物理的にも近いはずなのに悔しい。
「あ、私の時がそうじゃなかったって言ってるわけじゃないよ!」
浩和の眉間に皺が寄ったのに気が付いた紗彩が慌てて付け足した。全然方向違いだったが、訂正はしなかった。
紗彩と祥順の仲にヤキモチを妬くほどくだらない事はない。紗彩はパートナーである明寧との仲は良好だと言うし、そんな彼女が祥順と何かが起こる可能性は皆無に等しい。
それを妬くだなんてどうかしている。だからこそ、紗彩は焼き餅だという選択肢を抜かしたはずだ。あえて恥ずかしい自分の嫉妬を表に出す事はない。
そんな風に考えていた浩和を紗彩が見抜いた。
「あー……分かった。浩和ってば、妬いたんだ」
「おい」
「早くカジくんに白状してしまえ」
表情に出ていたのだろうか。もう誤魔化したって無駄だと悟り、思いきり顔をしかめた浩和を見て紗彩が笑った。
「そういう表情、良いと思う。
カジくんからちゃんとした感情を聞いた事はないけど大丈夫。彼なら大丈夫。私が保証する」
あまりにも自信満々の紗彩に、浩和は不快だった気分も忘れた。
「カジくんは私が明寧とつきあっている事知らないからそういう感覚がないかもしれないけど、でも彼から話を聞いている限りでは脈ありだよ」
「俺の感情に引きずられてるだけだと思うけどな」
紗彩の言葉は限定的なやり取りでの感想だ。それに男特有の感覚など理解してはいないだろう。浩和はそう思って否定的な言葉を続けた。
「んもー!」
と、小さく叫んだかと思えば、頬を膨らませて紗彩はシナモンたっぷりのカフェモカを飲んだ。コロコロと変わる態度が可愛らしい。
「もうね、あなたたちは友達以上恋人未満なわけよ。後は進むだけだって」
「ええー」
「何で本当、そんなに奥手になっちゃったのー?」
そんな事言われても、分かるかってんだ。浩和は言葉には出さずに心の中で反論した。
「さりげなーく、ぐいぐい行くタイプだったのに」
「何だそれ」
浩和にそんな自覚はなかった。紗彩の時はどうだったかなんて、もう覚えていない。時が経ったのと、既に過去の話だからであって、紗彩との事がどうでも良いからではない。
冷めかけたコーヒーを流し込み、紗彩との時を思いだそうとした。確かに、なんだかんだ自然な理由をつけて出かけたりしていた気がする。
だが、どんなきっかけで恋人になったのかはやはり思い出せなかった。
「俺たち恋人みたいだねー、なっちゃおっか? って言われたわよ。
その後は今日は記念日だね。一緒に住んじゃおっかって同棲する事になった」
「軽いな」
そんなに軽い感じで言った記憶はなかったが、言われてみるとそんなノリに近いものがあったかもしれない。
紗彩はカフェモカをマドラーでかき混ぜながら笑う。
「さらっと言われたから、それが当然かのように私も即答しちゃった」
当時の自分は緊張などしなかったのだろうかと、浩和は自問したが、緊張はしたのだろうが表に出さなかったのだと思い当たる。感情のコントロールは上手い方だ。それのしすぎで紗彩が離れていってしまったのだが。
「居心地は良かったのよ。あなたとの生活は後悔してないし」
「ああ」
「――でも、明寧に出会っちゃった」
「もう気にしてないよ」
目を閉じて小さく口元で笑った彼女は、浩和の知っている紗彩ではなかった。
「さーや」
「何だって、進んでチャレンジしてたじゃない。私が好きだった浩和くんはそうだった。
こんな、ぐだぐだした男じゃなかったわ」
「……」
目を開き、こちらを見つめてきた彼女は別人だった。そこに明寧の片鱗を見せられる。
「今でも男の人の中では一番好きよ。
だから前に進んで欲しいの」
紗彩の真っ直ぐな言葉に返せるものが見つからず、浩和は苦笑するしかなかった。
紗彩は浩和を見据えたまま、厳しい言葉を吐いた。
「中途半端に想いを漏らすなら、カジくんから離れて。
それがお互いの為だわ」
「……」
「会社の様子を聞く限り、フレンドシップにしては行き過ぎていてバランスが悪いし、気持ち悪い」
紗彩の言う事はもっともだった。確かに、ただの親友だと言うくせにやってる行動は恋人に対するそれだ。
多分、それは祥順も感じ始めているだろう。この前初めて祥順が二度寝を誘ってきた日の後、祥順が気まずそうにしていたのに浩和は気がついていた。
「いっそ、お前が好きだからこういう態度をとってしまうんだって言った方が良いわ」
「ごもっともで」
「知らないでされると気持ち悪いだけだけど、知っていれば嫌なら嫌って言えるし、嬉しいならそのまま受けてくれるはず」
紗彩の言葉にぐうの音も出ない。
「今のカジくんは、嫌じゃないけど何でそんな態度でこられるのか分からないから困惑しているって感じだから、このままあなたのプッシュが過激になっていけば好感度下がるわよ」
紗彩の容赦ない言葉に、浩和はひたすら頷くしかなかった。
2021.8.12 誤字修正
2025.10.1 誤字修正




