成長が楽しみな男
浩和のせいで変な雰囲気になった二人であったが、さすがは年の功、祥順の方が早く自分を取り戻した。
「今度、俺の方がそういうのに気が付いたらお返ししてあげますからね」
「ええっ」
「嫌なんですか?」
いたずらっ子のように、小さく口角を上げて言う。ほんの少し前まで、こう……警戒中の猫のような態度で睨んできた男とは思えない。イエネコがいつの間にかオオヤマネコになってしまったかのような変化だ。
「嫌じゃない」
「本当に?」
同じ事をやり返されるのは平気ではいられなくなるかもしれないが、嫌ではなかった。むしろ、そういうのはわくわくする。
「ああ」
「じゃあ、また今度ですね」
さらっとそう言って、祥順は視線を浩和から外した。警戒を解くと視線が外れるのは猫そっくりだ。きらりと輝く瞳はまつげが邪魔して見えにくい。
「そう言えば、本人は元気にしていますか?」
「え、ああ、大丈夫みたいだよ」
別の事に気を取られている間に問いかけられ、どぎまぎしながらも答える。寛茂はあの後作成した資料を見せにやってきていたが、元気そうだった。
二日酔いしているようにも見えなかったし、何だか浮ついているようにも見えた。
きっと千誠に報告したら何か言われたのだろう。
「むしろ嬉しそうに見えたくらいだ」
「栗原さんに相手してもらえるのが嬉しいのかもしれませんね」
かまってもらえるのが嬉しくて尻尾を振っている犬みたいだな、と思ったがパーティションに陰が入ったのに気が付いて止めた。誰かがいる。
「何か用ですか?」
「俺です俺。資料を直したので確認してもらおうかと思ったんですが……休憩中みたいだったんで出直そうかと」
ひょっこりと顔だけ出してきたのは寛茂だった。噂をすれば、という奴か。
「じゃあ、俺はこれで失礼します」
「うん。ごめんね」
さっと立ち上がった祥順が会釈をしてミーティングスペースから出て行く。入れ替わるようにして寛茂が入ってきて書類を見せてきた。ぱらりとめくり、ああこれはもう一度修正するしかないなと息をそっと吐いた。
犬のような男、寛茂はどうにも決められた型に収まるのが苦手らしい。祥順が出て行って、代わりに寛茂が着席してから、ずっと修正作業をしている。
「違う、そうじゃない」
「ええー……じゃあ、こうですか」
「いや、この場合は棒グラフにすると推移が分かりにくいから折れ線グラフに変えるんだよ」
グラフの使い分けを説明する事にした。文章は格段に良くなっていたが、図表の使い方がへたくそだった。今は進んでいる企画が順調かどうか、企画終了までに追加で何をするべきかの提案ミーティング用の資料を作っている。
通常は企画中のコントロールをしない方だが、今回は別だ。寛茂と浩和一緒にやっているこの企画は社内向けのものだからだ。参加している人間はとことん突き詰めて頑張ってくれているが、参加者の割合に伸び悩んでいるのが現状だった。
それを、どのようにして増加させるか打ち合わせる必要があった。
過去の社内企画と比較し、参加者の比率が伸び悩んでいる事とその割には企画のお陰で売り上げが伸びている事を提示する。それから参加者を増やす為には何をしていくべきなのか提案する。
この企画に参加する事でどんなメリットがあるのか、またそれが会社にとってどのような利益になるのか、それを改めて認識して貰おうという意図もある。
結局の所、どの社員だってプラスアルファの企画に参加するとしたら、何かご褒美が欲しい。普段より頑張っているのに、報酬が変わらないのではやる気半減といった所だろう。
たとえば「結果如何によってはボーナスの評価に加点する」とか「昇進の評価に入れる」とか言われても、基準が曖昧すぎていまいち魅力に欠ける。
最初から手を打っておけば良かったのだが、上のゴーサインが降りなかったのだ。
そこを「上位者には次に記載される基準によってそれぞれ評価に加える事」と具体的かつ明瞭に示すように変えると、今までは「どう評価されたか分からない」だったのが本人にも分かるようになる。
普段評価してもらえないと不満のある人間も、これならば前向きに検討してくれるはずだ。今回は上が認めてくれるまで粘るつもりだし、今までの事を比較しながらしっかりと説明すれば何とかなる気がしている。
張りぼてかもしれない人参をぶら下げているよりも、確実に本物の人参をぶら下げていた方が誰だって走るだろう。強制参加にしないのは、参加する余裕のない人間や、他の企画を頑張っている最中の人間が少なからずとも存在するからだ。こちらの事情だが、中途半端に参加されると実績が下がってしまうから、というのもある。
余っている人間をどれくらいこの企画に参加させ、会社の売り上げを伸ばすか。それは寛茂のプレゼンにかかっている。寛茂がメインで浩和がサポート役というポジションを変える気はない。これは寛茂が発案した企画で、浩和はそれを成功させる為にいる。
寛茂は努力家だ。何度も注意されてやり直しや修正を繰り返していてもめげずにやっている。浩和はこの企画を、より完璧な形で成功させてやりたかった。
この気持ちはサポートに入った時から変わっていない。
グラフの使い分けを説明し終わり、神妙な顔をしている寛茂に笑みを向ける。彼の手元には乱れがあるものの、頑張ってメモを取った痕跡が見える。
この情熱を持ったまま積み重ねていけば、いつか誰にも負けない営業になるだろう。詳しく知りもしない時は、どうにもならないと思っていたが、今ではとても楽しみだった。
「さ、これを踏まえて修正してごらん。
スペースの半分で別の仕事するけど、分からなかったり不安だったら、声をかけてくれて良い」
「はい。ありがとうございます」
これだけ素直で食いつきの良い男の面倒を見るのは悪くない。きっと千誠も浩和と同じで、寛茂に対して成長速度は遅いが、やりがいを感じているのだろうな。と、祥順が憧れてやまない男の事を思った。




