強烈なカトリーナ
「――という事で、今日は栗原さんがくれたお菓子です」
「へぇ、ありがたいね」
祥順が持ち込んだ紙袋を覗き込みながら浩和は言った。そこには、浩和が食べてみたいと思いつつも手に入る事のなかった食べ物が入っていたからだ。ふんわりと、チョコレートだけではなくスパイスの変わった香りが漂ってくる。
テレビ番組に出るくらいには有名なそれは、すぐに売り切れてしまう。休み時間を調整して買いに行ってみた事もあるが、それでも手に入らなかった。
「カトリーナって名前の癖に、スパイス混ぜまくったチョコが人気なんだからすごいよな」
「え?」
「カトリーナは女性の名前に使われるけど、ギリシア語で純粋を表すキャサリンが由来だとか。
もしかしたら、語源じゃなくて有名なハリケーンの方にあやかったのかもしれないな」
どこで得たのかも覚えていない知識を披露すると祥順が無感動にコメントを返した。
「スパイスを混ぜるのと、店名はあまり関係ないのでは?
普通、そこまで考えます?」
彼は不思議そうにしながらも、例のマフィンを取り出した。営業職をいっさいしてこなかったと言う彼は、そういう所に疎い。
祥順はブランディングとか、一切分からないのだ。
「ブランドイメージって大切なんだ。だから、意味や語源を調べて名前を付ける事が多い」
「そうなんですね……」
パンビデスのようなスパイシーな香りが辺り一体に広がる。どこかエキゾチックな雰囲気のある、不思議な香りだった。
「うちの会社だって、シリーズごとにブランド化しているだろう?」
「ええ、そうですね」
「あれと同じだよ」
ふぅん、と頷いてみせる祥順だったが、恐らくあまり理解はしていないだろう。とりあえず頷いてみせただけだ。別に営業じゃないし構わないが。
「それより早速いただこう」
「はい」
漆黒のマフィンをひと齧り。濃厚なチョコレートに強いスパイス。辛口で甘いチョコの味に浩和は思わず目を見開いた。何と表現すれば良いのだろうか。これは、とても不思議な味だった。
シナモンとか、クローブとか、そういった香りが苦手な人が食べたらすぐに吐き出すかもしれない。スパイスを食べているのか、チョコを食べているのか、分からなくなっていく。そんな味だ。
「……これ、やばくないですか」
祥順がそう言うのも頷ける。どうしてこれが売れ続けているのだろうか。それともこの不可思議な味が中毒性を生み出しているのだろうか。
「コンセプトも何も感じられない」
「そもそも、これはマフィンなんでしょうか。ガトーショコラみたいな雰囲気もしてますけど」
二人して、一口齧っては首を捻る。正直な所リピートして、周囲に宣伝するかと聞かれたら「否」と答えるだろう。
まずくはない。どちらかと言えば美味しいと言える。だが、スパイスの主張が強すぎて様々な感覚が吹き飛ぶ。
「マフィンと言うなら、マフィンなんだろう」
「不思議……」
祥順がどこか納得のいかないような顔をしながらマフィンを咀嚼する。浩和も、おおむね祥順と同じ気持ちだった。
「――食べ慣れてくると、何となく癖になりそうな味をしている気がしてきた」
完食した祥順の言葉に、浩和は曖昧な頷きを返す。とりあえず、浩和としてはもうこれで満足だった。しばらくは食べたくない。これははからずとも精神を消耗する。
浩和も次いで食べ終わり、一息吐き出した。祥順が気を利かせてブラックコーヒーを用意してくれていたのを飲む。なじみの味が口の中に広がり、何だかひどくほっとした。
「はぁ……」
祥順が吐息を漏らした。人心地ついたかのようなその息に、浩和は彼もこのコーヒーで気が緩んだのだと気付く。彼の出した吐息はコーヒーをささやかに波打たせた。
口元は小さく開いていて、吐息の名残がある。小さい隙間を見つめていた浩和の視線はやや薄めの唇に移った。標準よりもやや平らかな唇は、周囲よりもほんのりと赤みを帯びている。
今日は油っぽいものを取っていないからか、艶はなくマットな質感だ。じっと見ていたら、唇の皺の一つに小さな黒い欠片が見える。マフィンに入っていたチョコチップかもしれない。
思わず身を乗り出していた。テーブル越しに、親指が唇に触れる。祥順はぽかんとしていた。くい、と少し力を入れてさすれば、黒い欠片がどこかへいった。
控えめな弾力を感じ、改めて唇に触れたのだなと思う。とりあえずの目的を達成して満足した浩和は、軽く頷きながら手を引いた。
「うん、取れた」
「へ?」
口元をわななかせた祥順は、何が起きていたのかいまだに分からないようだ。それはもちろん説明していない浩和が悪いのだが、その様子が初な少女のようで、もう少し見ていたくなる。
「唇におまけが付いていて気になったから」
「い、言ってくれれば良いのに」
ぽん、と音が鳴りそうな勢いで祥順の頬に朱が差す。色白とまではいかないにしても日に焼けていない肌には、結構目立つ。
そして無意識なのだろう。咎めるような発言の後、浩和に触れられた部分をなぞるかのように舌で唇を撫でてきゅっと唇を結ぶ。力の込められた唇も、ほんのりと赤く色づいていた。
祥順の無意識な扇状的行動は浩和に衝動的な思いを抱かせるには十分だった。だが、ここは社内で休憩中とは言え仕事中だ。癖の強すぎるマフィンの味を思い浮かべて衝動をやり過ごす。
「驚かせてごめん」
何とか謝罪の言葉を捻り出せば、祥順は口を尖らせつつ構わないと言う。自分の失態が原因だと思っているから寛容でいられるのだろう。
1歩間違えればセクハラだったぞ、と浩和は心の中で自分自身をきつく咎める。
「……あまり突然だと困ります」
「え」
祥順の発言がよく分からなかった。どんな意図かとはかりきれずにいると、彼は言葉を続けた。居心地悪そうに組んであったはずの指が遊ぶ。
「その、取ってくれたのはありがたいんですが……俺はあまりスキンシップが得意ではなくてですね」
行為自体はNGだった訳ではないらしい。
「びっくりしてしまうから、する時には声掛けを……」
ちらちらと睨んでいるのか、様子を見ているのか判断に困る鋭い視線を祥順が寄越す。猫のようなその仕草は、祥順の複雑な心境を分かりやすく伝えてくるのだった。




