優雅で家庭的な三人の朝支度
浩和のワイシャツをハンガーに掛け、寛茂のワイシャツを広げた。がっつり運動をしていた彼らしく、首回りも祥順や浩和のそれとはサイズが違う。大多数の男は、一度くらい逞しい姿に憧れた事があるだろう。
一般的な体型の祥順から見て憧れるがっしりとした肉体を持った彼は、体格と言い筋肉の重さと言い、運ぶのも大変だった。
今いる三人の中で、祥順が一番小柄になる。浩和とは大きく違わないが、それでも一番小さいと思うと何となく悔しい気がしてくるから不思議である。
だが、逞しいイコール思わず頼りたくなる人間になれる訳ではない。体格は劣るが、祥順だって社内では頼られる側なのだから。適材適所という素晴らしい言葉があるではないか。と、自分を慰める。
頼られる側、と言えば浩和も頼られる側である。そしてかなり面倒見も良い。祥順は浩和にだけはかなわないといつも思う。千誠の場合、かなうとかかなわないという比較に上げるのもおこがましいくらいに違うから、何とも思わない。
浩和の方は、越えたいと思いつつも越えられないだろう事を悟ってしまった対象、というイメージである。
近付いたと思ったら、いつの間にか一段上にいる。祥順の努力が足りないというのなら、その通りなのだろう。だが、ペースを乱せば、どこかが破綻する。人に合わせようとするあまりに自分を見失ってしまうのでは意味がない。
それに、浩和と心地よい関係を維持したいのならば、無理はしていけないのである。
お互いにほとんど自然体でいられるという事は、この差がちょうど良い証拠である。勝ち負けよりも重要なのは、いつまでもこの関係を続けていく事だと祥順は思っている。
ワイシャツの広い背中を整えながら、取り留めもなく適当に思考を流していった。
寛茂の分もハンガーに掛けた祥順は自分の身支度を整える。歯を磨いて顔を洗い、髭を剃る。
――そうだ、寛茂の髭剃りはどうしよう。使い捨てのシェーバーはあっただろうか。浩和は祥順と飲む時はほぼ必ず持っているから問題ないとして、寛茂が普段から持ち歩いているとは思えない。
昨日は出張の日ではなかったのだから、持っていない可能性の方が高いだろう。
とりあえず自分の顔だけ整え、洗面台の引き出しを漁る。あった。祥順はほっと息を吐いた。自分の使っている物を貸しても良いが、カミソリ類の共用は避けるに限る。
洗面台の目立つ所に、寛茂用に使い捨てのシェーバーと歯磨きセットを置いておく。これで一安心である。
寛茂をそろそろ起こすべきだが、その前に自分の支度を終えておきたい。祥順は急いでワイシャツへと手を伸ばした。
スラックスを穿いてさっとネクタイを締める。さて、着替えも中途半端になっている浩和にワイシャツを渡して役割を交代しないと。ついでに寛茂を起こすのも忘れないようにしよう。
リビングに行ったら、寛茂が起きていた。まだ眠そうに首筋をさすっている。洗濯の為に脱がせてしまったせいで下着姿のまま寝ていた寛茂は、体格と伸びてきた髭が相まってむさ苦しい。
「おはようございます……昨日はすみませんでした」
「いえ、構いませんよ」
「さっき起こしたんだ」
ソーセージを焼いているのか、ぱちぱちと油の跳ねる音をさせながら浩和が言う。ソーセージから溶けだした油と表面が焼けていく香りがリビングに充満していた。
「そろそろ起こそうと思っていた所だったんですが、ありがとうございます。
それよりも軽くシャワーを浴びて身支度整えてくださいね」
「俺だって、こんないい匂い嗅いだら起きますよぅ
……シャワー借りてさっさと整えます」
寛茂がのしのしと冬眠開けの熊のように歩き去る。それを見送っていると祥順の肩に手が乗った。
「ちょっと早く完成してしまうから、俺も着替えてくるよ」
「なら、俺は食器を出してコーヒーを入れておく」
「頼んだ」
手をひらひらとやんわりと振りながら祥順の自室へと消えた。コンロを見れば二つのフライパンがあり、どちらも蓋がされている。火もついていないし、とりあえずそのままにしておこう。
ソーセージに併せて卵でも焼いたのだろう。スクランブルエッグだったら良いな、と思いながら適当に食器を見繕った。
コーヒーは普段よりも多めで、それよりも豆を多めに。酒をしっかりと飲んだ翌日は眠りが浅くて辛いはずである。寛茂の事を考えて少し濃いめのコーヒーを仕込む。
コーヒーメーカーからこぽこぽと可愛らしい音が聞こえてきたのを確認して寛茂分のカップを探し始める。祥順の家は、食器が少ない。
必要最低限くらいしかなかったのが、浩和と親しくなったのをきっかけに増えてきた、というレベルである。それでも他の家に比べたら少ないと言われてしまう自覚はあった。
マグカップは余分にあっただろうか。いや、タンブラーだったらあったかもしれない。
「何か捜し物?」
「ええ、コーヒーを飲むのに使えるカップを」
あまり使わないものをしまってい吊り棚を覗き込んでいると声をかけられた。
「マグカップは二つしかないし、コーヒーカップは見かけた事がないな……」
よくご存じで。さすが、この一年の四分の一くらいは祥順の家で過ごしているかもしれない親友である。祥順はもしかして、と聞いてみる事にした。
「タンブラーとか、あった気がするんだよな」
「あー、あれはあっちだ」
すごい。覚えていたらしい。
普段家主ですら滅多に開けない吊り棚の中身まで把握しているとは、素晴らしい。
「あれ、ほとんど使ってない新品に見えたけど、使って良いのか?」
浩和が別の吊り棚を開いて手を伸ばしている姿を見守りながら、祥順は答えた。
「うん。多分それがないと伊高さんが飲み物飲めないし」
「そっか」
つま先立ちから戻った彼の手には本当にタンブラーが握られている。おぼろげに記憶しているのと同じ柄である。久しぶりに見かけたそれを受け取ると、何となくほこりっぽいような感じがした。
使ったような記憶はあるが、最後に使ったのがいつなのかは思い出せない。面倒くさがりの祥順にだって分かる。これは洗わないと駄目な奴である。
「ヒロを確認してくるよ」
「頼む」
タンブラーを洗っている間に浩和は戻ってきた。
「もうすぐ来るって。朝食を仕上げよう」
「ああ」
両方のフライパンに火をかけた浩和がパンを焼き始める。面倒くさがりな祥順はいまだにフランスパンを買っていた。
本当に楽なのである。好きな厚さに切れるし量も調整できる。三分くらい焼けばだいたい食べられるし、面倒なら焼かずにスープに付けても良い。
浩和が適当にスライスしたパンにこれまた適当にバターを乗せれば完成だ。トースターを覗き込んで焼き具合を確かめる。
早く食べたくて、寛茂が戻ってくるのが待ち遠しかった。




