ジェンダーバイアスと寛茂の売り
ドライヤーの音が聞こえ始めたのをきっかけに、朝食を皿へ盛り付けていく。卵は普通の目玉焼きだった。少しだけがっかりするも、塩胡椒がぱらりとかけられた艶やかな目玉焼きは残念な気持ちを差し引いても、充分に美味しそうである。
「うわっ、すごい豪華!」
目玉焼きにソーセージ、バターがたっぷりと塗られたフランスパン、そして濃いめのブラックコーヒー。必ずしも手が凝っているとは言えないメニューだが、寛茂には違ったらしい。
「俺、いつもバターとジャムを塗った食パンとインスタントコーヒーだけなんで、嬉しいっす」
「パンとコーヒーだけじゃ、タンパク質がとれないだろ。体力勝負なんだから、タンパク質をとりなさい。
せめてチーズトーストに変えるとか」
浩和が寛茂に生活指導を始めた。当然の事ながら、寛茂の食生活については浩和も祥順と同じ意見らしい。
面倒くさがりの祥順でさえ、朝食にタンパク質をとるように気を付けているくらいである。内勤以上に体力の必要な営業であれば――体格的にもタンパク質が必要そうに見えるし――なおさら必要だろう。
「それくらいなら俺にもできそうだし、努力します。
うわ、まじこの目玉焼きすごい!」
寛茂の声に誘われるように、祥順はフォークで卵の黄身を潰した。うっすらとコーティングしていた白身はフォークによってたわいもなく破け、とろりと濃厚そうな液体が流れ出す。
底のあたりは固まり始めていて、淡い黄色とはっきりとしただいだい色にも似た濃い黄色の層ができている。
「今日の目玉焼き、すごくとろけてます」
「なんかうまくいったんだ」
「こんな絶妙な半熟が家で食べられるなんて」
浩和は祥順の賞賛に嬉しそうな笑顔を見せた。卵の黄身を絡ませながらソーセージを食べる。本当に美味しい。シンプルなのが良い。素材は普通のランクだが、調理方法で良くも悪くも変わる。今回はかなり良い方向へ変わった例である。
黄身のまろやかな風味に程良い香辛料、塩分のバランスも最高であった。朝から幸せな気分である。こんな幸せの気分で仕事に出かけられるのも最高である。
半ばうっとりとしながら美味しい朝ごはんを噛み締めた。
「これくらいなら、卵とソーセージを焼いている内にパンを焼き始めれば時間もかからず作れるよ。
二人分くらいまでは一つのフライパンで作れるし」
寛茂はひたすら大きな口をもごもごと動かしている。そう言えば、いつも食べる時は静かだったか。普段と少し違うのは、その目元が緩んでいる事くらいである。
「そうでしたっけ。でも俺は君が作る目玉焼きはもちろん、ふわふわのオムレツやスクランブルエッグも好きですよ」
さり気なく次回のリクエストをする。浩和はわざとらしく眉を寄せて口を曲げてみせる。
「そうやって俺に作らせようたって……今度はオムレツな」
ぷるぷるとした白身に黄身を絡める。嬉しくて笑みがこぼれた。
「――二人とも、普段からこんな新婚みたいな事してるんすか」
「は?」
「何?」
幸せな気分が寛茂の一言で地に落ちた。一撃で打ち落とされた気分の代わりに、じわじわと羞恥心が湧き上がってくる。羞恥心の水たまりに浮かぶ幸せな気分は、ずいぶんと見るも無惨な姿へと変わっていった。
「新婚って言うか、親友ですけど」
「新婚って言われるくらい、仲良く見えるなんて嬉しいなぁー」
祥順が眉をひそめながら訂正する一方で、浩和が同時に言葉を被せてきた。言っている事はお互い正反対と言っても良いくらいには意味の違う言葉だが、タイミングと冒頭の数単語は息がぴったりであった。
「ほら、息もぴったり」
コーヒーを一口飲み、自分を落ち着かせようとしたが駄目だった。こういう風に言われるのは慣れてない。
「夫婦とか新婚とかそういうのに例えるの止めてくれませんか」
「まあまあ……」
空気が悪くなる事を承知で言う。なだめようとしてきたのは、意外にも浩和の方だった。
浩和を見つめていると、彼が口を開こうとした。それに被せるようにして寛茂の方から声がかかった。
「梶川さん、時代は今、ジェンダーフリーですよ」
「それが?」
突然のジェンダー主張に首を傾げる。
「ジェンダーバイアスかかってませんか?」
「……」
寛茂はにこやかに言い放つ。ジェンダーバイアスだと?
「夫婦だから男女の象徴とか、そういうイメージがあるからそんなに過敏に反応するのかなって。
俺はカップルとか恋人とか、そういう意味で言っているんじゃなくて……信頼し合ってるパートナーって言うか、ドラマに出てくるようなバディのイメージで言ってるんですよ」
祥順は胸の中で燻っていた不快な気分を溜息と一緒に吐き出した。
「……夫婦とか言われると恥ずかしくて」
年下に諭されるとは――それも、ちゃんとした書類も作れない後輩に――と、失礼な事を頭の片隅で思いながら、正直な気持ちを告白した。これは絶対に祥順が悪い。
「あは、それはすいませんでした」
あっけらかんと笑いながら謝ってくる寛茂に少しだけ救われた。
祥順は気まずい思いと共に、どうして毎回浩和がポジティブな回答をしていたのかという意味に気が付いた。まだまだ視野が狭い。
「伊高さんが、俺達の事をそう思ってくれているのは嬉しいです。
滝川さんに釣り合うようないい男になれるように精進中なので」
「うわー相思相愛じゃないっすかー!」
嬉しそうに両手を合わせるボディーランゲージまで付いてきた。恥ずかしさが増すよりも、呆れてしまう。
感情や主張の表現には必要なのかもしれないが、少なくともここまでオーバーな人間は彼以外にはいない。
「そうやってオーバーにリアクションするからカジくんに反抗されるんだよ」
「ええ、これが俺の売りなのに」
「……ふふ」
浩和のたしなめる声に寛茂らしい答え。じわじわと笑いがこみ上げる。恥ずかしがっていた自分がおかしいし、自己を確立している寛茂もおもしろいし、冷静に分析している浩和も笑える。
突然笑い出した祥順に、睨み睨まれていた二人がぎょっとした様子で見てきた。驚かせてしまったな、と思うものの二人のその態度もおもしろくて笑いが止まりそうにない。
「何でそんなに笑うんですかー!」
「くく、すみませ……おかしくって……ははっ」
寛茂の文句も面白い。堪えられずに出てしまった笑いは、暫く収まらなかった。




