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書類不備です。  作者: 魚野れん
両者降参

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フォローのつもりがトーク講座

 数種類のウイスキーを飲み比べた結果、寛茂は本当にウイスキーの差が分からない事が判明した。強いて言うならば、ちょっと渋い味がする、においがちょっと違う、くらいしか分からない。

 寛茂の「分からないショー」を見ながら浩和と祥順はピザをつまんでいた。祥順が口にしているのはクアトロチーズピザの胡椒が効いているノーマル。これにはスイートという種類もあって、そちらは蜂蜜掛けになっている。浩和が食べているのはマルガリータで、バジルの爽やかで癖のある香りが濃厚なトマトソースを彩っている。


「ウイスキーの味自体は苦手ではないみたいなんですけどね」

「見てるこっちがおかしくなりそうな反応だよな」

 寛茂が飲み比べて残ったウイスキーを飲みながら、二人は二人で雑談をしていた。

「あっ俺の事、小動物を見るような目で見ないでくださいよ!」

 とうとう寛茂に雑談がバレた。

「俺の両親だってそんな目で見なくなったのに」

「仕方がないですよ。だって微笑ましいんですから」

 寛茂は不満そうに鼻をすんと慣らした。そういう所が少年らしく見え、若いなあと見守るような気持ちにさせる。いや、実際に若いのだが、それ以上に童心が見える。

 祥順なんか、もうペットを見るような目をしている。親の顔というよりは飼い主の顔だ。恐らく浩和も似たような表情をしている事だろう。

「別に良いだろ? 睨みつけている訳じゃないし」

「でもちょっと恥ずかしいっす」

「そう言わずに」

 浩和がにやにやと笑いながら言えば、寛茂が口を尖らせる。祥順も寛茂の様子に意地悪な気持ちになったのか、やんわりと追撃する。反論するだけ無駄だと悟ったのか、寛茂はピザに手を伸ばした。


 さっとマルゲリータを口に放り込んで頬を膨らませた。そのままもぐもぐと丸い字体のオノマトペが見えそうなくらいに顎が動いている。

 そう言えば、この前も困った時には食べ物を頬張っていた気がする。

 やけ食いが癖なのだろうか。度数の高い酒だけを飲み続けるよりはまだ良い方だ。

「ちゃんと噛んでから飲み込むんですよ」

 突然始まった寛茂の暴食に動じる事なく、祥順はチェイサー用に準備していた水を置いた。

 それをひょいと持ち上げて一気に喉へ流し込む。その様子に一瞬、寛茂が咽せるかと身構えた。が、特に何事もなく飲み込んだ。結構喉が強いのか。ウイスキーできゃあきゃあ言っていたから、てっきり弱いのかと思っていた。

「っはー!」

「大丈夫ですか?」

「はい、おかげさまで!」

 威勢の良い返事に祥順が軽く頷いてみせる。唐突にメニューを開きだした寛茂は、彷徨うように指をあちこちへと滑らせ始めた。


 しばらくすると指が止まり、寛茂の顔が上がった。自信ありげな表情だ。

「ウイスキーの中で、これが一番好みだと思いました」

 そう言いながら示されたのは、今日注文していないウイスキーの銘柄だった。

「は?」

「え?」

 浩和と祥順の口から出たのはほとんど同時だった。

「え、何かありました?」

 不思議そうに首を傾げてみせる寛茂に、浩和と祥順は顔を見合わせる。祥順からは「これ、本気?」という訝しんだ声が聞こえてきそうだ。

「ヒロ、あのな」

「はい」

「……それ、頼んでない酒なんだが」

「えっ」

 小さく口を震わせて言葉を失った寛茂に、どうやってフォローしたものかと考える。

 考えている間に祥順が残り少なくなってきたピザを一つの皿にまとめ、そうして空になった皿を重ねてスペースを作った。できた空間にメニューを開いて見せ始める。

「私達が今日頼んだのは、これとこれと……」

「えっうそっ」

 祥順の説明に慌て始める寛茂は、失敗に動揺する犬のようだった。説明している内に分かった事は、寛茂が今日飲んだウイスキーの半分近くを勘違いして認識していた事だ。


 本当の本当に、寛茂がウイスキーの事はダメなのだと分かり、浩和と祥順は苦笑が隠せなかった。味どころか銘柄すら分からなくなるとは。仮にも営業なのだ。名前位は覚えられるはずだ――いや、はずだった。

「……自分で自分が信じられません」

 しょんぼりと肩を落として言う寛茂だったが、その手にはピザが。言っている割には元気そうだ。

「まぁ、ウイスキーの銘柄なんて普通の飲み会なら覚えてなくても問題ないからな」

「上役の方になってくると日本酒や焼酎の方が、話題に上がりやすくなりますしね」

 浩和の適当なフォローに続けて祥順の的確なフォローが入る。確かにこの会社の役職付達は日本酒の方が好きだ。

 ワイン好きな人もいるが、あれは美味いワインなら何でも良いというタイプで、好きなワイナリーや国とか、そういった特定の条件を付けてくるタイプではない。

 ああいうタイプなら、ワイナリーを覚える必要も国ごとの特色を覚える必要もない。唯一の洋酒好きに対しても詳細な知識は必要ないのだ。知っていて説明できるのならそれに越したはないが、無理してする程の事でもない。


 昔ながらの接待で高価格帯の店へ飲みに行く事も滅多にない。今は“通のフリ”をして相手方をもてなすような面倒な行為をしなくても良い時代だ。もちろん浩和はそういう接待をする世代ではないから、更に年下である寛茂からすれば未知の世界だろう。

 仕事の事で既にいっぱいいっぱいの彼に、余分な事まで詰め込もうとするのは鬼のする事だ。いずれにしろ寛茂が想像しているであろう“大人の男”はウイスキーを知っている事が全てではない。

「良いじゃないか。

 バーに行った話題は普通に営業時の雑談として使えるし、ウイスキーは美味しかった。色んな銘柄があるからこれから覚えていきたいって適当に締めれば通用する」

「……なるほど」

「雑談なんて、適当で良いんだよ。ただし、それを忘れてはいけないだけで」

 寛茂が眉を下げた。小難しい事は言っていないはずだ……と思う。

「忘れてはいけない、とは?」

 寛茂の質問で彼の表情が腑に落ちた。

「思わぬ所の雑談内容を相手が覚えていたりするものさ。

 だから、あの時こんな事言ってましたけどその後どうですかー? なんて聞かれる可能性がある訳だ」

「……なるほど」

 結局、それからの時間はどうやって営業中の雑談を乗り切るかというトーク講座へと変化してしまうのだった。

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