寛茂はウイスキーが分からない
「これがウイスキー」
寛茂はテーブルの上にあるウイスキーを見つめていた。その瞳はまさに真剣そのもので逆に浩和の笑いを誘う。
「単品で買うと高いじゃないですか。飲んだ事のないものを買うのって勇気がいるから、なかなか手が出せなかったんです。
そのくせ飲み会とかじゃ飲みにくいし」
「分かったから、舌で舐めるようにして味を確かめてごらん」
下手に言えば一気飲みしそうだった。だが、言い方を間違えたかもしれない。寛茂は恐る恐るショットグラスを手に持ち、傾ける。そして文字通りに舌を伸ばした。
ちろちろと琥珀色の液体を舌でつつく。まるで警戒中のは虫類だ。
「熱いですね!」
グラスから顔を離した第一声は二人を笑わせるには十分だった。微笑ましい姿を見せる寛茂に、笑いがこみ上げて仕方がない。多分、祥順も同じ気持ちだっただろう。
「やけどしたみたいに舌がひりひりします」
笑う二人の事など気にしていない風に、寛茂が主張する。わずかな差で先に笑いを納めた祥順が
「それじゃまだ味が分からないのでは?」
と、からかう。そんな事はないと否定したそうな寛茂に浩和は無難なアドバイスを一つだけした。
「……少しだけ口に含んで舌で転がすと良いぞ」
どう頑張ったって、今の寛茂は可愛い後輩という姿を脱しない。馬鹿にする意図はないにしても、ただ笑っているだけで何の助言もしないのは最低だ。という先輩心によるものだ。
それに、一気飲みされても困る。アルコール度数の高い飲み物を好む人間ならば身体が慣れているかもしれないが、どう考えても寛茂はそうではない人間だ。
何かがあってからでは遅い。用心するに越した事はない。
「樽の香りがふんわりと感じられるはずですよ」
寛茂が素直にウイスキーを含んだのを見た祥順が柔らかな声で言葉をかけた。
「口の中に広がったアルコールの熱さ、唾液と混ざってほんのりと感じ始める甘み。
目を閉じて集中すれば、分かると思います」
祥順が手を伸ばした。その先には寛茂の手。重ねるように手を置いたのには、その気がないとは分かっていても眉をひそめたくなる。
勝手な嫉妬心は不毛だと分かってはいるが、自分の気持ちに気が付いてしまった今では制御不能だ。
「口の中で転がし続ければ、もっとまろやかになります」
浩和は気持ちを落ち着かせながら二人の様子をじっと見ていた。祥順が真剣にやっているのだ。不満に思えども冷やかしたりはできない。だからと言って何かをしてやれる訳でもなく、ただ見守るだけだというのは存外に退屈な時間だった。
寛茂は祥順に言われた通りにしているようで、口や頬が小さく動いている。しばらくそれが続き――長い時間ではなかったが浩和には長く感じた――、気が済んだのか寛茂の喉が動いた。ゆっくりと瞼が開かれていくのを見ながら祥順が問う。
「どうでした?」
寛茂は祥順を見返した。
「……もう一回試しても良いですか」
「へ」
「――どういう事だ?」
寛茂が真剣な眼差しで言った。
「ぜ、ぜんぜん分かんなかったっす……」
「――じゃあ、もう一回どうぞ」
すうっと手を引きながら言葉がけをした祥順は、何事もなかったかのように微笑んだ。彼に促されるがままに寛茂がウイスキーを口に流し込む。減ったグラスを見て、心なしか先ほどよりも量を多く飲んだと分かる。
最初の一口で毒ではないと身体が覚えたのかもしれない。もしくは、前回よりも多い量を口に含めば何かが分かるとでも思ったのか。
寛茂は目を閉じて自分の世界に入っていく。
ふと、祥順が浩和の方へと体を寄せてきた。肩がぶつかりそうなくらいに近いのに、相変わらず体臭が分からない。
もっとくっついてくれたら分かるようになるのだろうかと変な事を思いつつ、耳を傾けた。
「……彼、大学生みたいだね」
「確かに」
こそこそと小声なのは、寛茂に集中してほしいからだろう。ついでに敬語が外れているのが嬉しい。
「若くて元気で、素直だし」
若さを強調するようにして言えば、祥順が顔を顰めた。
「……そういう言い方だと俺達が年寄りみたいでやだな」
「でも、そう言いたかったんだろう?」
祥順は反論しない代わりに小さく口を尖らせた。可愛い。
「カジくんより若い俺が言ったからご不満?」
「その通り」
今度は小さく笑みを作る。
「分かりました!」
祥順とそうしてふざけていると、挙手した小学生のような言葉が聞こえてきた。
驚いて寛茂の方を見ると、本当に挙手をしていた。祥順はそそくさと浩和から離れて座り直している。元の位置に戻っただけだが、距離を置かれたようで気に食わない。
「どんな感じでした?」
取り繕った感じが濃い祥順の言葉に寛茂は気が付く事なく、元気に答える。
「カッとなって、ぶわっと香りが広がって凄かったです」
営業らしからぬ乱暴な表現に浩和は固まった。祥順の方はそれを面白く感じたようだ。
「好きな味でしたか?」
「おいしいとか、そういうのが全然分かりませんでした」
「飲み比べてみないと、好みが分からないかもしれませんね。早速別のを頼みましょう」
祥順はそう言うなり、すぐに数種類のウイスキーを頼んだのだった。




