惚れ直すしかない
祥順を起こして卵の殻剥きをし、フランスパンを焼いていると、ゆっくりとした動きで彼が現れた。のそのそとした動作は、ナマケモノのそれだ。
「おはようございます……」
ずいぶんと眠そうだ。それに、アルコールの飲み過ぎで目がむくんでしまっている。
「おはよう。朝食はフランスパンのサンドだよ。
昨日のつまみで残ったものを組み合わせて食べられるようにしたんだ」
「わ、すごいですね」
だるそうな目元とは裏腹に、きらりと瞳が光る。二日酔いではないらしいと分かり、浩和はほっとする。二日酔いの可能性を全く考えていなかった。
健康な人間向けのこのメニューは、二日酔いの人間にはかなり厳しいものだったろう。
「好きな具を選んで挟んでいくスタイルだから」
「おもしろくて素敵ですね」
その言葉を聞きながら、祥順にペットボトルのジュースをいくつか振ってみる。人差し指で示されたのはグレープフルーツジュースだった。酸味と苦みのある飲み物ならば、ゆずのフレーバーに合うと思って買ってきたのだ。結局はその苦み同士が喧嘩をして微妙な味だったのだが。
飲み物を手渡したら自分用のものを選ぶ。パイナップルジュースにした。これはそこそこ美味しくて、おそらく比率を変えたらもっとおいしくなるだろう飲み物だった。
「バターは塗る?」
「お願いします」
焼けたフランスパンを片手に冷蔵庫を開ける。
「いつもありがとうございます。
滝川さんの作る朝ご飯はいつも魔法のようです」
見るからに重たそうな瞼で笑い、フランスパンの上に卵を乗せた。その上にアボカドをペースト状にしたものが乗せられた。
「そうかな。でも今日は残り物だよ」
「だからこそですって」
祥順は更に生ハムを乗せてからフランスパンで蓋をする。ふむ。それ、おいしそうだな。浩和は真似する事にした。
「んん」
大きな一口でサンドイッチを頬張る姿はさながらリスのようだが、と祥順の事をじっと見つめた。手は勝手に祥順と同じサンドイッチを作り始めている。
「おいしいです」
「それは良かった」
昨日も良い時間まで飲んで食べて過ごしていたにも関わらず、良い食べっぷりに浩和は嬉しくなる。紗彩も美味しそうに食べてくれたが、テンションの差と言えばいいのだろうか。
決して食べ方が汚いとかではなく、ちゃんと丁寧だが見ていて気持ち良くなるような感じがする。
祥順は浩和がぼんやりと見つめながらゆっくり食べている内に二つ目のサンドイッチを作り始めていた。
今度はクリームチーズを使う事に決めたようだ。そして買ってはみたものの、昨夜は開けずじまいになっていた焼きオリーブを乗せる。
焼きオリーブは一般的に売られている瓶詰めのオリーブよりも油っぽさがなく、さっぱりしている。あまり見かけないから中々食べる機会がないのだが、つまみとして優秀な奴だ。
最後にアンチョビを乗せる。
確かにアンチョビとオリーブの組み合わせも、クリームチーズとの組み合わせもおいしい。アンチョビの強い塩気はまろやかでプレーンなクリームチーズで相殺できるし、そこにオリーブの香りが加われば最強においしい。
次に食べるサンドイッチも祥順のレシピに習う事に勝手に決める。食材が残り物と限られている中、結局組み合わせ方なんて少ししかない。それに、きっと祥順は真似されても気にしないだろう。
「……滝川さんがこうして俺の事を甘やかすから」
「うん?」
「俺、全然成長してないです」
「そうか?」
浩和は首を傾げた。確かに浩和には甘やかしてやろうという意識がある。それは仕事中一人で頑張ろうとしがちな祥順に無理をさせない為だ。
「そうですよ! もっと俺をこき使って良いのに」
「そう言われても。頑張った人は甘やかされる権利があるんだよ」
祥順が作ったのと同じ具になった二つ目のサンドを食べた。うん。やっぱりうまい。
「俺だって、滝川さんを甘やかしてみたい」
「へぇ」
どんな風に甘やかしてもらえるのだろうか。指に付いたクリームチーズを舐める祥順からは想像ができなかった。ちらりと見えた舌が浩和の気分を揺らがせる。
浩和の視線はサンドイッチを食べていく祥順の口元に集中していた。本当においしそうに食べる。
「至れり尽くせりの数々を俺にだって出来る」
何を言いたいのかさっぱり分からない。“至れり尽くせりの数々”って何だ。抽象的すぎるし、日本語の文法も変だ。
「まずは敬語をなくそうよ。俺達親友だろう?」
「……う」
祥順の勢いが削がれた。敬語をはずすのは嫌なのだろうか。
「恥ずかしいじゃないですか」
「何が」
「今更、タメ口なんて」
そんな事か。もしかしたら祥順からすると大した事なのかもしれないが、たったそれだけで羞恥心を感じるのは彼らしいとも思う。スピードダウンした咀嚼速度のせいか頬の動きがよく分かる。
「今更じゃない。そんな事言うなら、年下の俺がタメ口の方が問題になる。
年上のカジくんが敬語なのにさ」
祥順は己の中にある羞恥心と打ち合わせを始めた。俯いてもそもそとサンドイッチを食べる様は何だか可愛らしい。むくんだ瞼のせいでぶさいくになっているからなおさら。
今更突然変に意識している訳ではない。純粋な感想だった。
「俺は、敬語をやめる」
おお。宣言した。
「俺の方が確かに年上だ。年上の余裕がなかった気もする。気をつけるよ」
年上の余裕って言うほどに年が離れている訳ではないのに。祥順は気合いが入ってしまったようだ。それも変な方向へ。
そんな茶化す気持ちを抱いていた浩和は、思いの外真剣な祥順の眼差しにどきりとした。まだむくみのとれていない瞼の下から瞳が覗いていて、それが雄弁に語っている。俺は本気だ――と。
「今まで、半ば憧れのような気持ちで滝川さんを見ていたけど、それは君に失礼だった。
そう、今気が付いたんだ」
……惚れ直すかと思った。敬語の話題からどうしてそこまで飛んでいったのかは全く分からない。が、真剣に考えているのには変わりない。
「親友なら、対等でなければ。
これからは喧嘩ができる関係を築いていこう」
そう言って見つめられ、浩和の心臓がキュンとする。意識するなと自分に言い聞かせるのは難しいかもしれない。駄目だ。やっぱり惚れ直した。
それくらい、祥順が格好良かった。




