浩和狐に摘まれる
「紗彩に振られた時、話を聞いてもらったから立ち直れたんだ」
「そうですか?」
祥順は自分の功績に気が付いていないようだ。
「話をしてすっきりしたというのもあるけど、それ以上にカジくんの存在が俺を癒してくれたから」
「……」
浩和は真っ直ぐ祥順を見た。すると、射抜かれた鹿のように丸くなった瞳で見つめ返された。
「カジくんがいなかったら立ち直れなかった。きっと」
からかっているつもりでも、持ち上げているつもりでもない。それを分かって欲しくて可能な限り人好きのする笑顔を浮かべた。
じんわりと祥順の頬に血が集まってきているのが分かる。本人はそんなつもりはなかっただろうに。
「俺は大それた事なんてしてないです……」
祥順は自信がなさそうに照れている――照れのはずだ。それ以外に頬が染まる理由が分からない――が、事実である。祥順にとって些細な事であっても、浩和にとってはとてつもなく大きな事だった。
どうにかして理解してもらいたいと思う一方で、この事は平行線になるだろうという感覚も強い。
祥順の性格からすれば、ただ普通の事をしただけなのだ。価値観の違いはそう簡単に共有できるものではない。
「俺がそう感じた事だけ、知っていて欲しくてさ」
突然祥順が顔を両手で押さえ、テーブルに突っ伏した。
「も――! 褒めたって何も出ません!」
お。通じたのか……? 浩和は祥順のつむじを見ながら彼のうめき声を聞いていた。
「片付けだってろくに出来ない、駄目男なんですよ。
料理も適当で、面倒くさがり屋で、心にも余裕がない。人付き合い自体がへたくそで、友人関係だって多くもない。
盛り付けだってセンスがないし、事務仕事以外に取り柄なんてないんだ。そんな男があなたの安らぎになる訳がないじゃないですか!」
結構言ったな、というのが感想だった。よくもまあ、自分の欠点を簡単かつ分かりやすくまとめられるものだ。感心を通り越して、とは言ったものだが、更に一周して感心するしかない。
浩和はそこまでして己の価値を低めに言い積もる祥順をきっといつまでも理解できないだろう。だが、そういう人間だと認識している事はできる。
「カジくんがそういう人間だという事は分かっているよ。
ただ、俺はそんな君に癒されるんだ。誰に言われても変わる事のない思いは誰しも持っているだろう?
そういうものなんだよ」
丁寧に言ってみた。
……追い打ちをかけただろうか。祥順はもう耳まで赤くなっている。もしかしたら、褒められ慣れしていないだけかもしれない。
友人も少ないみたいだから、褒められる機会も少なかっただろう。仕事中の祥順は褒められたとしても、「評価」だと思って気にも止めていなかった可能性もある。
少しの沈黙。浩和の方は単に祥順を見つめながら、この反応について考察していただけだが。祥順はこの沈黙ののち、ゆっくりとほんの少しだけ顔を上げた。
目だけがこちらからも見えた。警戒中の猫のように、じいっと浩和を見つめてくる。その眉は困惑の形そのもので、相変わらず顔は赤い。
「……俺が、カジくんに感じる気持ちは俺だけの物だから、簡単には変えられないんだ」
「――それは、もう分かりました」
目が伏せられる。言い負かせかった訳でも、説き伏せたかった訳でもない。口元が見えないせいで、どんな表情をしているのかも分からない。諦めだったのか、恥ずかしいだけなのか。
自分がやりすぎてしまったという感覚が広がっていく。どうにも制御がきかなくなっている自分に困惑する。俺は、祥順をどうしたいのだろうか。
「あなたがそう思うのと同じように、俺もさっき言った事を思っているので。これ以上俺を苛めるのはやめてください」
細い声だった。浩和は自分の事を理性的な方だと思っていたが、祥順の声を聞いて途端に自信を失った。
思考もまとまらないし、全然俺らしくない。
「分かったよ、もう言わない。
でも、謝らないよ」
「そう、それは良かった」
「え?」
けろりとした反応に思わず目を見張らせた。さっきの細い声は一体何だったのか。顔を上げた祥順は全くと言って良い程平然としていて、顔を伏せる前そのものだった。
「どうしたんですか」
逆に不思議そうに首を傾げられて言葉に詰まる。
「いや……」
弱っていたのではなかったのか。浩和はどんな表情をすれば良いのか分からなかった。祥順は元気だ。ぴんぴんとしている。
浩和に追い込まれつつあったのは、自分の気のせいだったのだろうか。狐に摘まれた気分になりながら祥順の様子を見ていると、もう一度首を傾げられた。
「そろそろ夕食の準備しませんか?」
「あ、ああ。そうだね」
今度は何を言われるのだろうか、とこっそりと身構えていた浩和は、祥順の言葉に無意識の内に入れていた肩の力を抜いた。
これでさっきの話は完全に終了だ。
よく分からない展開になってしまったが、気持ちを切り替えるしかない。祥順は傷ついていなかった。それで十分じゃないか。自分の戸惑いなんてどうって事ない。
「まずは冷やしてあるタマネギからやろう」
「了解です」
冷製パスタを作る時、こっそり一手間かけていた。と言っても皮を剥いて半分に切って冷蔵庫に入れただけだが。これをみじん切りにして、同じくみじん切りにしたトマトと混ぜるのだ。
後は少しばかり味を付ければバゲットやクラッカーの上に乗せるディップ用の具になる。
他にもアボカドやらスモークサーモンやらアンチョビの缶詰などを用意すればほとんど調理いらずの簡単な食事へと変わる。まあ、つまりカナッペになる。
浩和は祥順にあれこれ簡単に説明しながらつまみの作成に励むのだった。




