第六章 縁切りの怪談
一週間後。
自由研究の発表の日がやってきた。
五年一組の教室は朝からザワザワしていた。模型を作ってきた男子たちが「おれのがデカい」「おれのがカッコいい」と言い合っていた。
智子は、自分の席でノートとスケッチブックを見つめていた。
「クルミ川の生き物調査」
そう書いた表紙をめくると、クルミ川にそって家の近くからため池に至るまでに見た生き物の様子が、絵や写真を交えた文で記されていた。
しかし、最後のページ、つまりあの滝のところだけは、文字だけで写真も絵もなかった。智子はあの白い影を思い出すのが嫌で、どうしても描く気にならなかったのだ。
「……あれ、ぜったいに見まちがいじゃなかったと思う」
智子がつぶやくと、トイレから戻ってきた伸行がズボンの両脇でパンパンと手を拭きながら話しかけてきた。
「もういいって。あんな話、だれも信じちゃくれねえよ」
伸行は、もう本当に何も気にしていないようだった。
……ゆうれいを見たとさいしょに言いだしたのはノブ君なのに……きりかえが早いのね……
智子はそう思い、半ば呆れ、半ば感心していた。
伸行の机の上には、夏休み中に飼っていたクワガタムシの虫かごが十箱も置いてあった。伸行が、夏休み前から智子の家の雑木林に何度も来て捕まえたものだった。
虫かごの隣には薄い「クワガタムシのかんさつ日記」が置かれていた。伸行は、始業式の後一週間で、飼い始めたときから夏休みの終わりまでを思い出しながら日記を仕上げたらしい。いかにも急ごしらえという印象はあったが、一応、人に見せられるものにはなっていた。何より、実際に飼っていたクワガタムシを十匹も見せようというのだから、自由研究の証拠としては十分だった。
伸行の後ろの席の「カンバ」は、カブトムシの標本をもってきていた。そして、伸行に「生きてりゃ、カブトとクワガタ、どっちが強いかしょうぶできたのに」としきりに伸行に言っていた。クワガタ派とカブト派に分かれるのは小学生男子の常だ。カンバは、本名を鎌原幸雄といい、ノリがいいので伸行と気が合った。
伸行の右隣の席の益子詩麻は、伸行の虫かごとカンバの標本を見て嫌な顔をしている。この年頃の女の子は、だいたい虫が苦手だ。詩麻の机の上には夏物の浴衣が置かれていた。
吉清の席には、ドローンと説明のフリップが置かれていた。吉清の自由研究のテーマは「小型ドローンの改造の方法」だった。吉清はあの後、毎晩遅くまで小型のドローンを改造し、空撮できるようにしたらしい。元々ドローンを趣味にしていたとはいえ、この短時間で改造を仕上げた吉清の集中力に、智子は感心していた。
智子の右隣の席の太田祐介はラジオを自作したらしく、吉清としばらくお互いの作品を見せ合っていた。祐介は智子の再従兄で幼馴染だが、三年生と四年生で別のクラスになってしまい、それから少し疎遠になっていた。今年は同じクラスになれて、智子は安心していた。
やがて、皆川先生が教壇にやって来た。
「起立」「注目」「礼」「着席」
日直の蘆野香織の号令で、いよいよ自由研究の発表会が始まった。
クラスの児童たちは、順番に黒板の前に立ち、それぞれの発表をしていった。昆虫採集、小動物の飼育、星の観察、工作、祭りに着ていった自作の浴衣……どれも夏らしい、明るい発表だった。
吉清の改造ドローンの試運転と、伸行のノコギリクワガタ五匹とミヤマクワガタ五匹の公開は、男子には大好評、女子には冷めた目で見られていた。
智子の番がきた。
名前を呼ばれて立ち上がった時、開けっぱなしの窓から強い風が吹きこみ、智子の目の前で白いカーテンを揺らした。
「わっ!」
智子は跳びあがって驚いた。あの滝で見た白い影が、また自分の前に現れたように感じられたのだ。その拍子に、ノートとスケッチブックを床に落としてしまった。
吉清と祐介が拾ってくれたノートとスケッチブックを受け取り、智子は落ちつかないまま、黒板の前で発表を始めた。
「あ、あたしは……い、家の近くを流れる、クルミ川の生き物について調べました」
動揺が収まらなかったので少しどもってしまった。くすっと笑う声が聞こえた。
智子は説明を始めたが、クラスメイトや皆川先生がまるで遠くの存在のような錯覚を感じていた。それでも智子は、スケッチブックに描いたイラストや、デジタルカメラで撮った写真を示しながら、精一杯説明した。
「長尾の絵は、まるで図鑑みたいに上手だな。みんな、見習うように」
最後に皆川先生が褒めてくれたが、智子には喜ぶ余裕がなかった。あの滝でみた白い影が頭からずっと離れなかった。
発表を終えて、自分の席に戻る途中で、智子は大きなため息をついた。それを見た吉清が、小声で囁いた。
「……まだ、気になってるんだね」
智子は黙って頷き、自分の椅子に座った。
発表会は、まだ続いた。
智子の次は、お調子者の佐藤悠馬の番だった。悠馬は、クラスでは「もりすぎ悠馬」「かいだん王」と呼ばれている。サッカーが得意で、見た目がいい、いわゆるイケメンの男子で人気者なのだが、とにかく話を大げさに盛るのと、やたらと怖い話をしたがる癖があった。
悠馬は「中之条の怪談」と大きくおどろおどろしい文字で書かれた紙を、黒板に貼った。それを見た女子の一部からは黄色い悲鳴が挙がり、男子の大部分からは笑い声がひろがった。
智子は、下を向いて目を瞑りながら、大きくため息をついた。今はそんな話、聞きたくもなかった。
吉清は、横を向いて軽く息を吐いた。科学好きの吉清は、怖がらせるためだけの話が嫌いだった。
伸行は、大きな口を開けて笑っていた。伸行は、こういう話が大好きだった。もっとも、自分が体験しない限りは、だが。
佐藤悠馬は、「ささやき石」「うらみの滝」「とびさわの家」「火車」「野剃湖」など、中之条町に伝わる怪談を、次々に話しはじめた。静かにかすれる様な声色をつくって、ゆっくりと。なかなか堂に入った話し方で、話が進むに連れて、クラスのあちこちから悲鳴があがった。
智子は、祖母の郁子から何度も聞かされた話だったので、最初はあまり真剣に聞かないでいた。だが、悠馬が「えんきりの滝」の話をはじめると、いつの間にか聞きいっていた。
「えんきりの滝の話。この中之条町に流れる、とある川。どこの川かは伝わっていない。しかし、その川をさかのぼっていくと、一番おくのところに池があり、そのとなりには、人に知られていない滝があると言われている……」
「……え……そこって……まさか……」
智子は、思わず声をあげていた。
吉清が、智子の方を振り向いた。智子が振り返ると、伸行もこっちを見ていた。
悠馬が、幽霊のように両手をだらりと下げて、またかすれるような声色をつくりながら話を続けた。
「そこには、石が、まるで小さな塔のようにつまれており、まわりはうっそうとしたススキの茂みにおおわれている……」
智子は、瞬きを忘れ、目を大きく見開いていた。
悠馬が、さらに話し続ける。
「その滝には、こんな言い伝えがある。そこに、だれかからもらったものをおいておくと、くれた人との『えん』、つまり、かんけいが切れてしまうと言われている……」
「な……なに、それ!」
智子は、思わず声を張り上げてしまった。自分の顔が冷たくなっていくのを感じていた。
その智子の声を聞いて、悠馬は智子の方に視線をうつした。
「たとえば」
悠馬は、智子をじっと見つめて指を差しながら、かすれた低い声で、ゆっくりと話をつづけた。
「君からもらったものを、そこにおいてくれば、君との『えん』が切れて、もう二度と会えなくなってしまうかもしれないのだ……」
「やめて!」
智子は、目をつぶり耳を塞ぎ、思わず大きな声をあげてしまった。
そんな智子に、クラス中の視線が集まった。それに気づいた智子はみるみる赤面した。隣の席の祐介が、悠馬に向かって口に人差し指を当てて「シーッ」のジェスチャーをしていた。
皆川先生が声をかけてくれた。
「長尾、気分が悪いなら、保健室に行っていいぞ」
「……そうします」
智子は席を立った。耳の奥では、まだ悠馬のかすれた声が響いているように感じられた。
保健係の益子詩麻が、智子を連れて教室を出て行った。
その背中を見送った伸行と吉清は、顔を見あわせた。二人とも、智子が何に怯えているのか、すでに分かっていた。
祐介が心配そうに智子の出て行ったドアを見ていた。




