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第五章 髪留めをおいてきたまま

「『髪留め』、あそこにおいてきちゃった!」

 ツインテールがほどけて肩までかかるセミロングになった智子が、置き石の上に置いた靴をあわてて履き直した。

「とりに行ってくる!」

 智子は走り出そうとしたが、吉清に止められた。

「今からじゃむりだよ。とちゅうで夜になっちゃうよ」

「それに、あそこに、くらくなってから行くつもりか?」

 伸行も相槌をうった。

 陽は西に傾き、ヒグラシゼミの鳴き声が徐々に大きく響き始めていた。

「でも……でも……あの髪留めって……」

 あの髪留めは、祖母の郁子に貰ったお気に入りだった。


◇   ◇   ◇


 あれを貰ったのは、二年前、小学三年生になったばかりのときだ。

「智子の髪の毛は柔らかいけど、少しくせっ毛だからまとめにくいねえ」

 母に代わって智子の髪の毛を櫛で梳かしてくれながら、祖母の郁子がそう言った。その二、三日後、郁子が手作りの「髪留め」をくれた。

「これを使いな。おばあちゃんが作ってみたの。あんたでも簡単に髪の毛をまとめられるよ」

 柘植の木を削って作ったのだという。それは小学三年生の智子には、少し大人びたデザインの髪留めだった。でも特別製だけあって、八歳の智子ひとりでも髪の毛を上手くまとめられるように作られていた。

 初めて自分一人で、左右の耳の上で髪の毛をまとめることができた智子は、少し古ぼけてきても、それから二年以上ずっとその髪留めを使い続けた。

 髪留めの色が褪せてくると、智子は郁子に方法を聞いて、自分で色を塗り直した。絵を描くのが得意な智子にとって、髪留めの塗り直しなど、お手の物だった。


◇   ◇   ◇


 そんな思い出のこもった髪留めを置いてきてしまったことに、智子は酷くがっかりしていた。

 智子は、祖母からもらった大事な髪留めであることを二人に伝えたが、やはり今日中に取りに行くのは無理だと二人に言われた。


「あとで取りに行けよ。オレらも行くからさ」

 伸行が明るい声で智子に言った。

「それに、トモコ、そのかみがたも、わるくねえよ」

「いやいや、やっぱりトモちゃんは、あのふたつのおさげじゃないと」

 吉清がメガネを直しながら反論すると、伸行が短いため息まじりに言った。

「……なんだよ、せっかく気いつかったのに」

「なれないことするとケガするよ、ノブちゃん」

「なんだとお?」

 二人が、またじゃれ合うのを見ながら、智子は長くため息をついた。

「今日はあきらめよう。でも」

 智子は、髪の毛をさわりながら思った。

「ちかいうちに、かならずとりにいかなくちゃ」


 結局その後の夏休みは、自由研究をまとめたり残った宿題を片付けたりして終わってしまった。

 吉清と伸行は、その後毎日のように智子の家に何度も来て、智子の描いたイラストや撮っておいたデジタルカメラの写真を見ながら、「少しだけタイトルと文を変えた」内容をまとめていた。かわりに吉清はワークブックを見せてくれ、伸行は工作の下ごしらえを手伝ってくれた。

 そして、髪留めを取りに行けないまま、夏休みが終わってしまった。


◇   ◇   ◇


 始業式の日がきた。

 残暑の厳しい体育館に全校生徒が集まっていた。

 蒸し暑い中でも、あちこちから「海に行った」「山に行った」「宇宙に行った」「ウソつけ」といった元気な児童の声が聞こえてきた。


 そのざわめきは、五年一組の教室に戻った後も続いていた。


 教室に戻ってきた智子は、窓側の自分の席に座った。髪の毛は、左右の耳の上で新しいゴム紐で結ばれている。

 窓の外には、まだ強い日射しで照らされている校庭が見えた。校庭に引かれた白い石灰の線が、智子の目には眩しく感じられた。そして、窓から吹き込んでくる風が少しだけ心地よさを運んでくれた。


 やがて、担任の皆川先生が教室に入ってきて、教壇で二学期の始まりの挨拶をした。皆川先生は、教壇の上に積まれたワークブックの山と、後ろの長机に置かれた大量の工作物を見ながら言った。

「宿題はみんな出したな? それと、自由研究だがな、提出はもう少し後でいい」

 皆川先生は、智子たちにとって大事なことを話し始めた。

「自由研究は、一人ずつみんなの前で発表してもらう。それで提出とする。来週、この時間だ」

 教室のあちこちから、大きな声が挙がった。

「えー!」

「そんなー!」

「やだー!」

 皆川先生が、笑いながら言った。

「一緒に自由研究をした人は、グループで発表してもいいぞ」

 また大きな声があちこちから聞こえた。

「やった!」

「よっしゃー!」

「よかったぁ!」


 智子は、丸く大きな目をさらに大きく見開き、右前に座っている吉清を見た。吉清が振り返って眉を顰めていた。右後ろを見ると、伸行が声を出さずに口だけ動かしていた。

……まずいことになっちゃった……

 智子は思った。


◇   ◇   ◇


 始業式は昼前に終わったので、三人は午後に智子の家に集まった。

 三人は、いつか地図を広げたあの丸テーブルを囲んで相談をした。「自由研究対策会議」と吉清が名付けた。


 会議は難航した。

「……もういいだろ。あきらめて三人でいっしょにはっぴょうしようぜ」

 伸行が口を開いた。

 智子がすぐに反対した。

「やあよ……女子どころか男子にも、なに言われるかわからないじゃないの!」

「でも」

 吉清がメガネを直しながら指摘した。

「一人ずつはっぴょうしたって、同じことやったのバレバレだよ」

「……そうね……」

 堂々巡りの意見が続いたあと、三人はしばらく黙っていた。


 廊下から吹き込んでくる風が、少しばかり初秋の涼しさを含んでいた。

 

 やがて吉清が口を開いた。

「……もう、ボクはかくごをきめた」

 吉清はまたメガネを直し、真剣な表情で言った。

「のこり一週間で、べつのじゆうけんきゅうをまとめるよ」

「マジかよ」

 伸行が驚くと、吉清が真面目な顔のまま言った。

「もともと、あれはトモちゃんのじゆうけんきゅうだよ。ボクらが写したのがまちがいなんだ」

 伸行は、吉清の目をじっと見た後、うなずいた。

「……それもそうだな。オレもそうする」

 智子は驚いて二人を交互に見た。

「……ほんとにいいの?」

 吉清が今度は笑みを浮かべて言った。

「まあ、かわりのネタは、ないわけじゃないしね」

「オレも」

 伸行も笑いながら、自由研究の課題を智子に譲った。

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