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第三章 見てしまったもの

 そのころ、伸行は細い坂道をよじのぼり、滝の上に出ていた。


 滝の上には、幅二十メートルぐらいの小さな池があった。その池に、岩盤の亀裂から湧いた水が流れ込んでいる。

「へへっ! みつけたぜ。こっちがほんとの川のはじまりだな」

 伸行は、得意げに笑った。

「トモコもヨッシイもくりゃよかったのに」

 伸行は岩の上から覗き込むと、下に滝つぼと河原が見えた。そして、智子と吉清の話す声がかすかに聞こえてくる。

「おどかしてやろ」

 小石を拾い、下に投げようと身を乗り出したとき……滝つぼのそばに、白い着物の男が立っているのが見えた。

「……あれ? 人なんて、いたか?」

 思わず呟く。次の瞬間、下から智子の怒鳴り声が響いてきた。

「ちょっと! 変なことしたでしょ!」

 智子の声に気を取られた後、再び滝つぼを見ると、そこには誰もいなかった。

「……え?」

 戸惑ったそのとき、伸行は背後に人の気配を感じた。

 振り返ると十メートルほど離れた森のところに、大人の男のような背格好をした「白いもの」が立っていた。顔はよく見えなかった。

「……っ!」

 伸行が息を飲んで、もう一度見直した。すると、人のような「白いもの」は、姿を消していた。


 伸行の顔と背中を、冷たい風が撫でたような気がした。


◇  ◇   ◇


「うわあああ!」

 伸行が、叫びながら細い坂道をまるで転がるように駆け下りてきた。

 智子と吉清は、驚いて振り返った。

 伸行は、はあはあと、荒い息を繰り返していた。

「おいおい、どうしたんだよ」

 吉清が駆け寄ると、伸行は口をあけたまま通路の上の方を指差した。

「い、いたんだ……! 白い男の……ゆうれいが!」

「えっ?」

 智子は、びくっと肩をすくませた。

「まちがいねえ! たきのところに立ってて……きえたと思ったら、今度はオレのうしろに……」

 言いかけて、声がとぎれた。


 岩陰を打つ雨音だけが、しばらくの間、やけに大きく響いていた。


「……からかうのはやめてよ」

 智子は沈黙に耐えられなくなり、わざと強めに声を出したつもりだったが、その声は弱々しかった。手のひらがじっとりと濡れているのを感じていた。

……だって、さっきあたしも……へんなものをみたもの……。智子はそう思っていた。

「そんなことしねえよ! ほんとうにいたんだ!」

 伸行は必死に叫ぶ。

 吉清は、ずり下がったメガネを、手でくいっと元の位置にもどしながら、首をかしげた。

「でもさ……ボクとトモちゃんは見てないよ。気のせいなんじゃないの?」

「オレは、気のせいなんかでビビらねえよ!」

 伸行が怒鳴る。その勢いにつられて、智子は思わず口にした。

「じつは……あたしも……見た」

 二人が、同時に智子を見た。智子は言い直した。

「……はっきり見たわけじゃないよ。白い布みたいな、もやもやしたの。あたしはてっきりヨシくんが何かやったのかと思って……」

「さっきどなったの、それ?」

「うん」

「ほらな!」

 伸行は少し大げさに声を張り上げた。

 吉清はしばらく黙りこみ、周りを見回すと小さな声で呟いた。

「……たしかに、ここ……ふんいきがおかしいよね」


 三人の間に、静まり返った時間が流れた。


 雨は弱まりつつあった。

「……とにかく、ここに、これ以上いるのは、やめようぜ」

 伸行が小声で言う。

「……そうね」

 智子もうなずいた。


 岩陰を出て河原に戻ると、雲が薄くなってきているせいか、白っぽい石でできた小さな塔が、雨で濡れてぼんやりと光っているように、智子には見えた。

 智子はふと立ち止まり、小さな声でつぶやいた。

「……あの石のつんである、塔みたいなやつって、まるでお墓みたいね」

 智子は、そう言ってから、自分自身の言葉に背中をぞくりと震わせた。

 見ると、吉清と伸行も、少し歩き方がぎこちなくなっていた。智子の呟きを聞いて、同じように感じたのだろう。

 

 三人は滝を振り返ることなく、青臭い匂いのする濡れたススキの茂みをかき分け、すべりそうな石段を慎重に降りた。

 雨はほとんどやんでいたが、まだしずくがぱらぱらと垂れ落ちてくる。

 

 ため池のそばのぬかるんだ道を滑りそうになりながら歩き、自転車を停めた場所に着いた時には、もう雨があがっていた。

 厚い雲の間から、また夏の強い陽が射し始めた。

 智子は、自転車のかごの中から水筒をとりだし、中の麦茶を飲んだ。

 氷は融けていたが、まだ少しだけ冷たさが残っていた。吉清と伸行にもすすめると、二人とも静かに飲んだ。

「かえろうか」

 吉清が言うと、三人は無言で自転車に乗った。


 帰り道で、智子はまだ少し湿ったままのシャツやキュロットを気にしながらペダルを踏んだ。自転車を漕ぎながら、胸のおくに、さっき見た白いものの姿が浮かび上がった。

……あれ……あの白いかげ……ゆうれいだったのかな……いや、まさかね

 そう考えると、また、背中に冷たいものを感じた。


 タイヤが水たまりに入り、まわりの道路に白く水しぶきをはねとばした。

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