第二章 滝とにわか雨
「行かなきゃ、たんけんにならねえよ!」
そう言って石段を登って行った伸行の背中が、ススキの向こうに消えてから二、三分ぐらい経ったころ。
大きな伸行の声が石段の上の方から聞こえてきた。
「おーい、なんかすげえぞ!」
智子は吉清と顔を見あわせた。
「なにがすごいんだ?」
吉清が石段を登りはじめた。
「ちょっとまって、あたしも行く」
智子は、リュックにスケッチブックをしまって背負うと、吉清に続いて石段を登った。ススキの葉は肌を傷つけるので、ゆっくり登った。階段の上まで登りきったあとはススキの茂みの中を、伸行と吉清が踏んでできた道に沿って慎重に歩いていった。
吉清が、最後のススキを掻き分けた。
智子は、吉清の後ろから前を覗き込んだ。
智子の目の前に、多くの石が点在する河原が広がっていた。その奥の岩の崖の上から、白く細い水が流れ落ちている。
「たきだ」
吉清が小さく呟く。
智子も驚いて滝を眺めた。
「すごい……」
滝の高さは二十メートルぐらいで、それほど水の量は多くない。しかし滝の水は勢いよく岩盤の上をすべり、途中から岩盤を離れると白いしぶきとなって滝つぼに流れ落ちていた。滝つぼは大人がやっと十人入れるぐらいの大きさで、あまり広くない。滝の左と右は、うっそうとした森になっている。
滝つぼから流れ出た水は、石だらけの河原の中を小川になって流れ、その川下はススキの茂みに隠れて見えなくなっている。おそらく、石段の脇にあったせせらぎにつながっているのだろうと智子は思った。
「な! すげえだろ。だれも知らないぜ。こんなところにたきがあるなんて!」
伸行が、滝つぼの前で水しぶきを浴びながら、大きな声をあげていた。
吉清と智子は、石だらけの河原を歩いた。吉清が首をかしげた。
「変だな」
「なにが?」
智子が訊ねた。
「さっきのせせらぎより、たきの方が、水の量が多いみたいだ」
二人で滝つぼの側まで行くと、吉清がまた水の量を測り始めた。
「それってへんなことなの?」
「ふつう、川上の方が水は少なくなるのに、たきのほうが水が多い。変だ」
「ふうん」
智子は、吉清の話を聞き流しながら、振り返って河原を眺めると、あちこちに小石が積み上げられていることに気づいた。それらは、まるで小さな塔のように、いくつも聳えている。塔を作っている石は、みんな白っぽい石だった。
そのうちの一つに智子が近寄った。
「これ……なんだろうね?」
智子は、滝つぼの近くにいる伸行と吉清の方を振り返って訊ねた。
「何かのしるしじゃねえか? 砂利ばっかりだから、だれかがつくったんだろ」
伸行は、智子を横目で見ながら、まだ滝から落ちて来るしぶきを浴びていた。
「……そうか。砂利ばかりだから、たきの水が地面にしみこんじゃうのかも」
吉清は、一人で納得すると、また水の量を測り始めた。
「つまり、たきの水の量から、せせらぎの水の量を引けば、ここで地面にしみこむ水の量がわかるってことだ」
吉清は、手帳で計算をはじめていた。
「二人とも、そんなことするより、ここのけしきをたのしめばいいのに」
智子はリュックを下してスケッチブックを取り出すと鉛筆を走らせた。滝のしぶき、石が積まれた河原、その周りの森……
智子がクロッキーを始めて間もなく、空が暗くなってきた。少し冷たい風が智子の頬を撫でた。
遠くでザザッ……というかすかな雨音がきこえ、すぐに近づいてきた。そして、大粒の雨が降り始めた。
「雨? やだ!」
智子は慌ててリュックにスケッチブックと鉛筆をしまった。
雨は急に激しくなり、まるでシャワーのような勢いになった。
「雨やどりするか、あそこで」
伸行が戻ってきて指差した先に、五、六人が入れそうな岩陰があった。
「もう! 今日はふらないって言ってたのに!」
智子は、リュックを抱えて走りながら、思わず声をあげる。
「とおり雨だよ、すぐやむって」
吉清が落ちついた声で言う。
三人は岩陰へと駆け込んだ。
◇ ◇ ◇
智子たちが岩陰に入ってしばらくすると、雨の音が少しだけ静かになった。
岩の割れ目を伝う水が、ぴちゃぴちゃと音を立てていた。厚い雲のせいで、まわりは急に薄暗くなった。
少し怖いと智子は思った。けれど、「たんけんっぽい」とワクワクする気持ちもあった。
少し気持ちが落ち着いてくると、智子は、ツインテールにしている髪の毛が、雨で首筋に貼りつき重たくなっているのが気になり始めた。それに、濡れたシャツも、体にべっとりと貼りついて、気持ち悪いと思い始めた。
智子は、左右の耳の上で髪の毛を括っていた髪留めを外し、目の前の岩の上に置いた。そして、リュックを開いてタオルを出すと、雨に濡れた髪の毛を拭きはじめた。
「川の一番おくは、たきだったんだね」
吉清が、濡れたメガネを外し、シャツの裾で拭きながら呟く。
「でもよ、たきの上に、まだなんかあるんじゃねえか?」
伸行は岩陰の奥に、滝の上まで登っていけそうな、細い坂道を見つけた。
「ほら、ここからのぼれそうだぞ!」
伸行は目を輝かせ、もう坂道を登り始めている。
「もう……雨がやむまで、まってればいいのに……」
智子は、髪の毛だけでなく、濡れたシャツやキュロットも拭きながら言った。
「ぬれたついでだ。行ってきちゃうぜ!」
伸行は振り返って笑うとそのまま登っていき、すぐに智子から姿が見えなくなった。
智子は、横にいる吉清に小声で言った。
「ヨシくん、ちょっとあっち向いてて」
「なんで?」
「なんでもいいから!」
吉清はしかたなく顔をそらした。
「ちゃんと全部、あっち向いて!」
「えー……」
吉清がしぶしぶ体の向きを変えた。
それを確認すると、智子はシャツの裾をそっとまくり上げた。
「ぬれたままじゃ、気もちわるいもんね……」
シャツをまくり、背中やお腹、そして胸元を覆う下着とその中をタオルで拭きながら、智子は小さく呟いた。
ちょっと恥ずかしい。こんな姿は誰にも見られたくないと思った。
そのとき、智子は岩陰の外で、白いものが動いたような気がした。
「……えっ?」
智子は、その方を見て驚いた。
岩陰の外、少し離れたところで、風に揺れる白いシーツのような白い影が動いている……ように見えた。だが、瞬きをした後には、もうなにも見えなくなっていた。
「ちょっと! 変なことしたでしょ!」
智子は、反射的に振り返って怒鳴った。吉清が自分を驚かせようと、なにか悪戯をしたんじゃないかと思った。
「なにもしてないよ!」
背を向けたままの吉清が、少し怒ったように答えた。
「……ごめん……そうだよね。でも……今、そこに……」
智子は、慌てて下着とシャツを元にもどした。
胸が激しく脈打ち始めた。楽しいときのそれではない。恐怖に突き動かされる鼓動だった。




