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第一章 川のはじまりを探しに

 智子、吉清、伸行が自転車で出かけた日の前日、陽が傾きかけたころ。

 つまり、昨日の午後。


 三人はいつものように智子の広い家に集まっていた。

 智子の家は古い日本家屋であるため、屋根が高く夏でも外より涼しい。十二畳敷の部屋のふすまは開けたままにされていて、広い芝生の庭から、そよそよと風が吹きこんでくる。庭と廊下の間には網戸が閉められているので、蚊も入ってこない。

 傾きかけた陽射しが、よく磨かれた板張りの廊下を照らしている。

 ヒグラシゼミやツクツクボウシの鳴き声が響いていた。


 その畳の部屋に置かれた丸いテーブルの上で、三人は大きな紙の地図を広げていた。

 智子と吉清は顔を寄せ合い、指で川の流れの線を辿っていた。伸行は地図を横目で見ながら、畳の上に置いたクワガタムシの虫籠に昆虫ゼリーを入れていた。

 壁には2014年8月のカレンダーが掛けられている。夏休みも残り一週間と少しだった。今日三人が集まった理由は、そろそろ自由研究をやらないという相談だった。


「……この川が、どこからはじまるか、つきとめるってのは、どうかな?」

 吉清がメガネをくいっと押し上げながら、地図の川を指差した。

「ここからじゃないの?」

 智子は、女の子らしい細く白い指で川の青い線をなぞる。山の近くで青い線はぷつりと途切れている。

「先生が言ってたんだ。川ってほそくなると、地図に出ないんだって」

「じゃあ……ほんものの川のはじまりって、みんな知らないのね」

「だから、ボクらで見つけに行くんだよ」

 吉清の言葉に、智子はわくわくした。

「おもしろい!」

 伸行も虫かごから顔を上げて、笑みを浮かべていた。

「たんけんみたいだな! 行こうぜ!」

「『クルミ川の源流、小学生が発見』なんて、ニュースに出ちゃったりして」

 吉清が子供らしい感想を口にした。だが、智子は少し考えこんだ。

「……でもね……ちょっと気になることがあるんだ」

 智子が、両耳の上から垂れ下がる髪の毛に指を絡ませながら言った。困ったことがあると髪の毛をいじるのが、智子の癖だった。


 智子は、クラスの女の子たちの陰口のことを二人に話した。

「……長尾さんって、いっつも男子と話しているよね」

「……そうだよね。女子なのに」

 学校の廊下でふと聞いてしまった言葉。まだ智子の耳に残っていた。

 男子と一緒に自由研究をやったと知られたら、また何を言われるか解らない。


「女子って、そんなことばっか考えてんのかよ、めんどくせえな」

 智子の「気になること」を聞いた伸行が、呆れた表情をしながら頭の後ろで手を組んだ。

「しょうがないでしょ!」

 智子は叫んだ。

「あたしが悪いんじゃないもん!」

「そんな、つまんねえこと言うやつ、やっつけちゃえよ!」

 伸行は、ボクシングの真似をしてみせる。

「女の子は、男の子みたいにいかないの!」

 智子は、少しむくれてぷいっと横を向いた。

「じゃあさ」

 吉清が言った。

「トモちゃんは『クルミ川の生き物調査』ってことにすれば、いいんじゃない?」

「それだ!」

 伸行が吉清をびしっと指さし、次に、笑いながら智子を見た。

「少しだけ、ちがうのにしちゃえよ。そしたら、いっしょにやったって、わかんねえよ」

 智子もうなずいた。

「……うん。それなら、だいじょうぶかもね」

 三人は、顔を見合わせて笑った。

「じゃあ、明日行こう。トモちゃんの家しゅうごうで」

「はやめの昼めしくって、しゅっぱつだな!」

 智子は、たくさんの期待と、すこしの不安を感じながら、うなずいた。


◇   ◇   ◇


 これが、昨日のできごとだった。


 そして、次の日の昼前。つまり、今日の午前中。

 早めどころか、かなり早い昼食を済ませた三人は、自転車でクルミ川をさかのぼっていった。

 じりじりと照り付ける夏の陽射しの下、三人がペダルを漕いでいくと、川の流れはどんどん細くなり、谷もだんだんと狭くなっていった。


 二時間ぐらい自転車を漕いだ頃だった。

 三人の前に、学校のプール三つ分ぐらいの大きさのため池が現れた。

 水面がそよ風にふかれて、きらきらと輝いていた。


 智子は、自転車を漕ぐのをやめ、片足を地面に着けて、思わず声をあげていた。

「きれい……」

 吉清は、智子の前で、汗を手でふきながら地図を広げた。

「ここみたいだね。川のはじまりって。このさきにはもう山しかないし」

 ため池から勢いよく流れる水路が、川に繋がっている。

 智子は思った。この小さな流れが、やがて家の近くのクルミ川になり、小学校の近くを流れて吾妻川になり、そして利根川に合流して、最後は海にまでつながっていくのだと。

 智子は遥かな水の旅に思いを馳せながら、目を閉じてさわやかな空気をゆっくりと吸い込んだ。


 ため池のそばに、三人は自転車を停めた。

「池のまわり、しらべてみよう」

「その前に、しゃしんとろうぜ!」

 伸行が、自転車の籠から三脚を出し、脚を伸ばし始めた。

 智子がカメラを三脚にセットし、自動シャッターの準備を整えた。ちょうどそのとき、池のほとりに風が吹き、水面を小さく揺らした。だが三脚は安定していた。

「これって、ゆれないし、たおれないのね」

「三本足は、一番安定するんだよ」

 吉清が智子の後ろから答えた。

「じゃあ、オレたちみたいじゃんか」

「そうね。かんたんにたおれないもんね、とくにノブ君は」

「だな! オレは強いから」

 伸行がさっそくカメラの前でガッツポーズを取っている。吉清が伸行の隣に並んだ。

 智子は画角を調整すると、タイマーをセットして二人の隣に並んだ。

 そのとき、強い風が吹いて、智子のツインテールを大きく揺らした。

 パシャリ。

 シャッター音のあと、三人でデジタルカメラの側に行き、写真を覗き込んだ。

「……これ、あたしの髪の毛、逆立ってるし、目つぶっちゃってる……なんかいやだな」

 智子が不満そうに言うと、吉清と伸行はニヤニヤ笑っていた。

「いいじゃねえか」

「風がふいたしゅんかんのしゃしんだよ」

「やあよ……とりなおそう!」

「一回だけだぜ!」

「だね。きりがないもんね」


 今度は上手く記念写真が撮れたので、智子は上機嫌で自転車の籠から小さいリュックを取り出した。中には筆箱、タオル、そして三脚から外したデジタルカメラだけを入れて背負った。手には鉛筆を挟んだ小さなスケッチブック。重い水筒と草花の標本は籠に置いておくことにした。

 吉清は、水路の幅と深さを折り尺(折りたたみできる定規)で測り、流れの速さをストップウオッチでしらべていた。

「なにやってんだ?」

 三脚をたたみながら、伸行が聞いた。

「池からでる水の量をはかっているんだ。こういうデータがあると、かっこいいだろ。あとで家の近くでもはかって、比べるんだ」

 吉清が、測った数値をメモ帳に書き込んでいた。

「へえ」

 智子は、少し感心しながら、ため池のクロッキーを始めた。データより、美しい風景を見たり、描いたりするほうが智子は好きだった。池やススキや水の流れを見ながら、智子は小さなスケッチブックの上で鉛筆を動かしていく。

 きらめく水面、ゆれるススキ、勢いよく流れる水路……その一つ一つを、智子は小さなスケッチブックに描きこんでいった。


◇   ◇   ◇


 池のまわりを半分歩いた三人の前に、山に続いている石の階段があらわれた。その階段のとなりには勢いよく水の流れるせせらぎがあり、ため池へ流れ込んでいた。

「ほんとの川のはじまりって、この上じゃねえか?」

 伸行が石の階段の上のほうを指さして言う。

 吉清が、せせらぎの水の量を測りながら応える。

「それっぽいね」

「じゃあ、ここも行くか」

 伸行が登ろうとしている石の階段を、智子は見上げた。古く苔むしており、上の方がススキで覆われて見えない。

「……なんか、きみがわるい」

 智子が小さな声でつぶやいた。

 さっきまで青空だったのに、雲が急にふえてきた。

「なんか天気もわるくなってきたね」

 吉清が言った。

 肌にささるような陽射しは雲に遮られ、谷に影が落ちていく。

 遠くで雷の音が、ごろごろと響いていた。

「行かなきゃ、たんけんにならねえよ!」

 伸行は、石の階段に一歩足をかけ、そのまま大股で登って行った。

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