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プロローグ

 あの夏の暑い日。

 川のはじまりを探しに、三人で出かけた半日の旅。

 滝で白い影を見て、大切なものを置いてきてしまった日。

 あれが、三人にとって最初の冒険だったのかもしれない。

 智子(ともこ)は、そんな気がしている。


 肌に突きささるような、暑い夏の陽射し。

 白い入道雲が、綿菓子のように空高く盛り上がっていた。

 アブラゼミの鳴き声が、じりじりと響いていた。


 山あいの細い道を、三台の自転車が走っていた。道の脇には、小川が流れている。

 最後尾で一生懸命にペダルを漕いでいるのは、小学五年生の長尾(ながお)智子(ともこ)だった。

両耳の上で結んだ濃い栗色のツインテールが、ペダルを漕ぐたびに、ふわり、ふわりと揺れていた。丸く大きな目が、頑張って前を見ようとしているが、疲れてきたのか、斜め下を向いてしまっていた。端正な顔の上に流れる汗が、頬を伝って首筋を垂れ、水色のシャツの中にまで染みこんでいた。


 智子は、とめどなくたれてくる汗を「きもちわるい」「たちどまって、ふきたい」と思っていた。汗はシャツを通り過ぎて、キュロットの中にまで染みこんでいるような錯覚さえ感じる。それなのに前の二人は、平気な顔で自転車を漕いで、どんどん先を走っている。

「ヨシくん、ノブくん! そんなにとばしたら、あぶないよ!」

 息を切らしながら、智子は叫んだ。本当は、二人について行くのがつらくなっていたのだが、それを口に出すのは悔しかった。


 キキッ。

 真ん中を走っていた同じく小学五年生の村上(むらかみ)吉清(よしきよ)が、ブレーキをかけ、片足を地面につけた。

「ノブちゃん、ちょっと休んでいこうよ。トモちゃんが、つかれてるみたいだ」

 吉清が、ずり下がっていたメガネを指でくいっと持ち上げて、正しい位置に戻した。いつも落ち着いている吉清らしい仕草だった。吉清の履いている薄茶色の長ズボンは、ときどき吹く風に揺れていた。淡い枯れ葉色をした首周りのゆったりとしたシャツも、風に吹かれて裾が揺れていた。智子には、その様子が、やけに涼しそうに見えた。


 一番前を走っていた真田(さなだ)伸行(のぶゆき)は、自転車を停めると顰め面で振り返った。小学五年生の割には背が高く体も大きい伸行は、白いタンクトップから覗く日焼けした腕を組んで文句を言った。黒いハーフパンツから覗く足もよく日焼けしていた。

「まだまだ、とおいんだろ? これじゃ、あそぶ時間、なくなっちまうぜ」

 智子は、伸行の言葉に少し腹を立てた。

「ノブくん、さっきから『はやくいこう』ばっかりね」

 智子は、伸行の言葉に抗議するかのように、自転車を降り、道路の脇に停めた。そして、自転車の籠に入っているリュックからタオルを取り出し、額と首筋の汗を拭いた。さらに水筒を取り出して中の麦茶を飲んだ。氷が残っているせいか冷たくておいしい。智子は、怒っていたことを少しだけ忘れた。


 顔を上げると、目の前の青々としたススキが風に揺れていた。そのススキの茂みの上を、スイッと飛んでいく大きなトンボがいた。オニヤンマだった。

 智子は自転車の籠からデジタルカメラを取り出し、オニヤンマの姿を追いかけた。その姿を撮り続けているうちに、智子は、怒っていたことをすっかり忘れていった。智子は、リュックから小さなスケッチブックを取り出して、クロッキー(すばやく絵を描くこと、または素早く描いた絵のこと)をしはじめた。


「ボクらはそれでもいいけど、トモちゃんがこまるんだよ」

 吉清が、智子の様子を見ながら穏やかに言う。

「トモちゃんは、川の生きものを、しらべないといけないんだから」

 伸行が口を尖らせる。

「めんどうくせえな」

 伸行の言い草に、智子はまた少し腹を立てた。

「少しぐらいまってよ。せっかちね」

 伸行は、頭の後ろで腕を組み、からかうような口調で言った。

「まあ、少しぐらいなら、まってやらないこともないぜ」

「もう! ほかに言いかたないの?」

 智子はスケッチブックで伸行を叩こうとしたが、さっと伸行にかわされる。また智子が叩こうと近づくが、伸行にひょいっと逃げられる。のらりくらりと逃げる伸行を智子はむきになって追いかける。

「まちなさいよ! もう!」

 吉清は、二人の様子を見て、地図を広げながら呟いた。

「……ほんとうに仲いいよな、ふたりとも」

 

 智子は、オニヤンマを描き終えると、スケッチブックをリュックに戻した。そして、ススキの穂を一つ摘み、ビニール袋に入れて籠の中にしまった。後で夏休みの自由研究の材料にするつもりだった。

最後に、リュックのポケットからスプレーを取り出し、首筋にシュッとひと吹きした。祖母が買ってくれたお気に入りのデオドラントだった。

「いいにおいだね」

 漂ってくる芳香を嗅ぎながら、吉清が言った。

「そうでしょ? あせのにおいも気にならなくなるんだ、これ」

 智子が嬉しそうに言うと、伸行がまたニヤニヤしながら口をはさむ。

「べつに、あせのにおいぐらい、したっていいじゃねえか」

 智子は、また頬をぷっと膨らませて怒鳴った。

「女の子は、男の子みたいにいかないの!」


……男の子みたいにいかないの……

 智子は、昨日の午後に、同じ言葉を叫んだことを思い出していた。

 川のはじまりを探しに行こうと三人で話しあった、あの風の通り抜ける畳の部屋でのことを。

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