61・勝者の意図は(第三者視点)
元々、ソベリオン帝国の前身であったアダマン王国の民は、総じて魔力が低かった。王侯貴族さえも。ゆえに長い歴史を誇りながら辺境の小国に甘んじていたのだが、突然変異的に生まれた規格外の魔力を誇る王子……後の初代皇帝によって、小さな王国は帝国と呼ばれるまでに急成長を遂げた。
初代皇帝は征服した国々から魔力の高い者を連れ去り、積極的に自国の民と娶せたので、現代では帝国人にもそこそこ高魔力の主が生まれるようになっている。リュディガーはその最たる一人であろう。
低すぎる魔力の代償か、補うためか、アダマン王国の民は生まれつき体格に恵まれ、身体能力が非常に高かった。身体強化の魔法を使えなくても、魔法で強化された兵士と同等の強さを誇ったと伝わる。小なりといえども国家として、独立を保てた一因でもあろう。
ジークフリートはそのアダマン王国の民の素質をそっくり受け継いだ、言わば先祖返りだ。魔力偏重を快く思わないアダマン王国時代以来の貴族から、ジークフリートが強い支持を受ける理由の一つでもある。
低い魔力と引き換えの、理不尽なまでの身体能力。素手で岩石を砕いたとされる膂力。
その数分の一も込められていないだろう一撃は引き裂かれた空気をまとい、ブン、と唸りを上げた。
まともに喰らえば肩の骨が砕かれる。かと言って下手に剣で受け流そうとすれば威力を相殺しきれず、腕の腱がちぎれてしまう。
避けるしかない。
騎士として学んできた常識が弾き出した判断とは正反対の行動を、リュディガーは取った。身体強化の魔法を両腕に発動させ、ジークフリートの大剣を受け止めたのだ。
「ぐ……っ」
(なんて力だ……!)
魔力で強化してもなお、痺れそうなほどの衝撃が交差した刃先から伝わってくる。
最後に手合わせをしたのはもう何年前なのか。あのころより確実に強く、いや、手強くなっている。そう感じたのはリュディガーだけではなかったらしい。
ギィンッ!
さらに力を込めたジークフリートがリュディガーの刀身を弾き、その反動を利用して下がりながら、横薙ぎの一撃を繰り出す。ジークフリートの膂力でなければ不可能な速さで。
最初の攻撃を避けていたら、たぶんこの横薙ぎを立て続けに叩き込まれていた。リュディガーは血反吐を撒き散らし、無様に転がされたところにとどめを刺されていたはずだ。
だが、今なら。
リュディガーは身体強化の魔法を解除し、今度は魔力を素早く地面に注いだ。リュディガーの意志に呼応した土が、何本もの巨大な棘と化して二人の間に隆起する。
ジークフリートの大剣はそれさえも粉砕したが、リュディガーを捉えることはできず、威力を失った。
わああっ、と観客席から上がったのは、必ずしも好意的な歓声ばかりではない。実戦ならまだしも一対一、しかも皇帝陛下の御前試合で魔法などという『帝国武人らしくもない卑怯な手段』を用いたリュディガーに対する非難も混じっている。
(くだらない)
武人とは生きるために戦う者のことだ。魔力とて生まれ持った力に変わりはない。生きるために持てる力を使う。それのどこが卑怯だというのか。
そう切って捨てつつも、リュディガーは特別席を窺ってしまう。もしもガートルードが、非難の眼差しを投げかけてきたら――。
埒もない危機感は、安堵と憂いの混ざり合う表情が打ち消してくれた。だがすぐに新たな不安が取って代わる。
ガートルードは案じ、無事を喜んでくれている。
(……どちらの?)
騎士団の貴婦人として、ジークフリートの?
剣を捧げられた淑女として、リュディガーの?
「成長したな」
ふっと笑い、ジークフリートはうっとうしい羽虫でも追い払うかのように土の棘を粉砕した。大剣を構え直した長身が、一瞬で間近に迫る。
「っ……」
「知識より直感を優先できるようになったか。だが、感情の制御には不慣れなようだな」
幅広の刀身は、リュディガーが距離を取ることを許さない速さで襲いかかってきた。避けても弾いても、次の一撃がすぐさま繰り出される。
「可愛いやつだ」
「……っ……」
剣を交えている現実を忘れてしまいそうになるほど甘く優しいささやきに、一瞬、リュディガーの頭は真っ白に染められた。
魔法を放つことすらできない、無防備な瞬間。魔獣討伐で鍛えられたジークフリートが見逃すわけがない。
「ぐぁっ……!」
がら空きになったわき腹に強烈な一撃が叩き込まれる。
ほんの数秒、意識を手放したのだろう。ふと気づいた時、リュディガーはあお向けで地面に倒れていた。
実戦なら首を取られるまで続くが、これは試合だ。倒れてしまった時点で勝負はついている。
「……勝者、ジークフリート・ブライトクロイツ卿!」
審判役の騎士が高々と手を挙げ、宣言すると、練兵場は割れんばかりの歓声とどよめきに包まれた。
純粋に二人の健闘を称える者、近衛が対魔に負けるなど情けないと貶す者、いいざまだとリュディガーを嘲笑う者、ジークフリートの勝利に沸く者……混沌とした空気をものともせず、大剣を鞘に収めると、ジークフリートは悠然と歩み寄ってくる。
差し出される手を取るのに葛藤はなかった。共に鍛練に励んでいたころは、よくこうして叩きのめされては助け起こされていたものだ。
「……ティアナはブライトクロイツ公爵邸にいる」
「っ!!」
耳元でささやかれ、目をむくリュディガーにジークフリートは『表情を変えるな。黙って聞け』と警告する。ブライトクロイツ公爵を警戒しているのか。それとも……。
「公爵には絶対に手出しさせない。だからお前も、公爵がなにを要求してこようと拒め」
「……、……」
リュディガーの返事を待たず、ジークフリートは背を向けた。ひときわ大きくなる歓声の中、特別席から神使にエスコートされたガートルードが降りてくる。その手に花冠を持って。
「我らが貴婦人に、我が勝利を捧げる」
ジークフリートはひざまずき、うやうやしくガートルードの手の甲に口づける。その左腕で白絹のリボンが誇らしげに揺れる。
生まれて初めて、リュディガーは胸の奥が焼けつくような熱さと痛みにさいなまれた。血筋、身分、容姿、才能。すべてにおいて恵まれていたがゆえ、味わわぬままだった感情……ジークフリートを押しのけてでもガートルードの関心を独占したいそれが、嫉妬と呼ばれることすら知らぬまま。
「……貴方の勝利を、ガートルードは至高の喜びと共に受け取ります。我が栄光の騎士よ」
ガートルードは微笑み、ジークフリートの頭に花冠を載せる。
試合の勝者に貴婦人から与えられる定番のそれは、本来はコンスタンツェが用意し、勝者に被せられる予定だったはずだ。だがコンスタンツェが途中退場してしまったため、ガートルードが代理を務めることになったのだろう。
白薔薇、白のラナンキュラス、かすみ草、白百合。白い花々ばかりで造られた花冠は、黒髪のジークフリートによく映えた。まるで王冠のように。
そう感じたのはジークフリートだけではなかったのだろう。
「素晴らしい……さすが我が息子だ!」
立ち上がったブライトクロイツ公爵が興奮の面持ちで拍手を送る。それが呼び水となり、練兵場は万雷の拍手と歓声に満たされる。対魔騎士団を蔑視する者たちさえ、今のジークフリートを称えずにはいられまい。
ちらと窺ったアンドレアスはてのひらを打ち鳴らしてはいるが、無表情だ。決して低くない帝位継承権者、しかも敵対する公爵の息子が人望を高めているというのに、端整な顔には不快感も焦りもにじんでいない。
いや……むしろ、どこか満足そうな……?
不可解な感覚でどうにかなってしまいそうだった。まるで盤石な大地だと思っていたものが薄氷に過ぎなかったような、ふとした弾みで踏み抜いてしまいそうな――。
(……ティアナ、お前はなぜ……)
確かにブライトクロイツ公爵なら、ティアナを手引きし、自邸にかくまうことなど簡単だろう。だが貴族婦人としては終わったも同然の彼女を手元に置き、公爵になんのメリットがあるというのか。
『公爵には絶対に手出しさせない。だからお前も、公爵がなにを要求してこようと拒め』
ジークフリートの言葉から推測すれば、リュディガーを操るための人質か。
帝位を狙う公爵が、リュディガーを……近衛騎士団団長を操り人形にしたい理由。数年ぶりの帰還を果たしたジークフリート。
リュディガーの背筋を、冷たい汗が伝い落ちた。




