54・転生ものぐさ皇妃とおとぎ話の蛙
刻限が迫り、ガートルードはレシェフモートのエスコートで閲兵式の行われる練兵場へ向かった。同行するのはエルマだけで、ロッテは留守居として宮殿に残っている。
普段は各騎士団が訓練を行っているという練兵場は、この日のためにアンドレアスが建造させたという見事な彫刻の施された凱旋門に、三階造りの観客席まで備え、前世の古代ローマのコロッセオを連想させられる。
「皇妃殿下のおでましだ……!」
ガートルードがレシェフモートに手を引かれて現れると、観客席からどよめきが上がった。
古代ローマのコロッセオがそうだったように、身分の高い者ほど練兵場に近い観客席が割り当てられる。皇帝やその一族、侯爵以上の高位貴族は一階、伯爵や子爵などの中位貴族は二階、男爵や一代限りの騎士爵などの下位貴族は三階だ。
「なぜ、紅色をお召しではないのだ?」
「皇妃殿下も皇族のお一人となられたのに……」
「帝国の色には染まらぬ、という意志表示か?」
ざわめきがやや剣呑な方へ流れかけた時、一階席のどこかからひそやかな……だが不思議とよく通る貴婦人の声が上がった。
「わたくし、聞きましたわ。なんでも皇妃殿下に紅色をお召しにならないよう、皇后陛下がお命じになったとか」
「わたくしも。聖ブリュンヒルデ勲章をお持ちの皇妃殿下はお断りすることもできたのに、皇后陛下を哀れまれ、受け入れられたそうですわね」
別の貴婦人が応じた瞬間、流れは一気に変化する。ガートルードへの非難から同情と称賛、そしてコンスタンツェに対する憤りへと。
「なんという懐の深さか……とても六歳とは思えぬ」
「やはり、歴史ある国の正統なる王女殿下としてお生まれになったお方は、どこぞの伯爵令嬢とは度量が違うな」
「皇后陛下も皇后陛下だ。ご自分だけ紅色をまとって得意満面とは、厚顔無恥にもほどがあろうに」
皇帝アンドレアスが四人しかいない破邪魔法使いを帝都に留めていたせいで、対魔騎士団が浄化魔法なしでの戦いを強いられていたことは周知の事実だ。それがヴォルフラム皇子の治療のため、ひいてはコンスタンツェの立場を守るためであったことも。
刺々しい視線はコンスタンツェに、そして夫であるアンドレアスにも向けられた。ヴォルフラムは幼少の上、病み上がりの身体に屋外での長時間の行事は酷ということで不参加だが、参加していれば非難の的になっただろう。
皇帝とその一族のための特別席、その中央にアンドレアスと共に並んだコンスタンツェは鮮やかな紅色のドレスをまとっている。
引き締まった長身や女性らしい身体のラインを美しく描き出すそれは黒貂の縁取りが施され、胸元の大粒のルビーのチョーカーや、皇后の証であるルビーとダイヤモンドのティアラもあいまって、コンスタンツェを豪華絢爛に飾り立てていた。
(す、すごいゴージャス……)
アクセサリーのルビーや黄金が太陽の光を弾き、少し離れたところからでもきらきらとまばゆく輝いて見える。これは皆の注目を独り占めだろう、と思ったガートルードだったが。
(なんだか、わたしの方が見られてる、ような?)
ような、ではなく実際に見られている。コンスタンツェと対照的な白一色の装いは、コンスタンツェが非難される分ガートルードをいっそう愛らしく、白い花から生まれた穢れない姫君に見せるのだ。
ガートルードの並外れた美貌があってこそ、ではある。だがきっかけは間違いなく一階席から上がった声だ。
声の主はアッヘンヴァル侯爵夫人アーデルハイトである。ロッテはコンスタンツェの不遜な命令を、縁のあるアーデルハイトにこっそり伝えておいたのだ。アーデルハイトは当意即妙に応じ、この流れができあがったわけである。
首を傾げるばかりのガートルードは当然そんな周囲には気づいていない。レシェフモートが『人間もなかなか使えるな』と、かすかにだが感心した表情を浮かべていることにも。
「参りましょう、我が女神。皇帝も待っております」
「え、ええ……」
レシェフモートに促され、ガートルードはとまどいながら豪奢な椅子が並べられた特別席に向かう。すでに着席していた皇帝夫妻が立ち上がったのは、息子の命の恩人への恩義と女神シルヴァーナに対する敬意、両方を込めてだろう。
「ガートルード皇妃殿下、よくおいでくださいました。そのドレス、独特なデザインですが、よく似合っておいでですわ」
コンスタンツェがガートルードにはまだない胸を張り、長身からガートルードを見下ろした。ガートルードはなんとなく、前世のおとぎ話……牛よりも己を大きく見せようと、必死に身体を膨らませていた蛙を思い出す。
(あの蛙、確か最後には膨らみすぎて弾けちゃったんだっけ)
「皇妃、大儀だったな」
長身を軍服に包んだアンドレアスが短くねぎらう。
軍服と言っても皇帝のものだから、金モールや勲章で飾り立てられた儀典用の豪華な衣装だ。色はコンスタンツェよりくすんだ紅色。白貂の毛皮が裏打ちされたマントを羽織り、威風堂々たる空気を醸し出しているけれど。
(……違う……)
ガートルードは直感した。この人はあの夜、ヴォルフラムを守るため、隠し通路から現れたアンドレアス……ガートルードに超アンドレアスと呼ぶことを許してくれた人ではないと。
同じ肉体、同じ声、同じ顔。
なのに、なにかが違う。なにが、とはうまく説明できないけれど、たぶんこの人は絶対、超アンドレアスと呼んでいいぞと笑って許してくれたりはしない。ヴォルフラムのために夜中忍んでくることも、絶対にない。
(皇后陛下は、気づいていないみたいだけど……)
ちらりと向けた目が、ばっちりコンスタンツェと合った。じっとガートルードを見ていたらしい。
ふっ、と浮かべた余裕の嘲笑は、夫がガートルードにそっけない態度を取ったゆえか。
この人も変わったな、と思う。そう何度も顔を合わせたわけではないけれど、なんというか……。
(……余裕が、ない?)
ガートルードを帝国に迎えた時は、良くも悪くもガートルードが眼中に入っていなかったと思う。夫の寵愛を争う相手にはなり得ない安心感と、息子のために人生を台無しにさせてしまった罪悪感が混ざり合い、ヴォルフラム同様庇護しなければならない相手だとみなされていたはずだ。
でも今は、まるでガートルードがアンドレアスの寵愛を奪っていく仇だと思われているような……。
(えっ……ひょっとして、わたしに紅色を着せたくなかったのって、夫と同じ色を着せたくない、っていうのもあったりする……?)
いやいや、こちとら六歳の幼女ですが。親子くらい年上の男性(しかも妻子持ち)とどうにかなりたいなんて、死んでも思いませんが! と心の中で絶叫するが、コンスタンツェに届くはずもない。
それどころか、ガートルードが悔しがっていると受け取ったらしいコンスタンツェにまた愉悦の笑みを浮かべられる始末。貴族たちの非難の視線を浴びながらこの余裕、さすが皇后と称賛すべきなのか。背後でエルマのドン引きする気配を感じる。
「我が女神」
甘いささやきと共に身体がふわりと浮かんだ。ガートルードを横抱きにしたレシェフモートに、貴婦人たちのうっとりとした眼差しと、紳士たちの羨望の眼差しが集中するが、レシェフモートは歯牙にもかけない。金色の瞳に映るのはガートルードだけだ。
「禽獣にも劣る虫けらなど、ご覧にならないで。踏みつぶしてやりたくなってしまいますから」
昨夜、狼蜘蛛の本性に戻った魔獣の王が言うと洒落にならない。いや、レシェフモートは洒落なんて言わない。常に本気だ。
「わ、わたしはレシェしか見ていないわ」
「ああ、我が女神……」
うっとりと金色の双眸を細めたレシェフモートが皇帝夫妻に背を向けて歩き出し、ガートルードはほっと胸を撫で下ろした。練兵場がぺちゃんこにされる悪夢は回避されたのだ。




