39・隻眼の騎士、皇帝と対面する(第三者視点)
コンスタンツェが衣装部屋で立ち尽くしていたころ、皇帝アンドレアスの執務室には三人の男の姿があった。
一人はもちろん部屋の主たるアンドレアス。二人の間の壁際に控えるリュディガー。
そして、最後の一人は。
「拝謁のお許しを頂き、恐懼のいたりにございます。対魔騎士団団長ジークフリート・ブライトクロイツ、帰参のあいさつにまかりこしました」
手本のような礼を取る隻眼の騎士――ジークフリートだけ色彩が異なる。黒髪にオパールの左目のジークフリートに対し、アンドレアスとリュディガーは金髪に翡翠の瞳だ。
だがこの三人の父親は先々帝の三兄弟。アンドレアスは次男の先帝ルドルフを、リュディガーは三男のフォルトナー公爵を、ジークフリートは長男のブライトクロイツ公爵を父に持つ従兄弟同士である。
歳が近いこともあり、幼いころからよく遊んだ。やんちゃなアンドレアスが引っ込み思案なリュディガーを冒険に連れ出し、年長のジークフリートがそっと見守るような、そんな関係。
いつでも穏やかで頼もしいジークフリートは、リュディガーのひそかな憧れだった。両親が妹ティアナにしか愛情を示さなかったので、よけいに慕わしく思えたのかもしれない。
彼の妹エリーゼとアンドレアスが婚約し、未来の義兄弟になると決まった時は嬉しい反面、少しアンドレアスに嫉妬した。ジークフリートを兄と呼べるのがうらやましかった。……だからと言ってティアナと結婚して欲しいなんて、絶対に思わなかったが。
エリーゼはティアナと違い、慎ましやかでおっとりとした、心優しい少女だった。同じ貴族令嬢でもここまで違うのかと当時はしょっちゅう感心していたものだ。
エリーゼなら良き皇后になるだろうし、ジークフリートは皇帝の右腕として頼りにされるだろう。自分もフォルトナー家の当主として従兄弟たちを支える。
……思い描いていた輝かしい未来は、婚礼の直前、エリーゼが病死してしまったことにより断ち切られてしまったのだが。
妹の死後、ジークフリートは公爵家も皇帝の右腕の座も捨て、対魔騎士団に身を投じた。
それはきっと無言の抗議だったのだろう……、とアンドレアスとリュディガーは苦い思いを噛み締めた。エリーゼに仕える騎士だったコンスタンツェと反対を押し切って結ばれたアンドレアスと、それを止めなかったリュディガーに対する。
止めなかったわけではない。伯爵家出身で後ろ楯が弱すぎるというだけで厳しいのに、エリーゼの護衛騎士だったという過去は非難の的になる。特にエリーゼを可愛がっていたブライトクロイツ公爵は、間違いなくアンドレアスに隔意を抱くだろう。
エリーゼ以外の令嬢を娶るのは仕方がない。皇帝が独身を貫くなど許されないのだから。
だがコンスタンツェだけはやめるべきだと、リュディガーは何度も説得を試みた。身内を敵に回して良いことなどなにもない。
しかしアンドレアスは『人の心は何者にも縛られない』と主張して譲らず、その決意を貫き通した。やんちゃなようでいて皇帝の責務を嫌というほど教え込まれ、自由の少なかったアンドレアスがそこまで望むのなら……と思ってしまった。
ジークフリートにとってはその妥協こそ許せなかったにちがいない。
何度催促しても、ジークフリートは辺境へ旅立ったきり戻らなかった。今回も帰還命令を無視されるかもしれないと危惧していたが。
(帰ってきてくれて良かった)
素直にそう思える自分には、まだきょうだいのように過ごしていたあのころの気持ちが残っていたらしい。ジークフリートとアンドレアスはどうか、わからないけれど。
右目を覆う眼帯が、あのころの思い出まで覆い隠してしまっているように見える。
「よく戻った、ブライトクロイツ卿。長きにわたり帝国のため尽力してくれたことに感謝する」
「ありがたきお言葉。散っていった仲間たちにも聞かせてやりとうございました」
ねぎらうアンドレアスに、ジークフリートはやや棘のある返事をする。救援も兵站も滞りがちだったことを責めているのだ。
「……兵站の管理責任者は、職務怠慢と横領の罪で捕縛した。地震の混乱が治まり次第、厳罰を下す予定だ」
「次の責任者が現場の実情を把握していることを願います。浄化魔法の遣い手も派遣して頂けるのでしょうな?」
「むろんだ。すでに手配してある」
「それは重畳。ガートルード皇妃殿下にはお礼の言葉もございませぬ」
取りつく島もない、とはこのことだろう。
広大な帝国にも四人しか存在しない破邪魔法使い。彼らの操る浄化魔法なくして、魔獣討伐は回らない。
アンドレアスはそれを承知の上で、彼らをヴォルフラムの治療に当たらせた。あまたの対魔騎士団団員、帝国のため必死に戦う者の命よりも、ベッドから起き上がることすらできない息子の命を優先したのだ。
ヴォルフラムが健康を取り戻し、元気に動き回れるようになったのはガートルードのおかげ。破邪魔法使いたちが激務から解放され、対魔騎士団に随行できるようになったのもガートルードのおかげ。
ついでに言うならジークフリートや対魔騎士団がこうして帝都に戻ってこられたのも、ガートルードが魔獣を消滅させてくれたおかげ。
なに一つお前の手柄ではないと、ジークフリートのオパールの瞳は語っている。
「……陛下」
和やかさのかけらもない凍りついた空気を、ジークフリートの弦を弾くような声が震わせた。
「対魔騎士団団長ではなく従兄弟ジークフリートとして、一度だけお尋ねすることをお許しください。……なぜ、コンスタンツェ陛下を選ばれましたか」
「ジ、……ブライトクロイツ卿!」
あまりに直截な質問にリュディガーは押しとどめようとするが、当のアンドレアスが手を挙げ、リュディガーを制する。聞くつもりなのだ。
「コンスタンツェ陛下以外にも、陛下のお相手としてふさわしい令嬢は何人もいらしたはず。なのになぜ、万難を排してまでコンスタンツェ陛下を選ばれたのか。破邪魔法使いを帝都に縛りつけてまでヴォルフラム皇子殿下を生かされたのか、お聞きしたい」
それは誰もが心の中で何度も抱いた疑問だった。だが皇帝相手にここまではっきりとぶつけたのは、ジークフリートが初めてだろう。
(エリーゼが亡くなった時すら、なにも言わず去っていったのに。なぜ、今になって)
愕然とするリュディガーの前で、アンドレアスはおもむろに口を開く。
「決まって『た』いる。コンスタンツェ『す』が愛おし『け』いからだ」
「……陛下?」
ジークフリートが怪訝そうに眉を寄せる。なめらかに紡がれる言葉に交じる不可解に跳ね上がる音に、話している本人だけが気づいていない。
「人の心は『じー』何者にも縛られな『く』い。私は己の心に従ったま『たす』でだ『けて』」
「……アンドレアス……?」
懐かしいジークフリートの呼びかけに、アンドレアスはぱちぱちと翡翠の瞳をしばたたいた。かすかに震える手で左胸を押さえ――ぎり、と歯噛みした瞬間、リュディガーの背筋に寒気が走る。
(……誰だ、あれは?)
アンドレアスだ。物事ついたころからずっと一緒だった従兄で、幼なじみだ。
わかっている。疑ったことなんてない。
なのに、なんなのだろう。
この、得体の知れない違和感は――。
「……少し、気分が優れぬ。すまぬが対面はこれまでとして欲しい」
左胸から手を離したアンドレアスは、いつものアンドレアスだった。変わったところなどどこにもない。
変わったのは。
「承知しました。これにて失礼いたします。どうかお身体をお厭いください」
ジークフリートは一礼し、身をひるがえす。リュディガーが見送るために追いかければ、小声で耳打ちをしてきた。
「この後、皇后と会う。お前も来い、リュー」
ついさっきまでのリュディガーならありえなかった。
懐かしい呼び名に胸が弾むことも、一も二もなく頷くことも。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
お年賀代わりに、今日から五日まで連続更新する予定です。お楽しみ頂けますように。




