38・皇后とブライトクロイツ公爵令嬢(第三者視点)
モルガンとの最初の交渉を終え、コンスタンツェは奥の宮殿に戻ってきた。夫アンドレアスはそのまま中の宮殿に残り、執務に当たっている。
「お帰りなさいませ、コンスタンツェ様」
コンスタンツェの姪に当たる侍女、ニーナが迎えてくれてほっと緊張がほどけた。内密の場ゆえ、腹心の彼女すら連れて行けなかったのだ。
「ただいま、ニーナ。なにか変わったことはあったかしら。ヴォルフラムはどうしていて?」
「ヴォルフラム殿下はヘルマンさ……、ヘルマンと一緒に講義を受けておいでです」
ガートルードのとりなしによりヴォルフラムに謝罪をしてから、ヘルマンはこの奥の宮殿に毎日通うようになった。これまでは遊び相手としてだったが、今は小姓見習いとしてだ。
遊び相手は皇子と貴族子弟という身分差こそあるが、侯爵家の嫡男、皇族の血を引く貴公子として尊重される。扱いとしてはお客様だ。このころはニーナも『ヘルマン様』と呼び、うやうやしく接していた。
対して小姓は幼少時から主人のそば近くに仕え、身の回りの世話や警護などを受け持つ臣下である。明確な上下関係が発生するのだ。だからニーナとも朋輩となり、同格に扱われる。
この扱いの変化は祖父アッヘンヴァル侯爵の希望によるものだった。
自分もこれからはびしばししごいて曲がった性根を叩き直していくが、身内では甘えが出てしまうかもしれない。ヴォルフラムへの恩返しも兼ねて小姓として出仕させて欲しいと頼み込まれてしまったのだ。
コンスタンツェとしては断りたかった。訓練とはいえ世継ぎの皇子であるヴォルフラムに手加減なしで攻撃を加え、帝国を揺るがしかねない事件まで起こした――それだけではない。
母ティアナの影響を強く受けた傲慢な性格が不安だったのだ。ニーナを自分のメイドのように扱い、皇后のコンスタンツェにすらぞんざいな口をきく姿は、結婚前のティアナを彷彿とさせた。
だがティアナはとうとうニクラスと離婚させられ、実家に戻ってしまったという。今後、ヘルマンの教育に関わることは許されないし、息子との対面の機会もほとんど与えられないだろう。
母を失ったも同然のヘルマンを哀れに思い、コンスタンツェはアッヘンヴァル侯爵の願いを聞き届けた。
己がどれほどの罪を犯したのか、アッヘンヴァル侯爵と夫人のアーデルハイトにこんこんと諭され、ヘルマンもさすがにわがままなふるまいは鳴りをひそめている。いまだニーナには尊大になることもあるし、侯爵子息だったころの意識も抜けきらないようだが。
『仕方ありません、母上。長い年月をかけて身についた感覚を改めるのは、やはり時間がかかるものです。長い目で見てやらなければなりません』
当のヴォルフラムは泰然としていて、苛立つ様子もなかった。ヘルマンの謝罪を寛容に受け入れたことといい、やはりあの子は年齢よりもかなり大人びている。しかも聡明だ。六歳のヘルマンでも付いていくのが難しい講義を完璧に理解し、家庭教師を驚かせた。
少しずつ体力もつき、武術も身につけ始めている。こちらも指南役の騎士が『なかなかの素質だ』と感嘆していた。
さすがはアンドレアスとコンスタンツェの子、とコンスタンツェは鼻が高かった。やはりあの子は素晴らしい才能の主なのだ。今までは瘴気のせいで発揮できなかっただけで。
このまま健康でいてくれれば――アンドレアスに似た偉丈夫に育ってくれれば、もう『欠陥品』だなんて呼ばせない。コンスタンツェも世継ぎの生母として重んじられるようになる。決して子を産めないガートルードよりも。
そう思っていたのに。
(ガートルード皇妃とフローラ王女を交換だなんて、認められるわけがないでしょう)
コンスタンツェよりも若く、評判の美姫で、まだ何人でも子を産めるだろうフローラ。
彼女がガートルードの代わりに皇妃となり、万が一にでもアンドレアスの寵愛を受けて子を産むことがあれば……それが皇子なら、コンスタンツェとヴォルフラムの地位はおびやかされてしまう。
だから、アンドレアスがモルガンの厚顔無恥な申し出を断ってくれた時は安心した。しかし交渉はまだ始まったばかりだ。外務大臣は乗り気のようだったし、これからいったいどうなるのか……。
「……講義が終わったら、二人に軽食を出してちょうだい。他には?」
軽い頭痛を覚えながら聞けば、ニーナは気遣わしげな表情で答える。
「ブライトクロイツ公爵子息ジークフリート様から、先触れがございました。半刻後、コンスタンツェ様にお目通りを願いたいそうです」
「……っ、……」
(ジークフリート様が……)
かつての主人の兄が辺境から帰還したことは、コンスタンツェも知っていた。いつかは顔を合わせることになるとは思っていたけれど、あちらから出向いてくるとは……。
「……お断りいたしますか?」
心配そうに尋ねるニーナに、コンスタンツェは首を振った。
「『紅玉の間』に通してちょうだい」
「よろしいのですか……?」
ニーナがますます心配の色を濃くする。紅玉の間はこの奥の宮殿にいくつかある応接間の一つだ。
アンドレアスの従兄弟とはいえ、皇后に隔意あるにちがいないジークフリートである。アンドレアスもいる中の宮殿に通すべきでは、と慮ってくれたらしい。
(大きくなったこと)
ニーナがコンスタンツェに仕えるようになってもう八年が経つ。初々しかった十四歳の少女は、二十二歳の大人の女性になった。
適齢期を少し過ぎ、ニーナの父である実家の兄からはそろそろ嫁入りさせたいから侍女を引退させて欲しい、と何度も催促されている。だがニーナほど能力的にも忠誠心的にも信頼の置ける侍女はなかなか代わりがきかず、しばらくは手放してやれそうにない。
ニーナの歳の離れた弟はヴォルフラムの従者として仕えてくれている。きょうだい揃って尽くしてくれる腹心の侍女であり姪でもある娘に、コンスタンツェはいずれ良縁を世話してやるつもりだ。皇后の姪で元侍女という箔がついた娘なら、あと数年経っても引く手あまただろう。
「いいのよ。ジークフリート様……、ブライトクロイツ公爵子息は陛下の従兄弟であられるのだもの。こちらでもてなすのが当然だわ」
「……承知いたしました。では、お召し替えの準備をして参ります」
一礼したニーナが衣装部屋へ向かう。
絹を裂くような悲鳴が聞こえてきたのは、その直後だった。
「きゃあああああっ!」
「ニーナ!?」
コンスタンツェはそばに控えていたメイドたちと共に衣装部屋に駆けつけ、ひゅっと息を呑む。
尻餅をついたニーナの向こうに、ずたずたに引き裂かれたドレスが落ちていた。淡い水色のそれは夫アンドレアスから贈られたもので、コンスタンツェのお気に入りだが、もう二度と着られないだろう。
そしてあたり一面に散らばる、黒い薔薇の花びら。
「け、今朝、点検した時は、なにもなかったのに……」
ニーナは青ざめ、がたがたと震えている。
「わ、私たちはなにもやってません!」
「誰も入ったり、近づいたりもしませんでした。本当です!」
メイドたちが口々に訴える声を遠くに聞きながら、コンスタンツェはかすかに痛む左胸を押さえる。
(……エリーゼ様、貴方なのですか?)
どこもかしこも小さく細く華奢で、コンスタンツェとは正反対の、砂糖菓子のようだった少女。病弱ゆえ寝込むことが多く、愛する人と結ばれることだけを夢見ていた少女。
彼女の夫になるはずだったアンドレアスはコンスタンツェの夫で、コンスタンツェを心から愛してくれている。
病にむしばまれ、力尽きたエリーゼは、やはりコンスタンツェを冥途で恨んでいるのだろうか。けれど、どうして今になって――。
今年の更新はこちらが最後です。たくさんの応援をありがとうございました。
ささやかなお礼とお年賀を兼ねて、元日から五日まで、連続で更新する予定です。時刻はいつもと同じ12時です。お楽しみ頂けますように。




