40・隻眼の騎士と皇后(第三者視点)
リュディガーとジークフリートが案内されたのは、奥の宮殿にある『紅玉の間』だった。出された紅茶で喉を潤しながら、思い浮かぶのはさっきのアンドレアスだ。
『たす』『けて』
『じー』『く』『たすけて』
『助けて』
『ジーク、助けて』
あれは、どういう意味だったのだろうか。しかもアンドレアス本人は、自分の発言に気づいていない様子だった。
そしてあの、歯噛みした瞬間の変化――。
「……なぜ、ですか」
ぐるぐる回る思考に呑み込まれてしまいそうで、リュディガーはティーカップを見つめたまま問いかけた。琥珀色の水面には、きゅっと眉を寄せた自分の顔が映っている。
「なぜ、今さらあのようなことを……」
「……」
「……なぜ今になって戻ってこられたのですか。なんのために貴方は……」
駄々っ子のような口調に嫌気がさす。これでは八つ当たりだ。もう子どもではないのに、ジークフリートのそばにいるとなぜかあのころに還ってしまう。
「……なんのために、か」
あのころとは違う寂びた声に哀惜と、かすかな怒りがにじむ。
「エリーゼを死なせた者たちに引導を渡すためだ」
「……っ」
エリーゼは病で亡くなったのだ。誰も悪くないと言いかけ、リュディガーは言葉を呑み込む。
ジークフリートは病弱な妹を常に気にかけ、慈しんでいた。父のブライトクロイツ公爵はあまり子育てに熱心ではなかったから、父親代わりという意識もあったにちがいない。
そんなジークフリートの目から、アンドレアスとコンスタンツェはどう見えていたのか。
アンドレアスがコンスタンツェに思いを告げたのはエリーゼの死後だが、ある日突然恋心が芽生えたわけではない。エリーゼの存命中から、二人はひそかに思いをはぐくんでいただろう。
エリーゼは病弱だが聡い子だった。婚約者と護衛の女騎士とのひそやかな愛情に、勘づいていなかったとどうして言えようか。
アンドレアスとの結婚を夢見ていた少女が、彼の思いが自分にはないと……本当の思い人が己の騎士だと悟り、そのせいで短い寿命をさらにすり減らしてしまったのだとしたら……アンドレアスとコンスタンツェが彼女を死なせたと思うのも無理はないのかもしれない。
(だが、なぜだ)
また疑問が芽生える。
(エリーゼが亡くなってからずいぶん経った今になって、なぜ復讐など……)
かつてと今。まっさきに思いつく変化は。
(ガートルード皇妃殿下……)
あの気高く心優しい姫君の起こした奇跡を、ジークフリートは体験した。魔獣の群れを消滅させた銀色の光を、それをなした姫君を、一目拝みたいと望むのは当然だ。
もしもジークフリートがエリーゼを死なせた者たち……アンドレアスとコンスタンツェの排除に成功すれば、帝位まで奪い取れるかもしれない。
そうなった時、独り身となったガートルードを娶るのは……。
「失礼いたします。間もなく皇后陛下がお出ましになります」
扉の外から声をかけられ、ジークフリートが立ち上がった。リュディガーもはっとして倣い、礼を取る。
扉が開き、侍女を引き連れたコンスタンツェが現れた。衣擦れの音が近くでやむ。
「面を上げてください」
促されるがまま顔を上げ、リュディガーは違和感を覚えた。いつも朗らかなコンスタンツェの表情が、少し硬いような気がする。それに化粧も少し濃いようだ。
「突然の謁見のお願いにもかかわらず、快く応じてくださったことに感謝いたします。皇后陛下」
「いえ、……貴方は陛下の従兄弟君でいらっしゃるのですから当然のことです」
微笑みを浮かべてはいても、コンスタンツェは気まずそうだ。
かつてはジークフリートが主家の嫡男であり、コンスタンツェは公爵令嬢の護衛騎士でしかなかった。逆転した主従関係になじめないのかもしれない。
「フォルトナー卿もいらしたのですね」
コンスタンツェの目がリュディガーに向けられた。
「ジー……、ブライトクロイツ卿に誘って頂きましたので。ご迷惑でなければ同席したいのですが」
「もちろん、構いませんよ。貴方も陛下のお従弟なのですから」
コンスタンツェは鷹揚に頷き、ソファに腰を下ろした。
背後に控える侍女が時折心配そうにコンスタンツェを窺っている。確かコンスタンツェの姪で、ニーナという名だったはずだ。ここに来る前、なにかあったのだろうか。ジークフリートもオパールの左目をニーナに向けている。
内心首を傾げつつも、リュディガーは気を引き締める。ジークフリートがコンスタンツェに害をなすつもりなら、近衛騎士団団長として絶対に阻止しなければならない。
「久しぶりにお会いできて嬉しく思います。辺境での長く過酷な任務、ご苦労様でした」
「私は対魔騎士団団長として当然の務めを果たしたに過ぎませぬ。そのお言葉は、どうか散っていった者たちに」
コンスタンツェの白い頬がかすかに強ばる。騎士だった彼女が、破邪魔法使いなしでの魔獣討伐がどれほど悲惨なものになるか知らぬわけがない。貴重な破邪魔法使いが自分の息子のため、帝都に縛りつけられていたことも。
「……むろん、彼らにも篤く報いるつもりです。対魔騎士団の帰還祝賀式典にて……」
「全員に皇后陛下じきじきに勲章をお授けくださるのでしたら、遠慮申し上げます。勲章なぞ腹が減っても喰えません」
淡々とジークフリートにさえぎられ、コンスタンツェは言葉に詰まった。図星だったらしい。皇后に対するものとは思えない無礼な物言いに、ニーナが非難の眼差しを向ける。
「おまけに売り飛ばすこともできない、戦場で盾にもならない。ならば同じ金額分の食糧を頂く方がましです。喰えるし換金もしやすいですから、死んだ兵士の遺族は特に喜ぶでしょう」
「い、……いい加減にしてくださいっ!」
目に涙をいっぱいに溜め、叫んだのはニーナだった。
「先ほどから皇后陛下に対し、あまりに無礼ではありませんか!」
「ニーナ、おやめなさい」
止めるコンスタンツェにぶんぶんと首を振り、ニーナはジークフリートを睨み付ける。
「なにも知らないくせに! 陛下がどれほど対魔騎士団のためにお心を砕かれていたか!」
「……」
「陛下の優しいお心より、食べ物なんかの方がいいなんて……貴方には人の心がないのですか!?」
しんと静まり返った空間を、ニーナの荒い息が不吉に軋ませる。
(なんということを)
皇后付き侍女とはいえ、ニーナはコンスタンツェの実家の伯爵令嬢に過ぎない。しかも安全な帝都から出たこともない身だ。
公爵子息であり、現役の対魔騎士団団長として前線で戦い続けてきたジークフリートとは立場も身分も経験も違いすぎる。あまりに無礼だ。この場でジークフリートに斬られても文句は言えない。
コンスタンツェが厳しくとがめるべきだが、コンスタンツェは青ざめながらも無言のままだ。その唇がわずかにつり上がっているのに気づき、リュディガーはめまいを覚える。
(ニーナの言う通りだと思っているのか)
ニーナも主君のそんな気持ちを感じ取っているから、公爵子息相手にここまで強気に出られるのか。いざという時はコンスタンツェが守ってくれると?
「心……か」
寂びた声にはなんの感情もこめられていなかった。だが心臓に爪をたてられ、ゆっくりと引き下ろされるような響きがあった。
「心がなんの役に立つ?」
「え?」
思いもよらない問いかけに、ニーナは丸い瞳を落ち着きなく揺らした。




