33・新たな王配候補は推察する(第三者視点)
(本当に王配になりたいのか……か。そんなことを聞かれたのは初めてだな)
皇妃の宮殿を辞し、中の宮殿にあてがわれた客室へ戻る道すがら、モルガンは記憶を反芻する。
自分が新たな王配候補に選ばれた時、誰もが信じて疑わなかった。モルガンは美しい女王に王女を産ませ、王国の陰の支配者になることを望んでいるのだと。
羨まれ、妬まれこそすれ、本当にそれが望みなのかと尋ねるような者はいなかった。しかもモルガンを哀れむような、心配するような顔で……。
(いや、あれは本当に哀れんでいる顔だったな)
四人の姉と母親を筆頭に、あまたの女に苦労させられてきたモルガンだ。女という生き物の生態は知り尽くしている。
ぶよぶよした肉のかたまりが、いかにか弱さを装って周囲をあざむくのか。あざとくふるまうのか。哀れむふりでさげすむのか。
だがあの少女は――ガートルードは、モルガンの知るどんな『女』とも違っていた。
帝国への出立の日、その姿を遠くから拝したことはあった。あばずれの姉を持ったばかりに、哀れな。……そう、あの日はモルガンが彼女を哀れんでいたのだ。
けれど間近で拝したガートルードは下界に降臨した女神と見まがうばかりの美貌と、その小さな身体にまとう清浄な空気でモルガンを圧倒した。王国へ戻るつもりはないときっぱり宣言し、その決意は姉女王からの手紙を読んでも揺らがなかった。
(家族の情に触れれば、里心が芽生えると思ったのだがな)
気高い王女と名高くとも、六歳の少女だ。望めば帰れるのだとささやき、情に訴えてやれば変心すると思っていたのだが。
しかもその後発生した地震にも、ガートルードは怯えず毅然と対応した。帝国人の女騎士も侍女も使い物にならなかったのに。
神使が付いている余裕から? いや、そんなものではない。神使に頼りきっているのなら、ただなんとかしろと命じるだけだったはずだ。
だが、あの的確な指示は……まるで過去に大きな地震を体験し、対処方法を学んだかのような……そして、なんといっても、あの……。
「おみ足……」
「閣下?」
つぶやきを聞きとめ、無言で付き従っていた従者がどこか恐々と呼びかけてきた。
「なんだ。なにかあったか?」
「いえ、その……微笑んでいらっしゃいましたので……」
指摘されて初めて、モルガンは自分が微笑んでいたことに気づいた。物心ついて以来、笑顔は理性で作るものであり、感情のまま笑ったことなどなかったというのに。
(ガートルード殿下……)
凛とした姿を……モルガンを踏みつけた小さな足の感触を思い出すと胸が甘く疼く。こんなことは初めてだ。ガートルードとて忌々しい姉たちと同じ女に過ぎないというのに、なぜ……。
「……いや、ガートルード殿下はなかなか手強そうなお方だと思っただけだ」
「ガートルード殿下が、ですか。神使様ではなく?」
「恐ろしさで言えばもちろん神使様の方が上だが、あのお方はガートルード殿下の望まぬことはなさらないからな」
文字通り人間離れした美貌を思い出すと、背筋が粟立つ。
深淵のような金の瞳に、モルガンは映っていなかった。モルガンだけではない。エルマもロッテも、それ以外も……皇帝アンドレアスすら映らないだろう。
レシェフモートの視界に存在するのはガートルードだけ。自分が路傍の石になったような、神の前では虫けらに過ぎないと思い知らされるような感覚は、呑まれてしまったら二度と這い上がれなくなりそうだ。
ガートルードに踏まれた瞬間、膨れ上がった殺気をぶつけられた時には、息が止まりそうになったが。
だからこそレシェフモートは、ガートルードの意にそむくことはしない。少なくとも、あの少女の前では決して。
ならばガートルードさえ怒らせなければ、今のところレシェフモートは脅威にはならない。モルガンの計画とて、ガートルードが受け入れるのなら否は唱えないだろう。
「殿下の望まぬことはなさらない、ですか。さすがは先々代陛下の御孫様、血は争えませんね」
従者が感心する。先々代女王……大陸中から求婚者が列をなしたというガートルードの祖母を思い出したらしい。モルガンや従者の父親以上の世代では、いまだ伝説の美女として語り継がれている。
ガートルードはかの祖母君に生き写しだそうだが。
「ガートルード殿下の方が上だろう。なにせ女神の御遣いを虜になさっておいでなのだから」
「……そうですね。もしかしたらそこにまた、一癖も二癖もあるお方が加わるかもしれませんが」
「なんのことだ?」
本気でわからず首を傾げたが、従者はあいまいな表情を浮かべるだけだった。自分が女性を誉めたのは初めてだという自覚は、モルガンにはない。
『――偉大なる女王陛下のおそばに上がることは、これ以上ない栄誉と思っております』
本当に王配になりたいのかというガートルードの問いに、モルガンはそう答えた。
どうとでも取れる答えをガートルードはどう受け取ったのだろうか。他人の反応が気になって仕方ない初めての感覚にとまどうモルガンを、また慌てた顔の兵士が追い抜いていく。
「ずいぶんと混乱していますね。やはり、沼の王を恐れているのでしょうか」
従者が気遣わしげにあたりを見回した。
皇帝の執務エリアである中の宮殿はあまたの文官や武官が集中する、皇宮でも人口密度の高いエリアだ。ふだんは整然と働く人々がばたばたと動き回る光景は、異国人の目にも異様に映る。
「沼の王は百年前に討伐されたんだ。やつらが恐れているのは、別のものだろう」
「別の……? まさか、新たな魔獣の王ということですか?」
「考えられない話ではあるまい」
破邪の王族を戴くシルヴァーナの貴族として、モルガンも魔獣に関してはそれなりの知識を有している。
魔獣は帝国では魔沼から生じるものだが、シルヴァーナではありとあらゆる自然から生じると考えられている。歴代の王国軍が他国の魔獣討伐を請け負い、研究を重ねてきた結果だ。
四方を海に囲まれたさる島国では、荒れた海から突然魔獣の群れが出現し、人の住まうあらゆる領域へ攻め込んだ。シルヴァーナ王国軍の救援でなんとか撃退はできたが、海洋貿易の中継点として繁栄を極めていたその島国は一気に衰退した。
逆に険しい山脈がそびえるさる内陸国では、切り拓いていた深い森の奥から魔獣の群れが現れ、開拓民を全滅させた。シルヴァーナ王国軍の救援により魔獣の群れは殲滅されたが、森の開拓はそれ以降進んでいない。
取り立てて高い山も海もないさる王国では、国を流れる大河から魔獣の群れが出現。シルヴァーナ王国軍の助成により群れは全滅させられたが、大河を利用した運河計画は頓挫し、王国の発展も途絶えた。
どこに住んでいようと逃げられない。それが魔獣だ。
だからこそ破邪の力により魔獣の脅威から守られる唯一の国、シルヴァーナ王国は神聖視され、その要たる王女の誕生が熱望される。
モルガンとて王国貴族だ。王女の重要性がわからないわけではない。
ただ、種馬になるのは自分でなくてもいいだろうと思うだけだ。……だが、もしも女王がクローディアではなくガートルードだったら……あの小さな足が、モルガンだけを踏みつけてくれるのなら……。
「……魔獣は我がシルヴァーナ王国以外のあらゆる土地に出現する。魔獣の王とて例外ではない」
雑念を振り払い、モルガンは思考をめぐらせる。
かつて帝国の領土は、沼の王と呼ばれる魔獣の王に支配されていたという。
沼の王が討伐された後、不入の土地に生じた魔沼……魔獣を生み出す沼。
これはただの、偶然なのだろうか?




