31・転生ものぐさ皇妃、女王の使者と対面する
『鈴蘭の間』は壁紙や調度類に鈴蘭のモチーフが使われた、全体的に可愛らしい印象の応接間だ。
かといって皇妃の品位を損ねることはなく、高価な魔法道具によって居心地よく保たれた室温や、群れ咲く鈴蘭の花をかたどった見事な細工のシャンデリアがさりげなく帝国の財力を誇示している。
「ガートルード王女殿下」
ガートルードが入室すると、窓辺にたたずんでいた長身の男性が振り返った。禁欲的でありながらどこか艶めかしい顔を見た瞬間、ガートルードはこの男が新たな王配候補に選ばれた理由を察する。
レシェフモートを見慣れた自分は『綺麗だなあ』としか思わないが、普通の女性なら藍色の瞳を向けられただけで胸の高鳴りを止められなくなるだろう。
甘くささやかれるがまま、身も心も差し出してしまいそうだ。なのに本人はあくまで優雅に微笑んでいるだけなのだから、たちが悪い。
(確かにこれなら、人妻だってよろめくかも)
前世の隙間時間に観ていた昼ドラを思い出しながら警戒心を高めていると、男は黒絹の衣装をひるがえし、静かにひざまずいた。紫紺の髪がさらりと揺れる様すら、絵画のようだ。
「初めて拝謁の栄に浴します。シルヴァーナ王国女王クローディア陛下より侯爵の位を賜っております、モルガン・ブラックモアと申します」
ガートルードをエスコートするレシェフモートの人外の美貌にも、魔力にも、モルガンは意識を逸らさない。この男こそ女神シルヴァーナの神使だと気づいているだろうに、藍色の瞳はガートルードだけを映している。
「……遠いところをよく来ました、と言いたいところですが、ブラックモア卿。まずは訂正してください。わたしはもはやシルヴァーナの王女ではなく、ソベリオン帝国の皇妃です」
さっきモルガンがガートルード王女殿下、と呼んだのをもちろんガートルードは聞き逃していない。
「これは、失礼をいたしました。王国におられずとも、ガートルード殿下は我ら臣民を照らす望月のようなお方。その輝きに魅せられ、つい我を失ってしまったようです」
「……これからは注意してください。わたしはソベリオンの皇妃。シルヴァーナの王女に戻ることは、決してありませんから」
断言すると、背後のエルマが『皇妃殿下……』と感動したようにつぶやきを漏らした。脇に控えるロッテも表情こそ変わらないが、安堵の気配を漂わせる。
帝国貴族としてもガートルードに仕える者としても、二人はガートルードの残留を強く望んでいるだろう。
「私は王家に忠誠を誓う身。王家の一員であられるガートルード殿下の仰せに歯向かう気など、毛頭ございません」
モルガンの端整な顔にも極上の弦楽器を奏でるような声音にも、誠意が満ちあふれていた。
あのレヴィン元伯爵とは大違いだ。対面していると、この人の言葉は聞いてあげなければという気持ちが湧いてくる。
実際、ロッテの表情はいまだ変わらないものの、エルマからはとまどいの空気を感じた。この人、悪い人ではないのかも? と思っているのが伝わってくる。
「されど我が主君であられる女王陛下は、心ならずも帝国へ送らざるを得なかった妹君をずっと思っていらっしゃいました。その切ないお心をお伝えしたい一心で、本日は推参した次第です」
モルガンは懐から書状を取り出し、優雅な仕草で差し出した。足音もなく動いたロッテが受け取り、危険がないことを確かめると、ガートルードに渡す。
王国の紋章が封蝋に施されたそれは、姉女王クローディアからのものだった。他国の女王から帝国皇妃へ宛てた格式張った書状ではなく、姉が離れた幼い妹に心をこめてしたためた手紙だ。
幼いガートルードをフローラの身代わりにしてしまった謝罪から始まったそれは、姉王女たちの近況なども絡めつつ、終始ガートルードを気遣うものだった。
第二王女にして王太女ドローレスは、長年の婚約者と間もなく結婚するそうだ。せめて姉女王に最初の王女が生まれるまではとずっと延期していたのだが、ドローレスも二十歳を超え、これ以上は待てないとなったのだろう。
第三王女エメラインは破邪魔法の研究を続けており、着々と成果を上げつつあるそうだ。近々大きな報告がなされる予定だという。ここで詳細は明かせないものの、ガートルードの身にも関わってくることらしい。
第四王女フローラは、そろそろ腹の子が安定してくるころにもかかわらず、いまだ悪阻に苦しめられており、ひどくなる一方だそうだ。とは言えガートルードたちの母、先代女王ブリジットが娘を産む時はいずれも悪阻に苦しめられ、クローディアにはほとんど悪阻がなかったことから、今度こそ王女殿下が誕生されるのではと貴族たちは湧いているらしい。
(ドローレスお姉様、とうとう結婚か。お相手は政略結婚だけど仲が良かったし、おめでたいわね。エメラインお姉様の研究の成果ってなんだろう? 確か前、破邪の力が王女にしか受け継がれない理由を突き止めたい、とおっしゃっていたけれど……)
ドローレス、エメラインについては心穏やかに読めたガートルードだが、問題はフローラである。
(悪阻がひどいから女の子、ってなによ。親子だって個人差があるに決まってるじゃない)
手紙にはそこまで詳しく書かれてはいないけれど、フローラのお腹の子への期待は相当高まっているのだろう。ガートルードを身代わりにしたことで、フローラ自身は非難の的になってしまったのに。
それくらい、女王に王女が生まれないことが危ぶまれているのだ。ガートルードを躍起になって取り戻そうとしているのも、家族の情愛だけが理由ではあるまい。
ガートルードが戻れば、女神の愛し子を取り戻したことで、王女が生まれない不安はひとまず払拭できる。
さすがに三人連続で王子ということはないだろうから、その間にフローラが王女を産み、さらに新たな王配との間にクローディアも王女を産めばさらに良し。結婚したドローレスも王女に恵まれているかもしれない。エメラインもさほど間を置かず婚約者と結ばれるだろうから、そちらも王女が期待できる……。
(……って、なんなのよそれ。冗談じゃないんですけど)
すべては『王女を生まれさせるため』。そのためにクローディアもドローレスもエメラインもフローラもガートルードも利用されている。
(ううん……)
手紙を読むふりで、ちら、とモルガンに視線を移す。
(この人も同じだわ。王女を生まれさせるため、利用されているのは)
そんなふうに思ってしまったのは、藍色の瞳の奥に熱を感じないからかもしれない。
王家に血を混ぜるのは王国貴族男性最大の栄誉。だからこそモルガンは新しい王配候補から本当の王配になるため、ガートルードを連れ戻そうとしているのだと思っていたのに。
この男からは、ぎらぎらした欲望も熱も感じない。
見せかけの熱意に不思議な懐かしさを感じた。
その理由を、ガートルードはすぐに思いつく。
(わたしと同じなんだ)
今世ではなく、櫻井佳那と呼ばれていた前世の自分。
あんなにたくさんのきょうだいの面倒を見るなんてえらいね、慕ってもらえて可愛いでしょうと、親戚や近所の住人に誉められた時の。
ありがとうございますと笑いながら、心の中は鬱屈していた。
可愛い? 可愛くないわけじゃないけど、憎たらしくなることの方が多い。可愛いと思うなら貴方が引き取ってよ。毎日姉ちゃん姉ちゃんあれやってこれやってそれもやって腹減った何か作って、とわめかれて、汚物の始末に追われて、それでも可愛いと思える?
そんなことを考えてしまう自分に自己嫌悪を覚え、どん底まで落ち込む日々だった。血のつながったきょうだいが憎たらしいなんて、自分がおかしいんじゃないかとさえ考えた。
生まれ変わった今となっては、あんな状況ではあそこまで追い詰められて当然だと思えるけれど。
モルガンが本当に新たな王配の座を望んでいるのかどうかは、本人以外はわからない。
なのに、貴族男性最大の栄誉だから王配になりたいはずだと断定するのは。
……きょうだいならなにをされても無条件に可愛いだろうと悪意なく決めつけてきた、前世の人々と同じではないのか?




