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57・わたしは女王になる

 転生したばかりのころなら、迷わずそちらの道を選んだ。



 でもガートルードは知ってしまった。無償で注がれる愛情を。……喪って初めて、それが今の自分にとって得難いものだったと気づいた。



 食っちゃ寝ライフのために輿入れした帝国では、様々な出会いがあった。レシェフモート、カイレン、リュディガー、エルマ、ロッテ、ヴォルフラム、ジークフリート……皆、今ではガートルードにとって大切な存在だ。



 別れもあった。皇禍こうかではあまたの人々が命を喪った。ガートルードの形ばかりの夫、アンドレアスも。関わりは薄かったが、あんな形での死は大きな悲しみをもたらした。ガートルードに複雑な感情を抱いていた皇后コンスタンツェすら、不可解な死を遂げたと聞いた時は胸が痛んだ。



 喜びも悲しみも、ガートルードが出会ったすべての人々がもたらした。子育てに追われていた前世、三十年生きても得られなかったもの。



 ……全部、女神シルヴァーナがぶち壊した。



 あの女神が今もオズワルドを通して災厄をふりまいていると知っていて、食っちゃ寝なんてできない。食っちゃ寝するのは、元凶に落とし前をつけさせてからだ。

 そのために必要ならば。



(わたしは、女王になる)



 エメラインはきっとガートルードの決断を喜ばないだろう。理由はわからないが、シルヴァーナ王国にガートルードが尽くすだけの価値はないと言っていた。エメラインの言葉なら、きっと真実なのだろう。



 こんな国なんて助けなければ良かったと、後悔する日が訪れるのかもしれない。……それでもいい。ガートルードが助けたいのは国ではなく、そこに住まう人たち……女神シルヴァーナとオズワルドによって運命を狂わされた人々だから。



 価値のない国はあるかもしれない。

 でも、価値のない人はいないと、ガートルードは思うから。



(絶対、貴方に落とし前をつけさせてみせるわ。……女神シルヴァーナ)





 光に照らされた出口をくぐると、強い力で引き寄せられるような感覚に襲われ、ジーンの姿が見えなくなった。



「……っ……!」

「お帰りなさいませ、我が女神」



 とっさに伸ばした手を握ってくれたのは、ジーンではなくレシェフモートだった。ずいぶん長い間、この人ならざる美貌を見ていなかった気がする。



「……、レシェ?」

「はい、我が女神」

「レシェなの? 本当の本当にレシェ?」

「もちろんです、我が女神。貴方の枕頭ちんとうにはべる者は、私以外ありえないでしょう?」



 慈愛に満ちた笑みを向けられ、ガートルードはやっと気づいた。自分が馴染んだ自室の寝台に寝かされていることに。

 レシェフモートはそのかたわらにたたずみ、ガートルードの手を握っている。



「わたし……、どうしてここに? ジーンは……」

「あの犬は客室に運ばれました。『ういるす』の影響は失せたようですので、眠りから覚めれば健康を取り戻しているでしょう」



 レシェフモートによれば、ガートルードが『浄禍じょうか』を発動させてすぐ、ジーンの眠りは穏やかになったそうだ。ヴォルフラムの診察の結果、心身共に問題なしと判断されたため、客室へ運ばれていった。



 一方ガートルードも気を失ってしまい、レシェフモートがここへ運んでくれたのである。なんとあれから半日近く経っているというから驚きだ。



(そんなに長い時間を過ごしたわけじゃないと思うんだけど……やっぱり精神世界と現実世界は時の流れる速さが違うってことなのかしら)



 でも、ジーンが回復したのなら良かった。ヴォルフラムの診断なら間違いはあるまい。



「……レシェは、ずっと付いていてくれたの?」

「はい。御身をお守りするのは私の特権ですから」



 レシェフモートのことだから、文字通り一秒たりとも離れず付いていてくれたのだろう。魔獣の王たる彼にはたいした苦労でもないのかもしれないが、その気持ちが嬉しい。



「ありがとう、レシェ」



 ガートルードはレシェフモートの手に頬を擦り寄せた。いつもなら微笑んで『我が喜びです』と言ってくれるはずのレシェフモートは、金の瞳を細め。



「……女王に、なられるのですね」



 ささやきは、ガートルードの耳朶をくすぐった。やわらかな寝台に横たわっていたはずが、ソファにかけたレシェフモートの膝の上に乗せられ、背後から抱き締められている。



「どうして……」

「お忘れですか? 私は貴方の下僕なのですよ。決して別てぬ絆で結ばれたこの私が、貴方の変化に気づかないとでも?」



 褐色の手がガートルードの髪を掬う。そっと押し当てられた唇の熱さを、ガートルードは確かに感じた。隙間なく重ねられた、しなやかな身体を通して。



「レシェ……」

「ほんの少しの間に、貴方はますます輝かしく、麗しくなられた。この腕に囲い込み、誰の目にも触れさせたくなくなるほどに。……ねえ、我が女神?」



 ささやきが甘さを増し、二本の腕が小さな身体に絡みつく。熱を孕んだ眼差しと一緒に。



「あの犬と、なにがあったのですか?」



 胸の奥で、なにかがぞわりとうごめく気配がした。



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