58・禍神シルヴァーナ
ガートルードは話した。ジーンの精神世界で起きたことのすべてを。ジーンの過去については、出口へ向かう間、必要なら誰かに明かしても構わないと承諾を得てあるので問題ない。
『母親が『美女狩り』に遭ったこと以外は、耳聡い貴族なら誰でも知ってますけど。わざわざ臣下の承諾を欲しがるなんて、やっぱり姫君は変わってますね』
主君は臣下の秘密を他人に明かすのに、いちいち当人の了解を得たりはしないものらしい。臣下は主君の所有物なので、主君が良しとすれば当人にとってどんな屈辱的な秘密でも暴露して構わない、というのが普通の貴族だそうだが、ガートルードには馴染まない考え方だ。
もっとも、魔獣の王であるレシェフモートがジーンの過去を吹聴して回ることはおろか、そもそも興味を抱くことすらないだろうが。
「……女神シルヴァーナを踏んづけて落とし前をつけさせる、ですか」
すべてを聞き終えたレシェフモートは、愉快でたまらないとばかりに喉を鳴らした。張り詰めていた空気がふっと緩む。
「素晴らしい。……それでこそ我が女神です」
「無茶だとか、不謹慎だとか思わないの?」
「まさか。私が思うとしたら、あの女に我が女神の尊いおみ足は分不相応すぎる、という程度ですよ」
(……なんだか、レシェも微妙におみ足ウイルスの影響を受けてない?)
ちょっと心配になったガートルードの頬を、大きな手が撫でる。
「よくぞすべて話してくださいました。このレシェフモート、我が女神のためならばいかなる力添えも惜しみません」
「レシェ……」
抱き締める腕から伝わる温もりが心地よくて、ガートルードは思わず目を閉ざした。不穏にざわめいていた胸は、いつの間にか鎮まっている。
……そう、この時はまだ知らなかったのだ。
与えられたレシェフモートの血を通して、レシェフモートが精神世界での出来事をすべて把握していたことも。少しでもガートルードが事実と異なることを口にすれば、その瞬間、レシェフモートと彼が認めた者しか侵入できない神域へ連れ去られていたことも。
カイレンの姿がないのは、ガートルードが神域へ連れ去られたならばすぐ、後腐れないようすべてを『水に流して』しまうためだったことも。ライはそれを阻止すべく、カイレンを監視していることも。
大事なことは、全部。
その後ガートルードはヴォルフラムと夢で話し合ったこともレシェフモートに伝えた。
「……七百年前を境に女神が別人になった。女神シルヴァーナは二人いる、というわけですか」
思考を巡らせる……正確には巡らせるふりをするレシェフモートが、実は捕獲したライから自分よりずっと詳細な情報を提供されていることも、別の意図を抱いていることも、ガートルードは知るよしもない。
「ええ。だって七百年より前の女神シルヴァーナと、七百年より後の女神シルヴァーナでは、あまりに行動が違いすぎるでしょう? ……って、ややこしいわね」
七百年より前の女神シルヴァーナと、七百年より後の女神シルヴァーナ。長くて言いにくい上にわかりづらい。
「……では、七百年より後……今暗躍している方の女神シルヴァーナに、別の呼び名をつけるのはいかがでしょう?」
「別の呼び名?」
「はい。そうですね……『禍神』、などは?」
禍神。禍を振りまく神。あちこちで悲劇の元凶となっている女神にはぴったりの呼び名だ。本人が聞けば怒り狂いそうだが。
「いいと思うわ。じゃあこれから、禍神シルヴァーナと女神シルヴァーナで呼び分けましょう」
「承知しました。……ではさっそく、禍神シルヴァーナについてご報告したいことがございます」
レシェフモートが虚空にさっと手を振ると、銀のトレイにのせられたティーセットと焼き菓子の盛り合わせが現れた。勝手に浮き上がったポットからティーカップに紅茶が注がれ、ガートルードの手におさまる。
かぐわしい湯気と甘い匂いを嗅いだとたん、ガートルードの腹はくうっと鳴った。半日以上飲まず食わずだったのだから、空腹になるのも当たり前だ。
ガートルードに小さなマドレーヌを食べさせてから、レシェフモートは口を開いた。
「我が女神がお休みになっている間に影を放って探ったのですが、皇宮周辺の空気から、人間の魔力と魔獣の魔力が混じった匂いを感じました」
「人間の魔力と、魔獣の魔力が混じることなんてあるの?」
「普通はありえません。人間と魔獣は本来、決して相容れない存在。水と油のようなものですから」
そう、それが本来の魔獣と人間の関係なのだ。女神と崇めてくれるレシェフモート、我が子のごとく慈しんでくれるカイレンの方が例外中の例外なのである。
「ですが我が女神は、人間と魔獣の魔力が混ざり合う実例をご覧になっていますよ」
「実例? ……、……あっ!」
はっと閃いたのは、ヴォルフラムだった。
ガートルードの『おまけ』で禍神シルヴァーナに召喚された際、なぜか魔獣の核を植えつけられ、そのせいで瘴気を溜め込む体質を持って生まれてしまったかつての同級生。




