51・「死んでもいいわ」
『月が綺麗ですね』
『死んでもいいわ』
『愛しています』
『私も愛しています』
『ジーン、貴方を愛しています』
『俺も愛しています、エメライン様』
話す間、涙がとめどなく溢れてきたせいで声はかすれ、顔はぐちゃぐちゃになってしまったが、構わないだろう。
どうせジーンはガートルードなんて見ていない。彼が見つめるのは虚空を照らす月だけ。……月のように綺麗だったエメラインだけ。
『……エ、メ、ライン様……、エメライン、さま……』
くぐもって震える声は、ジーンが身も世もなく泣いていると教えてくれた。でも、ガートルードはしゃがんだまま自分の膝を抱え、うつむいた。
武士の情けなんかじゃない。ジーンの泣き顔を見ていいのは、エメラインだけだと思ったから。
(エメラインお姉様は、勘づいていたのかしら。自分に『この先』がないって)
だからあんな形でジーンに思いを伝えた。本当の意味を知るのは、エメライン以外にはガートルードだけだから。
でもジーンはおみ足ウイルスの影響で過去のトラウマに囚われ、危うく自ら死を選ぶところまで追い込まれた。そこへガートルードが助けに入り、彼の過去を知り、こうして語り合うことまでは、さすがのエメラインも予見できなかっただろう。
(待って……そうすると、もしかしておみ足が恋のキューピッドだったってこと?)
閃いた恐ろしい考えを、ガートルードは即座に追い払った。
なにがきっかけだったかなんて、どうでもいい。大事なのは。
(聞いた? お姉様。ジーンは『死んでもいい』って思ったんですって)
二人は、確かに思いを伝え合ったのだ。
互いに伝わったことも知らず、直後に永久の別れを迎えたとしても。
(ジーンもお姉様を愛していたのよ。最低最悪のクソッタレの馬鹿野郎のヘタレだけど、お姉様を思う気持ちだけは本当だったの)
さりげなく罪状を付け加えつつ虚空の月を見上げれば、ひらり、と白いものがガートルードの視界を横切った。……蝶だ。淡い光を帯びた白い蝶がひらひらと羽ばたき、月へ舞い上がっていく。
――ありがとう。
エメラインの優しいささやきは、きっとジーンにも聞こえたのだと思う。
だってジーンは震える腕で抱き締めたから。
エメラインの形見である、自分自身を。
二人でどれくらい虚空を見上げていたのか。
『……ありがとうございました、殿下』
立ち上がったジーンが左胸に手を当て、深く腰を折った。差し出された手を取り、ガートルードも立ち上がる。
『わたしも、ありがとう』
『え……?』
『エメラインお姉様を、思ってくれて』
人一倍王女の責務を重んじていたエメラインにとって、ジーンと過ごす時間は、王女ではなく恋する乙女になれる得難いひとときだっただろう。
王女として生きたエメラインが、最期は恋心と共に逝けた。遺された妹にはせめてもの救いだ。
『殿下は……、……エメライン様の妹君でいらっしゃいますね』
見開いた目でじっとガートルードを見つめていたジーンが突然そんなことを言ったので、ガートルードは眉を寄せてしまう。
『今さらなにを言っているの? わたしは生まれた時からずっとエメラインお姉様の妹だけど』
『それはそうなんですが、俺にとっては単なる記号に過ぎなかったというか……その、殿下はもっと自己主張の薄いお方だと思っていたので』
前世のガートルード、櫻井佳那が転生するまでのガートルード王女は『お人形みたいなお姫様』と噂されていたようだ。周囲に促されなければ自発的にはなにもせず、日がな一日ぼんやりと過ごしていたらしい。
ガートルード本人と面識のなかったジーンには、そちらのガートルードの印象の方が強いのだろう。なにせ佳那が転生してからのガートルードは、可能な限り自分の宮から出ず食っちゃ寝ライフを満喫しており、外部との接点などほぼなかったのだから。
(まあ確かに、あのエメラインお姉様と血がつながっているようには思えなかったかもね)
内心頷いていると、気まずそうだったジーンの顔に緊張が走った。
『殿下はエメライン様の妹君です。納得しました。しかし、だからこそわからないことがあります』
『……?』
『貴方は、何者なのですか?』
透徹した碧眼がガートルードをまっすぐに射貫いた。幼い王女の中にひそむなにかを、見極めようとするかのように。
『年齢にそぐわない智謀を持つ者は、貴族が想像するよりも多く存在します。かく言う俺もその一人ですが、それはあくまで生きるため、必要に迫られて身につけたものです』
『……』
『ですが殿下、貴方の智謀や言動は年齢と経験を積み重ねることでしか習得できない……そう、世知と言い換える方がふさわしいかもしれませんね。いずれにせよ、王宮にずっと閉じこもっていた姫君に備わるものではありません』
今さらながら、ガートルードはジーンがエメラインの側近であったことを思い出した。あのエメラインのお眼鏡にかなっただけあって、とんでもない鋭さだ。
『ガートルード・シルヴァーナ殿下。貴方はいったい何者なのですか?』




