42・ジーンという男8(第三者視点)
『エメライン殿下も聞いたでしょう? 俺はスラムの娼婦の息子なんですよ』
ジーンは口調を崩し、何人もの貴族たちを籠絡してきた流し目をエメラインに送る。
『俺なんかを殿下の研究所に入れれば、殿下ともあろうお方がなんと恥ずかしい真似を、と謗りを受けるんじゃありませんか?』
『……』
『殿下?』
エメラインは答えず、ただじっとジーンの顔を見つめている。見惚れているのではない。観察している。
『……ジーンの顔は、とても綺麗ですね。お母様に似ているのかしら?』
やっと口を開いたかと思えば謎の問いを放つ。
『はあ、……まあ、生き写しだとよく言われますが』
『だったらきっと、お母様も綺麗な方だったのでしょうね』
そう、綺麗だったがゆえに人生を狂わされた。今どこでなにをしているのかもわからない。貴族の集まりに潜り込むたびあの鷲鼻の貴族を探してはいるが、見つからないままだ。
『女性にとって美しさは大切なもの。貴方のお母様は我が子のため、その大切なものを売り物になさった。……立派なお母様だわ』
まだらに金の散った碧眼には一片の偽りも、嘲りも欺瞞もなかった。いっそあってくれれば、はねのけられたのに。
『立派なお母様の息子さんである貴方を、私は恥ずかしいなんて思えないわ』
『……エメライン、殿下……』
『貴方は思うの? お母様が恥ずかしいと』
そんなわけはないと、即答はできなかった。
娼婦の息子を恥ずかしいと思わないのか。そんな問いを投げかける時点で、ジーンは心のどこかで思っていたのだ。……母親と自分は恥ずべき存在だと。
(……一番恥ずかしいのは、俺だった……)
母親を孕ませた血縁上の父親でも、鷲鼻の貴族でもない。ジーンこそが母親を最も貶めていたのだ。娼婦の息子だから侮られるのだと苛立つたび、貴族の生まれなら苦労はなかったのにと思うたび。
『もしかしたら他の者は、貴方に理不尽な罵倒を浴びせるかもしれない。けれど約束します。私に力を貸してくれるなら、私は全力で貴方の盾になると』
『……、……っ……』
『だからお願い、ジーン。私に……』
みなまで言わせず、ジーンはエメラインの足元にひざまずいた。後ろ楯となりそうな貴族の歓心を買うため、もっと屈辱的な真似は何度もしてきたが、自らひざまずいたのは初めてだった。
『エメライン殿下に私のすべてを捧げます。貴方の赴かれる先が私の進むべき場所。大地と天の果てまでもお供いたしましょう』
『……ありがとう、ジーン。貴方の忠誠に、私は誠意をもって報います』
エメラインは白い手を差し出す。
ジーンはかすかに震えるそれを押しいただき、うやうやしく唇を落とした。
それから。
ジーンの中でくすぶり続けていた復讐の炎は、綺麗さっぱり消え失せてしまった。
血縁上の父親や、鷲鼻の貴族に対する憎しみがなくなったわけではない。どこかで生きているかもしれない母親を探し出したい気持ちもある。
だがふとした瞬間燃え上がり、ジーンの心を黒く焼き焦がすことはなくなった。思えば復讐は、母親のいなくなった世界でジーンが生きていくための支えだったのだろう。代わりの――否、本物の支えが現れた今となっては不要なものに成り下がったのだ。
エメラインの研究所所属の破邪魔法使いとなったジーンには、予想通り罵詈雑言と嫌がらせの雨が浴びせられた。
だがエメラインが平然とジーンを補佐役として連れ歩き、若く美しい王女とジーンの間にに婀娜めいた空気のかけらもなかったことから、だんだん下火になっていった。もちろんジーンをさげすむ者が完全にいなくなったわけではないけれど、好きに吠えていればいいと聞き流せるようになった。
エメラインはジーンを一人の破邪魔法使いとして、まっとうに扱ってくれた。誰よりも尊い直系王女が。
その事実がどれほどジーンの心を癒やしてくれたか……かつて誰にも抱いたことのない感情を芽生えさせたのか、エメラインは知らない。一生告げるつもりもない。
その代わりに、ジーンはエメラインを献身的に支え続けた。
優しい王女には苦難が続いた。ジーンがエメラインに忠誠を誓ってからほどなく、女王ブリジットが王配共々事故により急逝し、長姉クローディア王太女が二十歳にもならぬ若さで女王に即位。次姉ドローレス王女が王太女となった。
エメラインは気丈にふるまっていたが、十五歳で母親を亡くしたのだ。しかもブリジット女王は働き盛りの女盛り、健康不安もなかった。それが突然の事故死である。もっと取り乱しても誰も咎めないのに、エメラインはひたすら末妹ガートルード王女を慮った。
『私はいいの。お父様とお母様の思い出はたくさんあるもの。でもガートルードは、たったの三歳であんな目に……』
第五王女ガートルード。
エメラインの末の妹に当たる幼女は、幼いながらも絶世の美女として名を馳せた祖母に生き写しと謳われ、ゆくゆくは大輪の花のごとき美少女と誉めそやされる第四王女フローラさえしのぐ美姫になるのでは、とささやかれている。
ことのほかエメラインに可愛がられているこの幼い王女が、正直なところ、ジーンはあまり好きではなかった。




