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37・ジーンという男3(第三者視点)

 有頂天になっていたのだと、後になってみれば思う。



 飢えた野良犬みたいに、目の前にちらつかされたエサしか見えなくなっていた。エサに喰らいつく瞬間こそが最も無防備で危険だと、身にしみていたはずなのに。



『……残念だよ、ジーン。まさか君がこんな真似をするとはね』



 ある日ジーンを執務室に呼び出した魔法院長は、半月ほど前、ジーンが提出した魔法論文の束をため息と共に突き返した。表紙には『失格』の赤い蝋印がでかでかと押されている。



 論文の審査には関係ないはずの聖女たちが同席していた時点で、嫌な予感は覚えていたが。



『失格……? なぜですか? 提出した時は、院長も良い出来だと誉めてくださったではありませんか』

『それはまだなにも知らなかったからだ。栄光あるシルヴァーナの破邪魔法使い候補が、よりにもよって最終認定のための論文で盗作をするなど考えもしないからな』



 思いがけない言葉にジーンは愕然とする。もちろん盗作なんてしていない。すべて自分で理論を考え、書き上げたものだ。身を守るため爛れた関係を持ちはしても、破邪魔法に関しては一切の妥協もなく打ち込んできた。他の誰かの助けを借りた覚えもない。



『私から説明してあげるわ』



 割り込んできたのはヘレナ・バルフォア。子爵令嬢と身分は高くないが、名高い聖流貴族リリーホワイト侯爵家の分家に当たり、高い魔力と破邪魔法の適性を持つことから、聖女たちの中でも抜きん出た存在だった。ジーンを目の敵にし、嫌がらせを主導してきた人物でもある。



『こともあろうに、貴方はこの私の論文を盗んで提出したのよ。アイリスが教えてくれなかったら、どうなったことか……』

『……私、見ました』



 ヘレナの隣にいた小柄な聖女、アイリスがおずおずと声を上げた。小動物を思わせる彼女はヘレナの取り巻きの一人だ。



『十日前、ジーンがヘレナ様の研究室から紙の束のようなものを持ってこそこそ出てくるところを』

『私が書き上げたばかりの論文が、突然部屋から消えたのも十日前だったわ。騒ぎにはしたくないから、皆に頼んでひそかに探していたのだけれど……』



 悲痛な表情のヘレナを見やり、魔法院長が嘆息する。



『ヘレナくんからなくなった論文の写しを提出された時は驚いたよ。ジーン、君の論文とまったく同じなのだからな』

『そんなこと……、あるわけがない!』



 ジーンは十日前どころか、これまで一度たりともヘレナの研究室に足を踏み入れた覚えはない。近寄ることさえ避けていた。たまたま視界に入るだけで罵倒の雨を浴びせてくる女に、どうして近づこうとするものか。



(ああ、そうか。そういうことか)



 驚きと怒りの渦に呑み込まれかけながらも、ジーンにはことのからくりが見えていた。



 首謀者はヘレナだ。なんとしてもジーンを破邪魔法使いにしたくなかった彼女は、取り巻きのヘレナに嘘の証言をさせ、書いてもいない論文が盗まれたと偽った。



 魔法院長もぐるだ。ヘレナからジーン追放の陰謀を持ちかけられた彼は、ジーンが提出した論文をヘレナに渡し、そっくりそのまま書き写させた。高位貴族出身の魔法院長にとっても、スラムの男娼が破邪魔法使いに就任するなど許しがたかったのだろう。



(だったら、無駄だ)



 ジーンがいくら無実を叫んだところで、信じてくれる人間はいない。

 なぜなら、ジーンは卑しいスラムの男娼だから。娼婦の息子だから。



 一方で、ヘレナたちは無条件で信用される。

 貴族だから。由緒正しい家門と血統に生まれたから。



 押し黙ってしまったジーンに、魔法院長は嘲笑を浮かべた。



『ふん……反論はしないか。出自は卑しくても、身のほどをわきまえるすべだけは身についたらしい』

『院長様の薫陶の賜物ですわ』



 くす、くすくす。

 聖女たちが笑いさざめく。



(ああ、うるさい)



 いっそ、こいつら全員殺してやろうか。お望み通りの獣になって。

 ジーンが身につけたのは破邪魔法だけではない。ひそかに攻撃魔法も習得している。全魔力を注ぎ込んで放てば、この場にいる全員を肉塊に変えることくらい可能だろう。



 そうだ、それがいい。



『――これはいったい、どういうことなのですか?』



 怒りの導火線に絶望が火を灯しかけた時だった。凛とした麗しい声が響いたのは。



 絹のガウンをひらめかせ、従者が開いた扉から入ってきたのは若い女――いや、少女だった。間近でその姿を見るのは初めてだが、ジーンはすぐに理解する。少女の素性を。



 きらめく長い銀の髪。まだらに金の散った碧眼。絹よりもなめらかで、雪よりも白い肌。



 シルヴァーナ王国の直系王女のみに現れる女神の色彩をまとった、やや垂れがちな目尻がおっとりとした優しげな印象を与える美少女は、装飾品のたぐいを一切つけていなくてもまばゆく光り輝いて見えた。天空に君臨する太陽のように。あるいは闇を照らす月のように。



「……エ……、エメライン殿下……!」



 椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった魔法院長が深く腰を折り、聖女たちも慌てて淑女の礼を取った。間抜け面をさらし立ち尽くしているのは、ジーンだけだ。



『こら、ジーン! エメライン殿下の御前だぞ! 早くひざまずかないか!』



 魔法院長がジーンを睨み、野良犬でも躾けるように手を上下させる。のろのろと従おうとしたジーンに、エメラインは首を振った。



『構いません。魔法院では王族も貴族も平民も、みな等しく学びのなのですから』

『……』

『貴方がジーンですね。……私はエメライン。シルヴァーナ王国第三王女エメラインです』



リリーホワイト侯爵家は、エメラインの婚約者ルシアンの実家です。

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