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38・ジーンという男4(第三者視点)

 エメライン・シルヴァーナ。



 このシルヴァーナ王国で、否、大陸で最高の破邪魔法使いは誰かと問われたら、百人いれば百人が彼女の名を答えるだろう。



 破邪の女神シルヴァーナの血を引き、同じく高名な破邪魔法使いであった母女王ブリジットから才能を、伝統ある聖流貴族出身の王配である父親から高魔力を受け継いだエメラインは、魔力の手ほどきを受けたばかりの八歳で破邪魔法の論文を書き上げ、当時の魔法院長を唸らせた。十歳で魔法院内に自らの研究所を開き、十五歳の今にいたるまで画期的な魔法を世に送り出し続けている。



 身分、血統、魔力、才能。すべてにおいて恵まれた、ジーンとは正反対の存在が、ジーンをまっすぐに見つめている。

 ……これは夢なのだろうか。本当のジーンはすでにヘレナたちを皆殺しにして、自分の喉をかき切って死んでしまって、末期の夢を見ているのだろうか。



 だって、夢でもなければありえない。

 あのエメライン・シルヴァーナが、ジーンを知っているなんて。



『……どうして……俺を……』

『去年、貴方が提出した破邪魔法の素質についての論文を興味深く読みました。今日めでたく破邪魔法使いの認定を受けると聞き、お祝いを伝えようとやって来たら、なにやら不穏な話が聞こえてきたものですから……』



 無礼な言葉遣いに苛立ちのかけらも見せず、エメラインは魔法院長の前まで進み出た。コツコツと響く靴音にすら惹きつけられる。そんな人間は初めてだ。



『彼がヘレナの論文を盗んだというのは、確かな話なのですか?』

『……そ……、その通りです!』



 意気込んで答えたのは魔法院長ではなく、ヘレナだった。



『この男は私の論文を盗んで写し、破邪魔法使いの認定を受けようとしました。許されざる大罪人ですわ。すぐ牢につなぎ、厳罰を与えるべきです』



 ヘレナも、彼女の主張にうんうんと頷く聖女たちも、エメラインが自分を疑うわけがないと確信している。魔法院長も安堵の表情を隠さない。



 それもそのはず。



 ヘレナの実家の本家筋に当たるリリーホワイト侯爵家の嫡男、ルシアン・リリーホワイトはエメラインの婚約者なのだ。縁戚も同然のエメラインは無条件でヘレナを信じる。

 ジーンすらそう思っていたのに。



『ですが私が聞いた限り、盗んだというのは貴方がたの主張であり、ジーン自身は認めていないようですが』



 花びらのような唇は、誰もが予想外の言葉を紡いだ。



『そ、それはその男が、罪を言い当てられ動揺したせいで……』

『ヘレナ、貴方は少し黙っていてくださいませんか。私はジーンとお話ししたいのです』



 白木蓮を思わせる清廉で知的な美貌が、ジーンに向けられた。エメラインほど高貴な人間に嫌悪も侮蔑もない眼差しを注がれるのは生まれて初めてだった。



『ジーン。貴方はヘレナの論文を盗んだのですか?』

『……俺、は……』



 ……やっていないと言って、なんになる?



 どうせ信じてなんかもらえない。言葉を尽くすだけ無駄だ。直系王女相手に嘘をついた罪まで加えられてしまったら、死刑にされかねない。きっとヘレナはそれを狙っている。



 無駄だ。全部無駄だ。

 王侯貴族は敵にしかならない。スラムの男娼が彼らの領域に入り込むこと自体間違いだった。



 諦めて認めてしまえ。

 本能はそう叫んでいるのに。



『……やって……、ません』



 唇は勝手に動いた。魔法院長やヘレナたちが鋭い視線を突き刺してきても止まらなかった。



『俺は、……私はやっていません。論文は私が自分の力だけで書き上げたものです』

『ジーン! 貴様、殿下の御前でなにを……』



 魔法院長は警告を発しようとするが、エメラインに見据えられただけで押し黙ってしまう。

 代わりに声を上げたのはヘレナだ。



『いけません、エメライン殿下。ジーンの口先に惑わされないでください。おっしゃる通り学びの徒に身分は関係ありませんが、その男は殿下の御前に出る資格すらないのです』

『……どういう意味ですか?』

『お耳に入れるのも穢らわしいことですが、その男の母親はスラムの娼婦。誰にでも肌を許す売女ばいたから生まれた男など、そこにいるだけでエメライン殿下の目を穢す汚物ですわ』



 ヘレナがせせら笑った瞬間、目の前が真っ赤に染まるほどの怒りが沸き起こった。自分への侮辱ならいくらでも聞き流せるが、母親を貶められることだけは許せない。



『ジーンのお母様の生業なりわいとジーン自身の人となりに、なんの関係があるというのですか?』



 エメラインがそう言ってくれなかったら、ジーンはヘレナの首を絞めていたにちがいない。



『貴方がたはジーンが盗作したと言い、ジーンはやっていないと言う。けれど真実は一つだけ。……ならばどちらかが偽っているということ』

『っ……、私は嘘などつきません!』

『ヘレナ様のおっしゃる通りです!』

『卑しいジーンと高貴なる我ら、どちらが正しいかなど明らかではありませんか!』



 ヘレナが宣言し、アイリスたちが同意し、魔法院長が血相を変える。彼らも必死なのだ。万が一真実が露見すれば、厳罰を受けるのは自分たちなのだから。



『ヘレナ、魔法院長。貴方がたはあくまでジーンがヘレナの論文を盗んだと言うのですね?』

『は、はい! もちろんですわ!』

『魔法院長の職務にかけて誓います!』



 エメラインの問いかけに、ヘレナと魔法院長は自信たっぷりに答えた。論文には作成した日付が記されており、魔法院長のもとにも提出の記録があるはずだが、そんなものはいくらでも偽造できる。



 ジーンがいくら『俺が先に提出した』と主張しても、物的な証拠がない。証拠がなければ証言がすべてだ。貴族が平民に負けるわけがない。



 彼らの胸のうちが透けて見えた。けれど不思議と苛立ちはなかった。まだらに金の散った碧眼は、非難も侮辱もなく、ただ静かに、凪いだ海のようにジーンを見つめていたから。



『ジーン。貴方はヘレナの論文を盗んでいないのですね?』

『……はい。私は一人で、自分だけの力で論文を書き上げました』



 スラムに生まれ、徒花あだばなと呼ばれた自分は決して誉められた育ちではない。生きるため、エメラインが聞けば眉をひそめそうなことでも進んでやった。



 でも、魔法に関してだけは妥協したことはない。

 その努力だけは、誰にも笑わせたりはしない。



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