耳をあなたに。良いもの。
耳をあなたに。良いもの。
耳をあなたに
「音が苦手だ」
彼はいつもそう口にしていた。
「音楽なんてやかましい」が口癖の人だった。
いつも本を読んでいて。
絵画が好きで美術館によく行った。
そんな彼に私は無神経に言ってしまったのだ。
「耳が無ければと思ったことはない?」
すると彼は憮然としていった。
「考えたけど、お前の声が聞けなくなる」
彼はいつも私の声をほめていた。
外見に気を使わない私だけど、それが理由で声を磨いた。
彼は私との会話を楽しんでいた。
世間に疎い私は、彼を楽しませるために世間のことを知ろうとした。
彼は私との時間を大切にしていた。
忙しい私は、頑張って彼との時間を作った。
でも、もうそれもかなわない。
あなたは声の届かない所に行った。
あなたの声が聞こえないくらい遠くへ。
ねぇ、出来るなら私の耳をあなたの元へ送れないかしら?
そしたら、あなたの声を聞けるもの。
一人で部屋にいるときも静けさに耐えられるもの。
ねぇ、どうして耳が私のところにあるのかしら?
あなたの声が聞こえるの。
ふと、気づけばあなたの声を聞いているの。
そんな寂しい思いももうおしまい。
あなたと会話をしに行くわ。
ちょっと待ってて、準備をするから。
それが終わったら、また話をしましょう。
そちらがどんな所かわからないけれど。
あなたの耳が私の声を聞くためにあるなら。
私の耳はあなたの不愛想を聞くためにある。
お互いそう決めたでしょう?
だからまた、お話しましょう。
ねぇ、あなた。
※
良いもの
少し敏感な人が、昼時におぼろな人影を見た。
気になった敏感な人は人影に話しかけた。
「何をしているのですか?」
人影は答えた。
「旅をしています」
敏感な人が「どちらへ?」と言うと、人影は少し考えるそぶりをして答えた。
「どこにでしょう?」
敏感な人はあきれた。
「あなた、目的もなく旅をしていたのですか?」
人影は首を横に振った。
「いいえ、ただ良いものを探していたのは確かです」
「良いもの?」と敏感な人が人影に問うた。
「はい、良いものです。ただ、不思議なんです。良いものは一度見つけても、しばらくしたら消えてしまうのです」
敏感な人はそれを聞いて、少し考えて、言った。
「それはあなたが見えなくなっただけではないですか?」
人影はその言葉を聞いて、少し首を傾げ、考えるそぶりをしてから、言った。
「どうしたら、見えなくならないようになるでしょう?」
敏感な人は、また、少し考えて答えた。
「見えなくなったら、また見えるまで待ってみるのもいいかもしれません」
人影は、また考えるそぶりを見せ、頷いた。
「そうします」
それから、しばらくして、敏感な人は再び人影を見た。
人影は花のそばに座り、少し薄くなっていた。
敏感な人は人影の横に座った。
「しばらくぶりです」
「ああ、しばらくぶりです」
「良いものは見つかりましたか?」
「さぁ、ただ、この花のそばにいようかなと思いました」
「なるほど。では、旅はどうされます?」
「それもわかりません」
「そうですか、まぁ、良いことがあるといいですね」
「そうですね」
また、しばらくして、敏感な人が訪れると花は枯れていた。
人影はいなくなっていた。
旅に出たのか、どうか。
それは、わからない。




