第八章「フェイスアップ」
棚を満タンに見せる技術を「フェイスアップ」という。前出し、とも言う。
客が商品を手に取ると、棚の奥に、空洞ができる。そのままにしておくと、「売れ残り」の気配が出て、次の客の手が、伸びなくなる。だから、私たちは、奥の品を前へ引き出す。ラベルの正面をまっすぐこちらへ向ける。角を揃える。──たったそれだけで、棚は、満タンに見える。実際の在庫が、どれだけ少なくても。
この番組は、フェイスアップの、見本市だった。
参加者たちは、みんな、自分の棚を満タンに見せていた。奥がどれだけ空っぽでも、正面だけは、きれいに、整えて。王子様系の一ノ瀬岳は、いつも完璧な笑顔を前に出していた。あざとい桃瀬まりんは、あざとさを前に出していた。意識高い系の剣持蓮は、自信を。──誰もが、いちばん見せたい面をゴールデンラインに、並べていた。
私はそのフェイスアップの、奥のほうを見る癖が、ついていた。
なぜなら、私自身が、ずっとフェイスアップの、名人だったからだ。
私は何年も、自分の棚を満タンに見せてきた。ほんとうは、奥が、からっぽなのに。母の前では、大丈夫なふりをした。店では、疲れていないふりをした。誰かに、心配されるのが、嫌だった。心配されるということは、私の棚の、奥の空洞を見られるということだった。だから、正面だけ、きれいに、整えた。角を揃えて。ラベルをまっすぐこちらへ向けて。──満タンに見える棚には、誰も、手を伸ばさない。そのかわり、誰も、心配も、しない。それで、いいと、思っていた。
だから、他人の、フェイスアップの、奥の空洞が、私には、よく、見えた。同じことをしてきた人間には、わかる。正面が、きれいであればあるほど、奥は、空っぽなのだと。
いちばん気になったのは、陽菜だった。
癒し系、と番組に振り分けられた陽菜は、誰にでも、同じ、ふわふわした笑顔を向けていた。それが、彼女のフェイスアップだった。けれど、その笑顔の、奥の段は、どんどん、空っぽになっていた。
その日、庭で私はそれを目撃した。
剣持蓮と、桃瀬まりんが、陽菜をうまく、使っていた。
「陽菜ちゃん、ちょっと、あれ取ってきてー」
「陽菜ちゃんって、ほんと、いい子だよねー」
二人は、陽菜を便利な小間使いのように扱っていた。それでいて、カメラの前では、「陽菜ちゃん、大好き」と抱きついてみせる。陽菜は、その一つ一つに、律儀に笑顔で、応えていた。ふわふわの笑顔の、奥で、彼女の目が、少しずつ光を失っていくのが、私には、見えた。
夜、私は部屋を抜け出して、陽菜を探した。
彼女は庭の、いちばん暗い隅に、一人で、しゃがんでいた。膝を抱えて。ふわふわの笑顔は、そこには、なかった。ただ、疲れきった、一人の女の子が、いた。
「陽菜さん」
私が声をかけると、彼女はあわててあの笑顔を作ろうとした。フェイスアップ。空っぽの棚を満タンに見せる、反射的な動き。
「あ……相沢さん。えっと、あたし、大丈夫、です」
「無理に、笑わなくて、いいですよ」
私は彼女の隣に、そっと座った。夜露で、芝生が、湿っていた。冷たさが、じんわりと、伝わってくる。
「棚がね、」
私は静かに言った。
「奥が、空っぽのときほど、人は、正面をきれいに、整えるんです。売れ残りって、思われたくないから。……でも、それ、しんどいでしょう」
陽菜の、作りかけの笑顔が、崩れた。
ぼろぼろと、涙が、こぼれた。ふわふわの笑顔の、奥に、ずっとためこんでいたものが、いっぺんにあふれた。
「……っ、あたし、いい子で、いなきゃって……嫌われたら、脱落しちゃうって……でも、もうわかんない……何が、あたしなのか……」
私は彼女の背中に、そっと手をあてた。夜勤で、泣いている客の背中を何度もさすってきた手だ。眠れない人。行き場のない人。この大きな洋館の中にも、深夜三時が、あった。
「あなたはいい子だから、いるんじゃない」
私は言った。
「あなたはあなただから、ここにいるんです。笑ってなくても、いい。前出し、しなくても、いい。──奥が、空っぽでも、あなたの中身は、なくなったりしない」
陽菜は、しばらく泣いていた。それから、ずっと作っていた笑顔ではない、ぐしゃぐしゃの、けれど、本物の顔で、私を見て、言った。
「相沢さん、あったかい……」
あったかい。──また、その言葉だった。冬川と、同じ。この番組の中で、みんな、こんなにも、温度に、飢えていた。選ばれた者だけが温められ、選ばれなかった者は、冷やされる。そんな場所で、無条件の温かさは、それだけで、涙の理由になった。
陽菜は、泣きやむと、少しだけ、すっきりした顔をしていた。
「あたし、明日から、ちょっとだけ、無理するの、やめてみる。……全部は、無理だけど。ちょっとだけ」
「それで、十分です」
「相沢さんが、いてくれて、よかった」
その言葉は、私の胸に、じんと、残った。私はこの番組の中で、初めて、誰かの「いてくれてよかった」になっていた。奥の段の、当て馬ではなく。誰かにとっての、必要な、明かりに。
けれど、私はまだ知らなかった。この優しい子が、あと数回の脱落セレモニーで、あまりに理不尽な形で、この棚から、下げられることを。そして、そのとき、私がそれを止められない場所にいることを。
部屋に戻る途中、廊下で、私は一ノ瀬岳に、呼び止められた。
部屋に戻る途中、廊下で、私は一ノ瀬岳に、呼び止められた。
「相沢さん」
王子様系の彼が完璧な笑顔で、こちらを見ていた。けれど、その笑顔の、奥の段が、いつもと、少し違った。作りものの気配が、いつもより、濃かった。まるで誰かに、そうしろと、言われて、来たみたいに。
「今度、二人で、話さない? 俺、相沢さんのこと、もっと知りたくて」
あまりに、唐突だった。今まで、私になど、見向きもしなかった、今季の王子が。彼の背後の、廊下の角に、スタッフの気配が、あった。カメラの、赤いランプが、暗がりで、じっと灯っていた。
私の中で、単品管理の勘が、警鐘を鳴らした。これは、彼の"いつも"ではない。誰かが、この場面を作っている。
「……急に、どうしたんですか」
私はあえて、聞いた。一ノ瀬の笑顔が、ほんの一瞬こわばった。答えを用意されていない、質問だったのかもしれない。
「い、いや。ほら、この前のパーティー、相沢さん、すごい、輝いてたから」
用意された、台詞。輝いてた。──私がいちばん言われ慣れない言葉。それを今季の王子が、廊下の暗がりで、カメラのランプの前で、口にする。あまりに、できすぎていた。
私は微笑んで、うなずいた。ええ、ぜひ、と。断る理由は、なかった。ここは、そういう場所だ。作られた場面に、乗るか、降りるか。乗れば、ゴールデンラインへ。降りれば、奥の段のまま。──私は店を思い出した。あの明かりを。乗るしか、なかった。
部屋に戻ると、廊下の奥から、冬川の部屋の、明かりが、細く、漏れていた。彼も眠れていないのかもしれない。私はその明かりをしばらく見ていた。
なぜだろう。一ノ瀬の、完璧な誘いよりも、あの細く漏れる明かりのほうが、ずっと私の胸をあたためた。輝いてた、と言われるより、あんたは何が欲しいんだ、と聞かれたことのほうが、ずっとうれしかった。──それが、どういう感情なのか、私はまだ名前をつけられなかった。ただ、フェイスアップされた笑顔よりも、奥の空洞ごと、そこにいる人のほうへ、心が、傾いていた。
自分の棚の、いちばん奥に、押し込んでいたものが、ほんの少し前へ、動きかけていた。
ゴールデンラインへの引き上げが、始まろうとしていた。そして、その値札を決めるのは、私では、なかった。棚の、どこに置かれ、どう見せられるか。すべてを決めるのは、いつだって売る側だった。私という単品は、まだそのことの、ほんとうの意味をわかっていなかった。




