第七章「単品管理」
単品管理という言葉を初めて教わったのは、この仕事を始めたばかりの頃だった。
当時の店長が、こう言った。「売れ筋を"合計"で見るな。一品ずつ、"単品"で見ろ」。同じ売り上げでも、中身は違う。おにぎりが百個売れた日と、五十個しか売れなかった日。その差が、どこから来たのか。天気か、行事か、並べ方か。一品ずつ、粒を細かく追わなければ、明日の一手は、打てない。
人も、同じだと、私は思っている。「参加者」とひとくくりにしても、何も見えない。一人ずつ、単品で見て、初めて、その人が、何を欲しがっているのかが、わかる。
その日の企画は、「持ち寄りパーティー」だった。
各自が、近くの店でみんなに振る舞うものを一つずつ買ってくる。予算は、決まっている。何を選ぶかで、その人が出る、という趣向だった。
みんな、それぞれの「型」どおりのものを買ってきた。
王子様系の一ノ瀬岳は、しゃれた瓶入りの、外国のジュース。あざとい桃瀬まりんは、みんなでつつける、かわいいお菓子の詰め合わせ。意識高い系の剣持蓮は、やたら高い、オーガニックのナッツ。──見事に、型どおりだ。
私はそのとき、あることに気づいていた。
「陽菜さん、それ、なんですか」
私は隅で、所在なさげに立っていた、癒し系の陽菜に、声をかけた。彼女の手には、小さな、あたたかいスープの缶が、握られていた。
「あ……えっと、みんな、おしゃれなの買ってきてて。あたし、こんなの、変かなって」
「変じゃないですよ」
私は笑った。
「今日、朝から、雨で、寒かった。だから、温かいものが、いちばんみんなの体に、しみます。──陽菜さんは、"見栄え"じゃなくて、"みんなが今、ほしいもの"を選んだんですね」
陽菜は、目をまん丸にした。
「えっ……そ、そんな深く考えてないよ……ただ、寒そうだなって」
「それが、いちばん難しいんです」
私は彼女のスープの缶をそっとテーブルの中央に置いた。
パーティーが始まって、私は静かに動きはじめた。
誰が、何を欲しがっているか。それは、口では言わない。仕草に、出る。
クールな白鳥沙羅が、しきりに、窓の外を見ていた。人の輪に、疲れている。私は彼女に、飲み物を渡すとき、こう言った。「少し外の風、あたってきたら。ここ、暑いですから」。沙羅は、驚いたように私を見て、それから、小さく、うなずいて、テラスへ出た。
ギャルの星野きらが、大きな声で笑いながら、ちらちらと飲み物のテーブルを気にしていた。私は彼女の手元を見た。空のコップ。喉が、渇いている。けれど、輪の中心にいて、自分から、離れられない。私は彼女に、そっと新しい飲み物を渡した。「はい、これ」。きらは、一瞬きょとんとして、それから、にっと笑った。「お姉さん、気ぃ利くじゃーん」。
意識高い系の剣持蓮は、みんなの前で、ずっと事業の話をしていた。横文字の多い、立派な話。けれど、彼の右足の、貧乏ゆすりが、止まらなかった。誰も、彼の話をちゃんと聞いていない。それに、気づいている。私は彼の隣に座って、静かに言った。「その話、もう少しゆっくり聞きたいです。二人のときに」。剣持は、一瞬話を止めて、それから、ふっと肩の力を抜いた。彼が欲しかったのは、拍手ではなく、たった一人の、ちゃんとした聞き手だった。
私は参加者たち一人ひとりの、"いつも"を読んでいた。仕事と同じだ。田久保さんの肉まん。ノノのコーンスープ。梶さんの、無糖のコーヒー。ここでも、私は一人ずつを単品で見ていた。型ではなく、粒として。
部屋には、いろんな匂いが、混ざっていた。桃瀬まりんの、甘い香水。剣持のナッツの、香ばしい匂い。そして、テーブルの中央で、陽菜のスープの缶が、静かに湯気を立てはじめていた。しょうゆではなく、コーンの、やさしい匂い。ノノの、あのスープと、同じ匂いだった。
私はその湯気を見ながら、不思議な気持ちになっていた。ここは、あの深夜のコンビニではない。まぶしい、洋館のパーティーだ。なのに、私がしていることは、まったく、同じだった。人を見て、"いつも"を読んで、そっと必要なものを差し出す。場所が、どんなに変わっても、私の職能は、変わらなかった。むしろ、こういう場所でこそ、それは、いっそう際立った。みんなが、型を演じるのに必死な場所で、一人ずつを粒として見る目は、それだけで、光った。
テラスから戻ってきた白鳥沙羅が、私の隣に、そっと立った。相変わらず、表情は、冷たい。けれど、その口が、ほんの少しだけ、動いた。
「……なんで、わかったの。私が外に出たかったの」
「顔が、疲れてたから」
「顔、変えてないつもりだったけど」
「変えてない人ほど、疲れは、目の奥に、出るんです」
沙羅は、しばらく黙っていた。それから、ぽつりと言った。
「あなた、変な人ね。……でも、嫌いじゃない」
クールな今季の"顔"が、初めて、私に見せた、素の一言だった。
やがて参加者たちが、私の周りに、集まりはじめた。
「相沢さんって、なんで、こっちが言う前に、ほしいもの、わかるの」
「魔法みたい」
「見ててよ、この人、絶対、次、あたしがトイレ行きたいの、当てるから」
笑い声が、起きた。それは、私をあざける笑いでは、なかった。初めて、私はこの番組の中で、一人の人間として、輪の中にいた。
輪の中は、あたたかかった。当たり前のことなのに、私はその温かさをずいぶん、久しぶりに、感じた気がした。いつも奥の段にいた。前出しで、他人の棚を満タンに見せて、自分は、後ろに、隠れていた。なのに、今、私はいちばん前にいた。しかも、演技を一つもせずに。ただ、いつもの、仕事のやり方で。
部屋の隅で、冬川悠が、その様子を静かに見ていた。彼は輪には、入ってこなかった。けれど、私と、目が合ったとき、ほんの少しだけ、口の端を上げた。それは、笑顔と呼ぶには、あまりに、控えめだった。けれど、確かに彼は私を見て、笑っていた。「探せばいい」と言った、その結果を見届けるみたいに。
私はその視線に、背中をそっと押される気がした。
その様子をカメラが、しっかりと捉えていた。
その夜、私は知らなかったが、私のこの場面は、番組の公式が、短い動画として、切り出した。「参加者全員の"ほしいもの"を言う前に当てる、深夜のコンビニ店員」。──それは、驚くほどの速さで、広まった。
「うちのバイト先の店員さんも、こうだったら神」
「この人が、いちばん優しくない?」
「なんか、この人だけ、参加者を"人間"として見てる」
コメントが、次々とついた。地味枠のはずの、私に。
スタッフルームで、その反応を見た香山さんがペンを止めた、とあとで、若いADの真下さんが、こっそり、教えてくれた。
「香山さん、じっとあなたの動画、見てました。それから、一言。──"使える"って」
使える。──帳簿の上で、死に筋だった品が、急に、売れ筋の棚へ、動かされる。あのときの、事務的な響きと、同じだった。人を商品としてしか見ていない者だけが、出せる声。その一言に、私はこの番組が、私をただの当て馬から、別の何かに、作り替えようとしている気配を感じた。棚のいちばん下の段に置かれていた品が、突然、ゴールデンラインへ、引き上げられようとしている。けれど、なぜかその予感は、喜びよりも、うっすらとした、不安を連れてきた。
ゴールデンラインに置かれる品には、置かれるだけの、理由が、いる。そして、その理由を決めるのは、いつだって売る側だった。私はこの夜、初めて手に入れた温かさが、いつか私を縛る鎖に、変わるかもしれないと、まだ知らなかった。ただ、久しぶりに、よく、眠れそうだった。




