第四章「入荷」
新しい商品が店に届くことを「入荷」という。
トラックが着き、番重と呼ばれる浅いコンテナが下ろされる。中身を検品し、棚へ収める。棚に収まった瞬間、それは初めて「商品」になる。それまでは、ただの荷物だ。
別荘の門をくぐったとき、私は自分が「入荷」されたのだと思った。
白い壁の、大きな洋館。芝生の庭。プールの水面が、初夏の光を反射している。門の内側には、すでに何台ものカメラが据えられていた。黒い服のスタッフが、忙しく機材を運んでいる。ここが、恋愛リアリティショー『真夜中の市場』の舞台だった。
番組の名前の由来は、初日の説明でわかった。
「ようこそ、真夜中の市場へ」
広間の中央で、香山さんがマイクを持って言った。参加者は、私のほかに、八人。男が四人、女が四人。私を入れて、九人だった。
「この番組では、みなさんに、"選ぶ"と"選ばれる"を繰り返してもらいます。市場ってのは、そういう場所でしょう。並んだ品のなかから、誰かが手を伸ばす。手を伸ばされなかった品は、棚から下がる」
私はぞくりとした。並んだ品。手を伸ばされなかった品は、棚から下がる。──それは、私が毎晩やっている仕事の、そのままの言い換えだった。この番組は、人間をコンビニの棚に並べるのだ。
「各回の終わりに、脱落セレモニーがあります」
香山さんが手のひらを差し出した。スタッフが、そこに、小さな缶を一本のせる。銀色の、温かい飲み物の缶だ。湯気は立っていないが、遠目にも、それが保温ケースから出されたばかりの、あたたかいものだとわかった。
「残る人には、この"温度トークン"を渡します。あなたはまだ選ばれている。まだ温かい場所にいていい。──脱落する人からは、これを返してもらう」
香山さんは缶をゆっくりと自分のほうへ引き戻した。
「温度を失う。それが、脱落です」
広間が、しんとした。参加者の何人かが、ごくりと喉を鳴らす。私は自分の手のひらを見た。何万本も、温かい缶を客に手渡してきた手だ。ホットケースから出したばかりの、あの温かさを私はよく知っている。それを奪われる。冷えていく。──それが、この番組の脱落だった。
中心モチーフをこんなに冷たく作り替える人がいるのか、と私は思った。温かいものを人を裁く道具にする。香山澪という人は、たぶん温度というものをどこかで憎んでいる。
うちの店では、温かいものは、いつだって贈り物だった。深夜三時に凍えて入ってくる客に私はホットケースの奥から、いちばん温かい肉まんを選んで渡す。眠れない人の手のなかでその温度が、ほんの少し夜を軽くする。「温めますか」──それが、私の口癖だった。弁当を買う客に私はいつもそう聞く。温めますか。たった一言。それだけで、冷えた米が、湯気を立てる。
この番組では、その温度が、逆に使われる。選ばれた者だけが温められ、選ばれなかった者は、冷やされる。温かさが、ご褒美と罰に、切り分けられている。私は手のひらの内側が、うっすらと汗ばむのを感じた。
広間を見回すと、大きな窓の外に、暮れかけた空が広がっていた。オレンジと藍のあいだの、あのいちばん静かな色。ちょうど、店の納品便が来る前の、あの空と同じ色だった。場所は、こんなにも違うのに。空だけは、どこにいても、同じ色をして暮れていく。私は少しだけ、店が恋しくなった。
自己紹介が始まった。
俳優志望だという男は、一ノ瀬岳と名乗った。彫刻のような顔で、目が合うだけで、女性陣がざわめく。まさに王子様だ。あざとく首をかしげて笑う女は、桃瀬まりん。名刺を配りたそうな男は、剣持蓮。若くして会社を立ち上げたらしく、話の三割が横文字だった。ふわふわした天然の癒し系は、陽菜。大柄で人のいい体育会系は、大河内猛。タイガと呼んでくれ、と屈託なく笑った。読者モデルのような、冷たく整った顔の女性は、白鳥沙羅。今季の"顔"だ、とスタッフが小声で言うのが聞こえた。派手なギャルは、星野きら。声が大きく、けれど、目だけは妙に優しかった。
みんな、見事に、型どおりだった。私が客層キーで振り分けたとおりに。
そして、最後の一人。
「冬川悠、です」
その男は、それだけ言って、口を閉じた。
背が高いが、姿勢は少し猫背だった。日に焼けた腕。無愛想な、けれど疲れた目。愛想笑いの一つもしない。広間の空気が、ほんの少ししらけた。あざとい桃瀬まりんが、わざとらしく「こわーい」と首をすくめる。すかさず、カメラがその顔を捉えた。
私はその男から、目が離せなかった。
なぜだろう。初めて会ったはずなのに、どこかで見た気がした。単品管理の癖で、私は人の顔をよく覚える。けれど、この既視感は、顔の記憶とは、少し違った。もっと体の奥のほう。指先や、鼻の奥に、うっすらと残っている、何か。
「相沢さんも、どうぞ」
香山さんに促されて、私は前に出た。
「相沢灯里です。三十二歳。深夜のコンビニで働いています」
途端に、空気が変わった。三十二歳。コンビニ。──参加者たちの頭のなかで客層キーが押される音が、聞こえた気がした。地味枠。当て馬。噛ませ犬。あざとい桃瀬まりんが、今度は「えー、すごーい、しっかりしてそうー」と上から目線の笑顔を作った。カメラが、また、それを捉えた。
私はうつむかなかった。うつむいたら、ほんとうに奥の段になってしまう。ただ、まっすぐ前を見た。
視線の先で、冬川悠が、こちらを見ていた。
彼だけが、笑っていなかった。あざけりもせず、値踏みもせず、ただ、静かに私を見ていた。まるで私という品物の裏に貼られたシールの、ほんとうの時刻を読もうとするみたいに。
その視線に、私の心臓が、ひとつ、大きく跳ねた。
なぜ、この人は。──型で私を振り分けない、たった一人が、なぜ、この番組で、いちばん「悪役」に見える顔をしているんだろう。
夕食は、豪華だった。長いテーブルに、湯気の立つ料理が並ぶ。参加者たちは、早くも探り合いを始めていた。一ノ瀬岳の周りには、桃瀬まりんと星野きらが、さっそく席を寄せている。剣持蓮は、白鳥沙羅に、事業の話を熱心に聞かせていた。沙羅は、冷たく整った顔のまま、ほとんど相槌も打たない。癒し系の陽菜だけが、誰にでも同じ笑顔を向けていた。
私はテーブルの端にいた。誰も、私には話しかけない。予想どおりだった。奥の段は、話しかけられない。
ふと見ると、冬川悠も、テーブルの反対の端で、黙々と箸を動かしていた。会話に入ろうとしない。入れない、のかもしれない。彼の食べ方は、妙に早かった。まるで限られた休憩時間で、かき込むように。──その食べ方に、私は覚えがあった。夜勤の合間、五分で腹を満たす、あの食べ方だ。この人も、どこかで、時間に追われて生きてきた人なのかもしれない。
その夜、割り当てられた部屋のベッドで、私は天井を見ていた。慣れない静けさ。夜勤の体は、この時間に眠れない。既視感の正体を私はずっと探っていた。どこで、私はあの男に会ったんだろう。指先に、鼻の奥に、残っている、この感じ。
答えは、まだ出なかった。窓の外で、庭の照明が、じいと低く鳴っている。うちの店の冷蔵ケースの唸りと、少しだけ似た音だった。私は目を閉じた。思い出しかけた記憶の輪郭が、暗闇の中で、ゆっくりとこちらへ近づいてくる気配だけがあった。あの無愛想な男の、疲れた目。どこかで、私はあの目を見ている。会う前から、知っている気がする。──その確信だけが、妙にはっきりと胸の底に残っていた。




