第十二章「死に筋」
死に筋、という言葉が、ある。
売れない商品のことだ。棚は、限られている。毎週、新しい商品が、百種類ほど、入ってくる。だから、同じ数だけ、売れない品を棚から、外さなければ、ならない。これを「カット」という。登録を解除する。情に、流されず、データを見て、冷たく、決める。それが、店を回す者の、仕事だった。
私はその週から、香山さんの「筋書き」に、乗った。
自分に、言い聞かせた。これは、フェイスアップだ。演技じゃない。ただ、見せ方を変えるだけ。──嘘だった。私ははっきりと演技をしていた。
一ノ瀬岳と、私はカメラの前で、少しずつ距離を縮めた。彼が気の利いたことを言う。私がはにかむ。二人で、庭を歩く。手が、触れそうで、触れない。──絵に描いたような、シンデレラの、物語。視聴者は、それを喜んだ。「庶民の相沢さん、幸せになって」。応援の声が、増えた。数字が、動いた。香山さんは満足そうだった。
その裏で、冬川悠は、少しずつ「悪役」に、されていった。
番組は、巧妙だった。彼の無愛想な受け答えを切り取る。ぶっきらぼうな一言を文脈から、外して、並べる。彼がただ、黙っている場面に、不穏な、BGMを乗せる。──中身は、変えない。見せ方だけを変える。私が教えた、あの技術で。フェイスアップの、逆。いちばん悪く見える面を正面へ。
編集の力は、恐ろしかった。
参加者に共有される、その週のダイジェストを私は見た。そこにいる冬川は私の知っている冬川では、なかった。無口なのは、同じ。けれど、その無口が、「何を考えているかわからない、不気味な男」に、変わっていた。彼が私と一ノ瀬を遠くから見ている場面が、抜かれ、ナレーションが、こう、乗った。「シンデレラの恋をじっと見つめる、影の男。彼の胸に、渦巻くものは──」。
実際には、彼はただ、庭で一人、夜風に、あたっていただけだった。私はそれを知っていた。彼が眠れない夜に、一人になれる場所を探していただけだと。なのに、番組は、その孤独を悪意に、書き換えた。
視聴者は、まんまと、乗せられた。「あの男、こわい」「相沢さんに、近づくな」「早く、脱落しろ」。コメントが、日に日に、冷たく、なっていった。私の職能が、私の教えた「見せ方」の技術が、一人の、無実の人を大勢の悪意の的に、変えていく。棚の、いちばん見苦しい面をこちらへ向けるだけで、こんなにも、人は、簡単に、誰かを憎める。
そして、私は。
私は彼を避けはじめた。
深夜のキッチンへ、行かなくなった。彼と、目を合わせなくなった。廊下で、すれ違っても、うつむいて、通り過ぎた。カメラの前で、一度スタッフに、促されるまま、こう、言った。
「冬川さんは……ちょっと、こわいです。何を考えてるか、わからなくて」
言った瞬間、自分の声が、他人のもののように聞こえた。こわい。何を考えてるか、わからない。──嘘だ。私は知っている。あの人が、だしの匂いに、無防備な顔をすることを。米粒一つ、残さず食べることを。カップ麺の容器を几帳面に、ゆすいでから、捨てることを。あの人が、どれだけ、あたたかい人か、私は誰よりも、知っている。
なのに、私はその口で、彼を悪役に、した。
その夜、廊下の暗がりで、冬川と、鉢合わせた。
避けようとした私を彼は呼び止めなかった。ただ、静かにこちらを見ていた。責めもせず、すがりもせず。いつもの、あの疲れた目で。まるで私という単品の、裏に貼られたシールの、時刻が、書き換わったのを読み取ったみたいに。
「あんた、」
冬川がぽつりと言った。
「無理、してないか」
その一言に、私は崩れそうになった。彼は自分が、悪役にされていることに、気づいていた。私がそれに、加担していることも。なのに、彼が心配したのは、私のほうだった。無理、してないか。──私は何も、言えず、うつむいて、その場を逃げるように離れた。心臓が、痛いくらい、鳴っていた。手のひらに、爪が、食い込んでいた。
自分に、言い聞かせた。これで、いい。私が店を守れば、みんな、しあわせ。冬川さんも、私みたいなのより、ずっといい人と、出会える。──フェイスアップの声。空っぽの、罪悪感を優しさで、満タンに、見せる、あの声。
部屋に、戻って、私は鏡を見た。
そこに映る顔は、たしかにいつもより、"きれい"に、見えた。上の棚の、ゴールデンラインに、置かれた品の顔。誰もが、応援したくなる、健気な庶民の顔。──でも、その奥は、空っぽだった。いや、空っぽ、ならまだよかった。奥には、腐りはじめた、何かが、あった。先入れ先出しを怠った棚の、奥のように。私は冬川への、後ろめたさを奥へ、奥へと、押し込んで、正面だけ、きれいに、整えていた。
毎晩、店で客に手渡してきた温度が、思い出された。あの無条件の温度。誰にでも、同じ高さの「温めますか」。値踏みも、選別も、しない温度。それを私はいまたった一人の、いちばんあたためたい人を冷やすことに、使っている。あれは、無条件だった。誰にでも、同じ高さの、「温めますか」。値踏みも、選別も、しなかった。なのに、私はいまたった一人の、いちばんあたためたい人を自分の手で、冷やしている。店を守るために。あの無条件の温度を灯しつづけるために。──温度を守るために、温度を奪う。矛盾の、いちばん深いところに、私は立っていた。
そして、その週の、脱落セレモニーで。
陽菜の、名前が、呼ばれた。──残る側では、なく。
あの優しい、陽菜が。番組の"筋書き"に、都合の悪くなった、癒し系の女の子が。あまりに、あっさりと、棚から、下げられた。
なぜ、陽菜が、と私は思った。
あの子は、誰にも、優しかった。誰も、傷つけなかった。ただ、番組の作りたい物語に、都合が、悪くなった。それだけだった。シンデレラの恋を盛り上げるには、脇役の、癒し系は、もう要らない。棚から、外す。死に筋をカットするみたいに。データを見て、冷たく。──それが、この場所の、論理だった。人柄も、優しさも、関係ない。売れる物語に、組み込めるか、どうか。それだけで、人が、棚から、下げられる。
香山さんが陽菜の、温度トークンを返させた。あたたかい缶が、陽菜の手から、香山さんの手へ、移る。陽菜の手のひらから、温度が、失われていく。あの子の指が、最後に、缶を離すまいと、ほんの一瞬力を込めたのを私は見てしまった。それでも、缶は、奪われた。陽菜は、最後まで、あのふわふわの笑顔を作ろうとして、失敗して、泣いた。
私はその様子を見ていることしか、できなかった。上の棚から。あたたかい温度トークンを握りしめたまま。止めることも、かばうことも、しなかった。しては、いけなかった。私が動けば、次に、冷やされるのは、私だ。店の明かりが、消える。──そう、自分に、言い聞かせて。私はまた、うつむいた。
「相沢さん」
去り際、陽菜が、私に小さく、言った。
「相沢さんは、ちゃんとあったかいままで、いてね」
その言葉が、刃のように私の胸に、刺さった。あったかいまま。──私はもうあたたかくなんか、なかった。私はいま人を冷やす側に、回っている。このまぶしい棚の上で。死に筋をカットするみたいに情を押し殺して。
陽菜の姿が、扉の向こうへ、消えた。広間には、まだあの子の、コーンスープの匂いの、記憶だけが、残っているような気がした。ノノの、あのスープと、同じ匂い。守りたかったはずの、あたたかいもの。私はそれをこの手で、見殺しにした。
私は握りしめた温度トークンの、冷えていく熱を感じながら、思った。次に、この番組が、カットするのは、誰だろう。──答えは、わかっていた。冬川悠。そして、そのカットのボタンを押させられるのは、私だった。奥へ押し込んだ罪悪感が、もう隠しきれないほど、腐りはじめていた。




