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矛先

仁哉は仕事とプライベートをはっきり区別する人間だった。付き合っていた彼女と別れた時も何の変化もなく仕事をしていた。自分のことを周りに話さないので同僚もみんな仁哉がどこに住んでいてどんな生活をしているのか知らなかった。

「佐藤さんどうしたんですか?」

隣の席のケースワーカーの声でふと我に返った。

「昨日からあんまり体調良くないみたいですけど」

「あ、あぁ・・・いえ、大丈夫です。なんでもないんで」

確実に仁哉の精神はダメージを受けていた。なんで実の兄と再会することがこんなにも苦しいことなのか、と仁哉は自分の境遇を恨めしく思った。今までもそんなことは何度もあった。物心ついた頃には和由は中学生になっていて、年も離れていたからか一緒に遊んだということがほとんどない。いや、年が離れていたのが原因ではない。和由はずっと母に連れ回されていたのだ。だから仁哉と話す時間もなかったのだ。


仁哉が和由と話したのは覚えている限り一度しかない。まだ仁哉が幼稚園に行っていた頃だったと思う。金色の折り紙でメダルを作った。「お家の人や好きな人にあげましょう」と先生が言っていたので和由にあげようとした。別に好きな人ではなかったけれど、母親はそういうのに取り合ってくれないとわかっていたし父親はいなかったから消去法で和由だったというだけだ。

「お兄ちゃん、これあげる」和由が受け取ろうと手を出した時、ちょうど母親が買い物から帰ってきて「あら、何これ。お兄ちゃんはこんなのいらないわよね」と金色のメダルをゴミ箱に捨てた。

仁哉が和由に話しかけたのはその時だけだ。


仕事を終え、仁哉が帰ると和由は寝ていた。身元不明で保護された時についた傷はまだ痛々しく残っている。

「傷の状態から見ると、おそらくどこかから落ちたか転んだか。衰弱もしていたようですし」

和由を初めて見たあの日、警察でそう言われた。

仁哉は突然わけもわからない怒りがこみ上げてきた。なんで俺の家にこいつがいるんだ、なんで寝てるんだ、なんで記憶障害なんてなるんだ。


次の瞬間、仁哉の足は和由を蹴り飛ばしていた。


和由はびっくりしたように仁哉の顔を見た。

仁哉は自分のしたことがわからず呆然としていたけれど、仁哉を見る和由の目にまた抑えきれない怒りがわき、和由の胸ぐらを掴んでいた。


それからのことを仁哉はあまり覚えていない。

気付いた時には部屋の隅で和由がぐったりして横たわっていた。


なんてことをしてしまったんだ。仁哉はとりあえず和由の息を確認した。

気絶してるか寝てるだけだ。よかった。和由は死んでいい。俺の中ではもうとっくに死んでいるんだ。でもこいつのせいで俺が犯罪者になんてなるのはばかげている。

もういい。このまま家から引きずりだそう。外でのたれ死ねばいい。あとはどうなろうと知らん振りをすればいいんだ。

仁哉は和由を引きずって玄関へ連れて行こうとした。

「ごめんなさい」

和由の声がした。

驚いて仁哉は思わず手を離した。

「ごめんなさい。僕が寝てたのが気にくわなかったんでしょう。」

仁哉は何も言えずにその場に立ち尽くしていた。気にくわないことなんていっぱいある。そもそも和由がここにいること自体が気にくわない。しかしもう話す気力もなかった。

「いいんです、僕は何をされても仕方がないからいいんです。」和由は続けた。

「だからどうかあなたは自分のことを責めないでください。」


「何いい人ぶったこと言ってんだよ」仁哉の中に再び怒りが起こった。

「ここから出てってくれよ!もう帰ってくるなって言ったんだよ!」


それから仁哉の暴力が始まった。和由はどんどんと弱っていくが、どうしても仁哉の家を去ろうとはしなかった。

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