第5話 ばあちゃん扱いすんな
それから数日。
優斗と美佐子は、以前より頻繁に会うようになっていた。
特別な約束をしているわけではない。
美佐子から突然、
「今日、仕事終わったら飯行くぞ」
と連絡が来る。
優斗が、
「はい」
と返す。
それだけだった。
けれど、優斗にとって美佐子と過ごす時間は、いつの間にか楽しみになっていた。
その日も二人は、岸和田駅から少し離れた小さな食堂にいた。
「優斗、もっと食え」
「いや、これで十分です」
「若い男がそんなんで足りるか」
「美佐子さん、僕より食べてますよ」
「私は仕事で体使っとるからええねん」
「僕も介護で結構動きますよ」
「ほな、もっと食え」
「話が戻ってます」
美佐子が豪快に笑う。
優斗も笑った。
食事を終えた頃、美佐子が立ち上がった。
「ちょっと買い物してくるわ」
「僕も行きます」
「ええ」
「荷物持ちますよ」
「いらん」
「でも……」
「お前な」
美佐子が呆れたように優斗を見る。
「私、六十四やけど、まだ自分で荷物くらい持てるで」
「あ……すみません」
「また謝った」
「癖なんです」
「ほんまにもう……」
二人で店を出る。
近くのスーパーに入り、美佐子は仕事用の飲み物や食料品を買っていく。
優斗が自然に買い物袋を持った。
「だからいらんって」
「いいですよ。僕が持ちたいので」
「……そうか」
美佐子はそれ以上言わなかった。
店を出てしばらく歩く。
すると、向こうから美佐子の知り合いらしい女性が歩いてきた。
「あら、美佐子やん」
「おう」
「珍しいなぁ。男の人と一緒やん」
「……」
優斗が少し緊張する。
「息子さん?」
「違うわ!」
美佐子が即答した。
女性は笑った。
「じゃあ、お孫さん?」
「もっと違うわ!」
「冗談やん」
女性は笑いながら去っていった。
美佐子は不機嫌そうに歩き続ける。
「……美佐子さん」
「なんや」
「別に気にしなくても」
「気にしとらん」
「でも……」
「気にしとらん言うたやろ」
声が少し強くなった。
優斗は黙った。
しばらく歩く。
やがて美佐子が小さく息を吐いた。
「……悪かった」
「え?」
「怒鳴った」
「大丈夫です」
「お前、すぐそう言うな」
「何がですか?」
「『大丈夫』って」
「……」
「ほんまは大丈夫やない時もあるやろ」
優斗は答えられなかった。
美佐子は前を向いたまま続ける。
「私もな」
「はい」
「昔から、嫌なことがあったら怒鳴って誤魔化してきたんや」
「……」
「だから癖になっとる」
優斗は少し笑った。
「僕と似てますね」
「どこがや」
「僕は謝って誤魔化します」
「……」
美佐子が吹き出した。
「なんやそれ!」
二人で笑った。
その日の帰り。
美佐子の家の近くまで来たところで、優斗が荷物を渡した。
「じゃあ、これで」
「ああ」
「また連絡ください」
「……」
美佐子がじっと優斗を見る。
「何ですか?」
「お前」
「はい?」
「私のこと、何歳くらいに見える?」
「え?」
「正直に言え」
「……」
優斗は困った。
「五十代……?」
「嘘つけ」
「じゃあ……」
「六十四や」
「はい」
「それがどうした?」
「いや……」
「お前、私のこと年寄り扱いしとらんか?」
「してないですよ」
「ほんまか?」
「はい」
「じゃあ何で荷物持つ?」
「それは……」
優斗は少し考えてから答えた。
「好きだからですよ」
「……は?」
「荷物を持つのが」
「そういう意味か!」
美佐子が大声を出す。
「紛らわしいこと言うな!」
「すみません!」
「また謝った!」
美佐子は怒ったように言いながら、笑っていた。
だが――。
家に帰って一人になると、美佐子は玄関先で立ち止まった。
優斗の言葉を思い出す。
『好きだからですよ』
もちろん、荷物を持つことが好きだという意味だった。
そんなことは分かっている。
それなのに。
「……アホやな、私」
美佐子は自分の頬を軽く叩いた。
鏡を見る。
そこに映っているのは、六十四歳の自分。
白髪も増えた。
顔にも皺がある。
若い頃のような体力もない。
「何考えとんねん……」
そう呟いた。
一方、その頃。
優斗も自宅で今日の出来事を思い返していた。
美佐子の笑顔。
怒った顔。
過去を話してくれた時の寂しそうな顔。
そして、今日の少し照れた表情。
「……なんでこんなに気になるんだろう」
優斗は自分でも分からなかった。
ただ一つだけ分かっていることがある。
美佐子に会えない日は、少し寂しい。
連絡が来ると、嬉しい。
笑っていると、自分も嬉しくなる。
そして――。
誰かに美佐子を「六十四歳の女性」としてではなく、ただの「年上の女性」として扱われると、なぜか少し嫌な気持ちになる。
「……まさか」
優斗はそこで考えるのをやめた。
まだ、自分の気持ちに名前をつけるには早すぎる。
そう思っていた。
しかし――。
その気持ちは、もう確実に恋へ向かい始めていた。




