第3話 ダンプの助手席
それから一週間。
優斗と美佐子は、時々連絡を取るようになっていた。
といっても、恋人同士でもなければ、特別親しい友人というわけでもない。
美佐子から突然、
『今日、暇か?』
とメッセージが来て、
『仕事終わってからなら大丈夫です』
と優斗が返す。
それだけだった。
その日も、仕事を終えた優斗のスマートフォンが鳴った。
『今から来れるか?』
『どこですか?』
『前に飯食った店の近く。ダンプ置いてるとこ』
『何かありました?』
『ええから来い』
「……また強引だな」
優斗は苦笑した。
それでも、不思議と嫌ではなかった。
指定された場所へ向かうと、美佐子がダンプの横で腕を組んで待っていた。
「遅い!」
「まだ約束の時間じゃないですよ」
「細かいこと言うな」
「……はい」
「ほら、乗れ」
「え?」
「助手席」
「僕が?」
「他に誰がおるんや」
美佐子はダンプの助手席側を指差した。
「ちょっと付き合ってほしいねん」
「どこへ行くんですか?」
「仕事や」
「仕事?」
「荷物運ぶだけや。今日、人が一人足らん」
「僕、ダンプなんて乗ったことないです」
「乗るだけや。運転せぇとは言わん」
「でも……」
「嫌なんか?」
美佐子が少しだけ寂しそうな顔をした。
優斗は、その表情に弱かった。
「……分かりました」
「よっしゃ」
美佐子は満足そうに笑った。
優斗が助手席に乗り込む。
ドアを閉めると、想像していたよりずっと高い。
「うわ……」
「怖いか?」
「ちょっと高いですね」
「慣れたら何ともない」
美佐子が運転席に乗り込む。
エンジンをかける。
低く重い音が車内に響いた。
「行くで」
「はい」
ダンプが動き出す。
優斗は窓の外を見た。
いつも自転車から見ていた岸和田の街が、少し違って見える。
美佐子はハンドルを握りながら、周囲を確認していた。
その姿は、普段の乱暴な口調からは想像できないほど真剣だった。
「……すごいですね」
「何が?」
「運転」
「当たり前や。何年乗っとると思っとんねん」
「何年くらいですか?」
「四十年近くや」
「四十年……」
「若い頃からずっとや」
美佐子は前を向いたまま続けた。
「最初はな、周りの男どもに馬鹿にされたわ」
「女性だからですか?」
「そうや」
「大変だったんですね」
「そら大変やったで」
美佐子の声から、少しだけ笑いが消えた。
「『女にダンプが運転できるか』とか、『すぐ辞めるやろ』とか」
「……」
「何回も言われた」
「それでも続けたんですか?」
「意地や」
「意地?」
「負けるの嫌いやからな」
美佐子は笑った。
「一回でも弱音吐いたら、負けた気がしてな」
優斗は黙って彼女を見た。
強い人だと思った。
怖い人だと思っていた。
けれど――。
その強さは、生まれつきではないのかもしれない。
長い年月をかけて、自分を守るために身につけたものなのではないか。
「美佐子さん」
「なんや?」
「かっこいいですね」
「……は?」
「え?」
「今、なんて言った?」
「かっこいいって……」
「お前、急に何言うとんねん」
「本当にそう思ったので」
「……」
美佐子が黙った。
耳が少し赤くなっている。
「美佐子さん?」
「前向いとけ!」
「はい?」
「運転中にこっち見るな!」
「すみません」
「また謝った!」
美佐子は前を向いたまま、口元を少し緩めていた。
しばらくして、目的地に到着した。
美佐子がダンプを停める。
「ここで待っとけ」
「何か手伝います」
「お前は介護士やろ。力仕事は私がやる」
「でも……」
「ええから」
美佐子は一人で降りていった。
優斗は助手席から、その姿を見ていた。
六十四歳とは思えない。
重そうな荷物を持ち上げ、周囲の男性作業員にも堂々と指示を出している。
「藤田さん、そこ置いといて!」
「分かっとる!」
「美佐子さん、今日も元気やな!」
「お前らがノロいだけや!」
周囲から笑い声が起こる。
誰も彼女を馬鹿にしていない。
むしろ、信頼されている。
仕事が終わる頃には、辺りは暗くなっていた。
美佐子が戻ってくる。
「疲れたか?」
「僕は座ってただけなので」
「そうやったな」
「美佐子さんこそ、大丈夫ですか?」
「何が?」
「疲れてないですか?」
「……」
美佐子が一瞬黙った。
「お前、ほんま変な奴やな」
「またですか?」
「普通は自分のこと気にするやろ」
「僕は大丈夫なので」
「……そういうとこや」
「え?」
「優しすぎるねん」
美佐子は小さく笑った。
「ほな、帰るで」
「はい」
帰り道。
車内に静かな時間が流れる。
しばらくして、美佐子がぽつりと言った。
「なあ、優斗」
「はい」
「私みたいな女、どう思う?」
「どうって?」
「年上で、口悪くて、元ヤンで、ダンプ乗っとる女」
「……」
優斗は少し考えた。
「かっこいいと思います」
「またそれか」
「でも、それだけじゃないです」
「ほな何や?」
「優しい人だと思います」
「……どこがや」
「この前も、食堂で知らない人の子どもが転んだ時、すぐ助けてましたよね」
「見とったんか」
「はい」
「あれくらい普通や」
「でも、美佐子さんは優しいです」
美佐子は何も言わなかった。
ただ、ハンドルを握る手に少しだけ力が入った。
「……そんなこと言われたん、何年ぶりやろな」
その声は、いつもの美佐子とは違っていた。
優斗は何も言わなかった。
窓の外には、岸和田の夜景が流れていく。
この日からだった。
美佐子にとって優斗が、ただの「優しい若い兄ちゃん」ではなくなり始めたのは。
そして優斗にとっても――。
美佐子という女性を、もっと知りたいと思い始めたのは。




