第17話 母親の質問
約束の日。
美佐子は朝から落ち着かなかった。
ダンプの運転なら、どんな狭い道でも平気で入っていける。
現場で男たちに囲まれても、怯むことなどない。
なのに今日は――。
「……何着ていったらええんや」
クローゼットの前で腕を組んでいた。
派手すぎるのは駄目。
かといって、普段着すぎるのも失礼だ。
結局、シンプルな服を選んだ。
「……これでええやろ」
鏡を見る。
「いや、もっと普通でええか」
服を着替える。
また鏡を見る。
「……何やってんねん、私」
自分で笑ってしまった。
約束の時間。
優斗が迎えに来た。
「美佐子さん」
「……どうや?」
「似合ってます」
「ほんまか?」
「はい」
「変ちゃう?」
「全然」
「……そうか」
美佐子は少し安心した。
「行くで」
「はい」
二人で優斗の実家へ向かった。
玄関の前に立つ。
美佐子が深呼吸する。
「……緊張してるんですか?」
「してへん」
「手、震えてますよ」
「寒いだけや」
「今日はそんなに寒くないですよ」
「うるさい」
優斗が笑った。
「大丈夫です」
「……お前が言うと、ほんまに大丈夫な気がするわ」
玄関が開く。
「いらっしゃい」
優斗の母親が出迎えた。
「初めまして」
「初めまして。美佐子です」
「どうぞ、上がってください」
「お邪魔します」
リビングに通される。
三人でテーブルを囲んだ。
しばらくは当たり障りのない話が続いた。
「お仕事はダンプの運転手なんですね」
「はい」
「長いんですか?」
「三十年以上になります」
「そんなに……」
「昔はもっと荒っぽい仕事でしたけどな」
美佐子が笑う。
「若い頃は、かなりヤンチャしてました」
「そうなんですか?」
「はい」
母親は少し驚いた。
だが、美佐子は誤魔化さなかった。
「でも、今は普通に働いてます」
「優斗から聞いています」
母親が優斗を見る。
「優しい人だって」
美佐子の表情が少し緩んだ。
「……あの子は優しいです」
「優斗さんを好きになったのは、いつ頃ですか?」
突然の質問だった。
美佐子は少し黙った。
「……いつからかは分からないです」
「そうですか」
「最初は、ただの知り合いでした」
「はい」
「でも、一緒にいると楽しくて」
美佐子は優斗を見る。
「気づいたら、大切になってました」
母親は黙って聞いていた。
「美佐子さん」
「はい」
「将来のことは考えていますか?」
「……」
美佐子の表情が変わった。
「正直に言います」
「はい」
「考えてます」
優斗が驚いて美佐子を見る。
「でも、簡単なことやないと思っています」
「年齢差ですね」
「はい」
「四十一歳」
「……はい」
母親は少し俯いた。
「私は、息子の人生が心配です」
「当然やと思います」
「美佐子さんは、どう思っていますか?」
美佐子はしばらく黙った。
そして、ゆっくり口を開いた。
「私は、優斗に普通の人生を歩んでほしいと思っています」
優斗の顔が曇る。
「普通に恋愛して」
「……」
「普通に結婚して」
「……」
「子どもが欲しいなら、子どもを作って」
美佐子の声が少し震えた。
「そういう人生を、私は邪魔したくありません」
「美佐子さん……」
優斗が口を挟もうとする。
だが、美佐子は手で止めた。
「でも」
母親を見る。
「それでも、優斗が私と一緒にいたいと言うなら」
美佐子はまっすぐ答えた。
「私は逃げません」
母親が顔を上げる。
「年齢差から逃げることも」
「……」
「周りの目から逃げることも」
「……」
「将来の不安から逃げることも」
美佐子は続けた。
「優斗と一緒に考えていきたいと思っています」
静かな部屋。
誰も言葉を発しなかった。
しばらくして、母親が口を開いた。
「……美佐子さん」
「はい」
「あなたは、優斗を幸せにできると思いますか?」
美佐子は答えに詰まった。
今までなら、迷わず言えただろう。
自分は強い。
誰にも負けない。
そう言えた。
しかし今は違う。
「……分かりません」
正直な答えだった。
「私はもう若くありません」
「……」
「いつか優斗より先に弱くなる日が来ます」
美佐子の目に涙が浮かぶ。
「だから、『絶対幸せにします』なんて無責任なことは言えません」
母親は黙って聞いている。
「でも……」
美佐子は隣にいる優斗を見る。
「一緒にいる時は、できるだけ笑わせたい」
「……」
「辛い時は支えたい」
「……」
「そして、私自身も優斗に支えてもらいたい」
優斗の目にも涙が浮かんだ。
「二人で生きていきたいです」
母親は長い間、何も言わなかった。
やがて、静かに息を吐く。
「……分かりました」
「え?」
「今日、反対するつもりでいました」
優斗が驚く。
「でも、少なくとも……」
母親は二人を見る。
「あなたたちが遊びで付き合っているわけではないことは分かりました」
「……ありがとうございます」
美佐子が頭を下げる。
しかし母親は続けた。
「ただし、私はまだ賛成したわけではありません」
「はい」
「これから先、本当に二人でやっていけるのか。それは見ていきたいです」
美佐子は頷いた。
「お願いします」
帰り道。
優斗と美佐子は並んで歩いていた。
「……美佐子さん」
「なんや?」
「ありがとうございました」
「何が?」
「母さんに、ちゃんと向き合ってくれて」
「当たり前やろ」
「怖くなかったですか?」
「めちゃくちゃ怖かったわ」
「え?」
「顔には出してへんだけや」
優斗が笑った。
「笑うな」
「すみません」
「でもな」
美佐子も笑う。
「逃げたくはなかった」
「……」
「お前の母親やからな」
優斗は美佐子の手を握った。
美佐子も握り返した。
その二人を、少し離れた場所から母親が見ていた。
まだ不安は消えない。
けれど――。
息子があんな顔で笑っているのを見たのは、久しぶりだった。
母親は小さく呟く。
「……本当に好きなんだね」
その頃。
美佐子は優斗の隣で、初めて未来を少しだけ現実として考え始めていた。
だが、二人の前にはもう一つ。
美佐子自身の家族、そして過去の人間関係という、大きな壁が残っていた。




