第16話 母親に言えない
恋人になってから、三週間。
優斗と美佐子は、以前よりも穏やかな時間を過ごしていた。
派手なデートをするわけではない。
一緒に飯を食べる。
岸和田の街を歩く。
仕事終わりに少しだけ話す。
それだけだった。
けれど、二人にとっては十分だった。
ある日。
美佐子がダンプを運転していると、信号待ちの交差点でスマートフォンが鳴った。
停車中に確認すると、優斗からだった。
『今日、会えますか?』
美佐子は思わず笑う。
『仕事終わったらな』
送信。
すぐに返信が来る。
『楽しみにしています』
「……ほんま、可愛いこと言うようになったな」
美佐子は笑いながらダンプを発進させた。
その日の夜。
二人は岸和田の海沿いを歩いていた。
「寒くなってきましたね」
「もう冬やからな」
「美佐子さん、寒くないですか?」
「私は平気や」
「無理しないでくださいね」
「お前はほんま心配性やな」
「恋人なので」
「……」
美佐子が少し照れた。
「そういうこと、平気で言うな」
「本当のことですから」
「はいはい」
二人で笑う。
しかし、その帰り道。
優斗のスマートフォンが鳴った。
「母さんからだ」
「出たら?」
「はい」
優斗が電話に出る。
「もしもし?」
少し話してから、
「うん。今帰るところ」
電話を切った。
「どうしたん?」
美佐子が聞く。
「母が、今度家に帰ってきた時に彼女を連れてきたらって」
「……」
美佐子の足が止まった。
「彼女?」
「はい」
「……私のこと?」
「もちろんです」
「ちょっと待て」
美佐子の顔が強張る。
「まだ早いやろ」
「でも、いつかは話さないと」
「……」
「僕は隠したくないです」
美佐子は黙り込んだ。
自分が六十四歳だということ。
優斗が二十三歳だということ。
四十一歳差。
それを知った時、優斗の母親はどう思うだろう。
「……嫌われるかもしれへんで」
「それでもです」
「怒られるかもしれん」
「覚悟しています」
「別れろって言われるかもしれん」
優斗は少し黙った。
「その時は、ちゃんと話します」
「……」
「僕が自分で決めたことだって」
美佐子はため息をついた。
「お前、ほんま頑固やな」
「美佐子さんに似たんじゃないですか?」
「私のせいにするな」
二人は笑った。
だが、美佐子の心は重かった。
数日後。
優斗は実家へ帰った。
玄関を開ける。
「おかえり」
「ただいま」
母親が出迎える。
「今日は一人?」
「うん」
「彼女は?」
「今日は来てない」
「どんな人なの?」
「……」
優斗は少し迷った。
「すごく優しい人だよ」
「そう」
「仕事もしてる」
「何歳?」
その質問に、優斗の口が止まった。
「……六十四歳」
「……え?」
母親の表情が固まる。
「六十四?」
「うん」
「優斗……」
「僕は本気だよ」
「相手は?」
「ダンプの運転手」
「……」
「昔はヤンチャしてたらしいけど、今はすごく真面目に働いてる」
母親は椅子に座った。
「どうして……そんなに年上の人なの?」
「好きになったから」
「でも、四十歳以上違うんでしょう?」
「四十一歳」
「そんな……」
母親は頭を抱えた。
「あなた、まだ二十三よ?」
「分かってる」
「これからどうするの?」
「まだ分からない」
「結婚とか考えてるの?」
「いつかは」
「……」
母親はしばらく黙っていた。
「お母さんは、反対したい」
優斗は静かに聞いた。
「うん」
「でも……」
母親は息子の顔を見る。
「あなたがそこまで真剣に言うの、初めて見た」
「……」
「今まで女の人の話なんて、ほとんどしなかったでしょう?」
「うん」
「その人、本当にあなたを大切にしてくれてる?」
「してくれてる」
「あなたも?」
「僕も大切にしてる」
母親はため息をついた。
「……一度、会ってみたい」
優斗の顔が明るくなる。
「本当?」
「会ってみないと何も分からないでしょう」
「ありがとう」
「ただし」
「はい」
「お母さんは、簡単には納得しないからね」
「分かってる」
その頃。
美佐子は自宅で一人、優斗からのメッセージを見ていた。
『母が、一度会いたいって』
「……」
美佐子はスマートフォンを握ったまま固まった。
「ついに来たか……」
今まで仕事では、どんな相手にも負けなかった。
怒鳴られても言い返した。
男相手でも怯まなかった。
けれど――。
好きな男の母親に会う。
しかも、自分は六十四歳。
「……これは怖いわ」
美佐子は珍しく、深いため息をついた。
そして、優斗へ返信した。
『分かった。会う』
少しして。
『ありがとうございます』
その文字を見て、美佐子は苦笑した。
「……ほんま、あんたのためなら何でもせなあかんな」
しかし、美佐子にはまだ知らないことがあった。
優斗の母親が、なぜ「一度会いたい」と言ったのか。
それは単なる興味ではなかった。
息子の人生を本当に任せられる相手なのか――。
母親として、確かめるつもりだった。
そして、その場で美佐子は初めて、自分の過去を真正面から話すことになる。




