第15話 それでも一緒にいたい
海からの風が、少し冷たくなっていた。
美佐子と優斗は、まだ手を繋いだまま歩いていた。
誰も何も言わない。
それでも、以前とは明らかに違っていた。
「……優斗」
「はい」
「今日のこと、誰にも言うなよ」
「何をですか?」
「手ぇ繋いだこと」
「どうしてですか?」
「恥ずかしいからや」
「僕は嬉しかったです」
「私は恥ずかしいねん」
美佐子は照れ隠しのように優斗の手を離した。
「ほら、もう終わりや」
「え?」
「今日は帰る」
「……はい」
優斗は少し寂しそうに笑った。
美佐子は、その表情を見ると胸が痛くなった。
「……そんな顔すんな」
「してません」
「してる」
「じゃあ、また会えますか?」
「……」
美佐子は少しだけ迷った。
「会う」
「本当ですか?」
「何回言わせるねん」
優斗が笑った。
美佐子も笑った。
それだけで十分だった。
翌日。
優斗は施設で仕事をしていた。
昼休み、スマートフォンを見る。
美佐子からメッセージが届いている。
『今日、仕事終わったら来れるか?』
優斗はすぐに返信した。
『行けます』
数分後。
『ほな、いつもの場所』
その短いやり取りだけで、優斗の顔は自然と緩んだ。
仕事を終える。
待ち合わせ場所へ向かう。
美佐子はダンプを降りると、優斗を見て手を上げた。
「おう」
「お疲れさまです」
「腹減ったやろ」
「少し」
「ほな行くで」
二人はいつもの食堂へ向かった。
しかし、その途中。
美佐子が突然立ち止まった。
「優斗」
「はい?」
「私な」
「はい」
「ちゃんと考えた」
優斗は黙って美佐子を見る。
「何をですか?」
「お前とのこと」
「……」
「年齢のことも」
「はい」
「周りのことも」
「はい」
「これからのことも」
美佐子は深く息を吐いた。
「全部考えた」
優斗は黙って待った。
「それでも……」
美佐子が顔を上げる。
「お前と一緒にいたい」
優斗の目が大きくなる。
「美佐子さん……」
「勘違いすんなよ」
「はい」
「まだ結婚とか、そんな話はせん」
「はい」
「いきなり家族に紹介するとかも無理や」
「はい」
「でも――」
美佐子が少しだけ笑った。
「恋人には、なってもええと思ってる」
「……」
優斗は言葉を失った。
「嫌か?」
「違います」
「じゃあ何や」
「嬉しすぎて……」
優斗の目に涙が浮かんだ。
「お前、泣くなや」
「すみません」
「また謝る!」
美佐子は笑った。
そして、少し照れながら手を差し出した。
「……ほら」
「?」
「繋ぎたいんやろ」
「はい」
優斗が手を握る。
美佐子も握り返した。
「今日から……」
「はい」
「私ら、恋人や」
「……はい」
二人は顔を見合わせた。
四十一歳の年齢差。
周囲の目。
将来への不安。
何一つ消えていない。
それでも。
今この瞬間だけは、二人で選んだ答えだった。
その夜。
美佐子は自宅に戻ると、鏡の前に立った。
「……恋人、か」
六十四歳。
今さら恋人なんてできるとは思っていなかった。
しかも相手は二十三歳。
「ほんま、人生何があるか分からんな」
思わず笑ってしまう。
一方、優斗も自宅でスマートフォンを眺めていた。
今日、美佐子と初めて恋人になった。
画面には美佐子からのメッセージ。
『今日はありがとう』
優斗は返信する。
『こちらこそ。これからもよろしくお願いします』
少しして返事が来た。
『こちらこそや』
そして、もう一通。
『優斗』
『はい?』
『好きやで』
優斗は画面を見つめた。
何度も読み返す。
「……」
胸が熱くなる。
そして、ゆっくり返信した。
『僕も大好きです』
送信。
その頃、美佐子はスマートフォンを握ったまま、布団の中で顔を赤くしていた。
「……何やねん、これ」
六十四歳になって初めて知るような、くすぐったい感情。
けれど――。
悪くなかった。
むしろ、嬉しかった。
二人の恋は、ようやく始まったばかりだった。
しかし、次に待っていたのは――。
優斗の家族に、この関係をどう伝えるかという問題だった。




