↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『岸和田、恋は年齢を越えて』  作者: こうた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/20

第14話 64歳の女

 その夜。


 美佐子は一人で自宅の鏡の前に立っていた。


 風呂上がり。


 濡れた髪をタオルで拭きながら、自分の顔を見る。


「……六十四か」


 改めて口にすると、その数字が妙に重く感じた。


 普段は年齢なんて気にしない。


 ダンプに乗る時も。


 仕事仲間と話す時も。


 昔の仲間と会う時も。


「私は私や」


 そう思って生きてきた。


 けれど、優斗と出会ってからは違った。


 四十一歳という年齢差。


 それが、日に日に現実味を増していた。


「……あの子は二十三や」


 美佐子は鏡の中の自分を見る。


 優斗はまだ若い。


 これから恋をして、結婚をして、家庭を作る可能性もある。


 自分にはない未来が、たくさんある。


 その時。


 スマートフォンが鳴った。


 優斗からだった。


『今日はありがとうございました』


 美佐子は画面を見つめた。


 少し迷ってから返信する。


『こっちこそ』


 すぐに返事が来る。


『また会いたいです』


 美佐子の指が止まった。


「……ほんま、この子は」


 胸が熱くなる。


 嬉しい。


 それが何より怖かった。


『明日も仕事やろ? 早よ寝ぇ』


 そう返信した。


 しばらくして、


『美佐子さんも』


 と返ってきた。


 美佐子は小さく笑った。


「おやすみ」


 画面に向かって呟く。


 翌日。


 二人は仕事帰りに会った。


 いつもの食堂ではなく、岸和田の海が見える場所だった。


 秋の夕暮れ。


 海風が少し冷たい。


「綺麗ですね」


「そうか?」


「はい」


 二人は並んで海を眺めていた。


 しばらくして、美佐子が口を開いた。


「優斗」


「はい」


「昨日、健一と会ったやろ」


「はい」


「あいつが昔の男や」


「聞きました」


「私、昔はあいつと結婚するつもりやった」


「……」


「でも、別れた」


 優斗は黙って聞いている。


「その後、何人か男と付き合ったことはある」


「……」


「でも、結婚はせんかった」


「どうしてですか?」


「怖かったんやと思う」


「怖い?」


「誰かと一緒に生きることが」


 美佐子は海を見る。


「一人なら、自分のことだけ考えればええ」


「はい」


「でも誰かと一緒になったら、その人の人生まで背負わなあかん」


 優斗は黙った。


「まして、お前は若い」


「……」


「私と一緒になったら、いつか必ず私の老いに付き合うことになる」


 美佐子の声が震える。


「お前が四十になった時、私は八十一や」


「……」


「お前が五十になったら、私は九十一」


「美佐子さん」


「お前が若い女と結婚して子どもを作って……普通に生きてたら、もっと楽しい人生がある」


「……」


「それを私が奪ってええんか?」


 優斗はすぐには答えなかった。


 美佐子は続ける。


「私はな、お前のことが好きになりかけてる」


「……」


「いや」


 一度目を閉じる。


「もう、好きなんやと思う」


 優斗の胸が大きく鳴った。


「でも、それと一緒に生きることは別や」


「……どうして?」


「好きだけでは、どうにもならんことがあるからや」


 優斗はしばらく考えた。


 そして、静かに言った。


「僕も、分かっています」


「……」


「将来、美佐子さんが年を取ることも」


「……」


「病気になる可能性があることも」


「……」


「僕が先に亡くなる可能性だってあります」


 美佐子は驚いた顔をした。


「そんな先のことまで考えとるんか」


「考えます」


 優斗は美佐子を見る。


「好きだから」


「……」


「美佐子さんが若くなるわけじゃない」


「当たり前や」


「僕も時間が経てば年を取ります」


「……」


「だったら、今から一緒に年を取っていけばいいと思います」


 美佐子は何も言えなかった。


 目元が赤くなる。


「……簡単に言うな」


「簡単じゃないです」


「お前はまだ二十三や」


「だからこそ、自分で決めたいんです」


 美佐子は俯いた。


「……怖い」


 その言葉が、口からこぼれた。


「私、怖いねん」


 初めてだった。


 美佐子が優斗の前で、弱さを隠さなかった。


「お前に捨てられるのが怖い」


「……」


「いつか若い女の人が好きになって、私なんか邪魔になるんちゃうかって」


「美佐子さん」


「私だって女や」


 涙が頬を伝った。


「六十四でも……好きな人に嫌われるのは怖い」


 優斗は何も言わず、美佐子の隣に立った。


 そして、そっと手を差し出した。


 美佐子はその手を見る。


「……何や?」


「手、繋ぎませんか?」


「……」


「嫌ならいいです」


 美佐子は少し迷った。


 そして――。


 ゆっくり、その手を握った。


「……あったかいな」


「美佐子さんの手もです」


「嘘つけ」


「本当です」


 二人は海を見ながら、手を繋いでいた。


 まだ正式に恋人になったわけではない。


 未来の答えも出ていない。


 それでも。


 この瞬間だけは、お互いの気持ちから逃げなかった。


 美佐子は思った。


 もしかしたら。


 この年齢になって初めて、本当に誰かを愛するということを知るのかもしれない――と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。