【48】下宿屋のおばちゃん⑭/⑭
◆◆◆
千代子へ
この手紙を読んでいるということは、わしは戻れんかった、ということやろう。
すまん。
両家の顔合わせのときにも言うたと思うが、わしは千代子には再婚をしてほしいと思っとる。
あんたが素直に聞くとは思えへんが、約束やったはずや。
高木のお父さんなら、良縁を見つけてくれるやろう。
再婚して、家族を作って、幸せになるんや。
納得のいく相手が見つかるまでは、下宿屋の仕事で生きていけばいい。そのために作ったんや。
わかったな。しっかりしいや。
石田義雄
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……は?
これだけ?
うちは、もう一枚あるんちゃうか、と確認したけど、ない。
……なんなん、なんか腹立つわ
静子ちゃんの顔を見ると、固まっている。
「……えっと、どない思う?」
なんと言えばいいかわからず、とりあえず静子ちゃんに聞いてみた。
「……どないもこないも……なんや、淡々としとるな。もっとこう……なんや、覚悟とか自分の想いとか、書いてあるんかと思たわ」
「はぁ……。確かにな、こんな人やわ」
すると静子ちゃんが笑いだした。
「ぷふぅ! あんたが素直に聞くとは思えへん、やて! あはははは! よくわかってはるわ!」
「な! そない笑わんかて……そりゃ、確かに、少しはそういうところもあるかもしれんけど」
「あはははは!」
「な、なんで笑うん!?」
「……言われても、聞かへんねやろ?」
「……再婚やなんて、考えられへん」
「うちの気持ちわかったやろ」
「う……はい」
「……世間から何て言われようがかめへんけど、まずは親の説得やな」
「静子ちゃんのお父さん、一人暮らし反対なんやね」
「まさか嘘つかれるとは思わんかったわ」
「……お父さんなりに、静子ちゃんのこと守ろうとしてはるんやろ」
「わかってる……」
襖の向こうから、お母さんが呼びかけてきた。
「千代子、入ってええか」
「はい」
襖を開けて中に入り、うちらの正面に座った。
「……読んだん?」
「うん」
「だいたい想像つくけどな……再婚せい、て書いてあったんちゃう?」
「そうや、それだけや……」
「……どないするん」
「無理や」
お母さんはため息をついた。
「はぁ……やろうな」
「ほんま、そっけないわ」
うちは口を尖らせる。
「千代子、あんたは昔から聞かん子や」
静子ちゃんが笑いを堪える。
なんやねん
「そやから……義雄くんには口止めされてたけどな、言うわ。堪忍やで、義雄くん……」
「口止め……? え、なに?」
「義雄くんな、赤紙が来た次の日、ここに来たんや。あんたが帰ったあとやな」
「あ……そう言うてたわ」
「この手紙を預けにきたんやけど……」
「……」
「淡々となぁ……もしものときは渡してください、て言うて、礼儀正しく挨拶して、さっさと帰ろうとするからなぁ……」
「……なに?」
「……お母さんな、玄関の外まで見送りしてな、千代子のことどう思ってんのか、ちゃんと本人に伝えたほうがええんちゃう? て言うたんよ」
「……大事に思てくれてたと思うで?」
たった一度だけ、好き言うてくれたもん……
「そらもちろんやけど……。義雄くんな、ほんまは誰にも渡しとうない、て、小さい声で言うてな……」
「……」
「そこから堰を切ったようにな、出征なんかしとうない! あの下宿屋で、千代子の働きたい夢を応援したい。子どももたくさん欲しい、家族みんなで暮らしたい、千代子と生きていきたい! て……」
「……義雄さんが? ……信じられへん」
「お母さんもな、少し驚いたわ。けどな、すぐに我に返って……千代子には、言わんとってください、て言われたわ」
「なんで? そないなこと、義雄さんから聞いたことないわ! なんでうちには言うてくれへんかったん?」
「もし言うてしもたら、千代子が自分の言葉に囚われてしまう、千代子の幸せを奪ってしまう、それだけは絶対許されへんのやて」
「そんなん……」
「千代子」
「はい……」
「義雄くんは千代子と生きていきたかったんや。それを国に奪われてしもた。こんな悔しいことないで。千代子がこれからどう生きていくか、それは千代子が決めるんや。お母さんたちは手助けしかできん。やるのはあんたや」
「……」
「月並みやけどなぁ、義雄くんの分まで、千代子は幸せにならなあかんで」
……うちの幸せ
「それから静子ちゃん」
「は、はい!」
「……他所様のことに口出すのもな、思たけど、同じ親として、お父さんの気持ちもわからんでもないわ」
「……」
「世間の目から、大事な娘を守るにはどうしたらええかを考えてはるのかもしれん」
「うちはそんなん平気やで」
「それは知らんからや」
「……」
「日々の生活の中で、近所付き合いは欠かせんのや。うまく折り合いつけんとな、世捨て人のような人生を送ることになるかもしれん。我が子がそうなるのを喜ぶ親はおらん」
「……」
「とは言えな、納得のいかん人生を送りたないやろう。静子ちゃん、お父さんとしっかり話をしておいで」
「……はい」
「さて、お母さんはこの辺で……お邪魔したな。静子ちゃん、ゆっくりしてってな」
「うん。ありがとう」
お母さんはうちの部屋を出ていった。
……うちは、迷ったけど、静子ちゃんにしばらく待ってもらってお兄ちゃんの様子を見にいくことにした。
お兄ちゃんの部屋に行くと、相変わらず生気のない顔で布団に横になっている。
「お兄ちゃん」
呼びかけても反応すらしてくれない。
うちは勝手に喋ることにした。
「うちなぁ、ひとりになってもうたわ。悲しすぎてな、もう消えてしまお、思てん」
お兄ちゃんの視線が少し泳ぐ。
「けどな……親友の作ってくれたお粥さんが美味しくてなぁ……身体にじわぁて染みてなぁ……」
「お兄ちゃん、義雄さんな、頑張ったんやで……戦争を、やないで。生き残るんや、て頑張ったんや」
「同じ部隊の人が言うてはったわ。生き残ってすみません、て。何言うてはんねやろ。生きてるだけで表彰もんや」
「死んでしもた人らも、全員頑張ったわ。一番あかんのは……うちみたいに、みんなに守られて生き残ったのに、自分から生きるのを諦めることや」
「戦争は終わった。戦争は、何にもええことなかった。ただ人が仰山亡くなっただけや。不毛や」
「お国のため……それをずっと信じとった。我慢して、頑張って、その結果が、ただ、人が亡くなった。それだけや……腹立つわ」
「……うちには、お兄ちゃんが何を考えてるかわからへん。お兄ちゃんは昔から真面目やったからなぁ……うち、そこが逆に心配やねん」
お兄ちゃん、反応ないわ、聞いてるんか
「……ええの? お兄ちゃんが、このうちから心配されてんのやで? うちやで?」
お兄ちゃんの口元がわずかに緩んだ。
「義雄さんが言うてたわ、空襲で下宿屋が燃えても無視して安全なところに避難しろ、て……とんでもないこと言うやろ? ふふ。そやからうちな、逃げるのは非国民や、言うたらな、下宿屋が残っても住む人がいなくなったら本末転倒、やて」
「つまりな、何が言いたいかと言うとな? 国も同じちゃうかな? て。……お国のために尽くすんを、信じてきた。そやけど……国が、国のために国民を犠牲にしてな、国を、守っても、国民がいなくなったら国が……なくなる……あ、あれ? く、国が……えっと……言いたいことわかる?」
お兄ちゃんの目に、少しだけ光が戻ってきたように見える。
「……つまりな、生き残ったうちらは、亡くなった人らのために国を……作っていかなあかんのとちゃうかな。国のためちゃうで、国民のためや。……そう、うちらがいて、初めて国になるんや」
「うちらは……うちは、亡くなった人らのために……義雄さんの分も……生きなあかん。義雄さんはうちの夢を叶えるために、頑張ってくれたんや。義雄さんの夢は、うちと生きていくことやった……うっ……うぅぅぅぅ……そやけど……もう……うぅぅぅ……」
泣くな、泣くな!
「……亡くなった人は、もう……戻ってこん。く……悔しいけど! もう戻ってこん! うぅぅぅ……うぇぇぇぇん……戻ってこんのや……うぅぅぅ」
あかん
「グスッ……けどうちな、もう、自分の命、粗末にせぇへん。義雄さんが、大事やと思ってくれたうちの命……義雄さんの分も、絶対に幸せになるんや! お兄ちゃんかてそうや! なにがあったかなんて、うちには想像もつかんけどな、命は尊いんや、大事にせなあかん! お兄ちゃんは、生きていかなあかん! 生き残った、うちらの使命や!」
……あ
ちょ、ちょっと強く言いすぎたか? お兄ちゃん、大丈夫か?
お兄ちゃんの顔を窺おうとすると、お兄ちゃんの手がゆっくり動いた。
何かを探すように。
「ど、どないしたん? 何が欲しいん?」
お兄ちゃんの口が微かに動くけど、何て言うてるかわからへん。口元に耳を近づける。
「……み、ず」
「み……水? 水か?」
枕元にあった水差しからコップに水を入れて、口元に慎重に運ぶと、お兄ちゃんはゆっくり頭を上げてひと口だけ飲み、パタッと頭を下ろし、視線をうちのほうに向けた。
そして、小さな声で言った。
「すまんな……千代子……わしは……卑怯にも……生き残って……しまった」
耳を近づけて必死に聞く。
「そんなわしでも……生きて……ええんか……」
びっくりしてお兄ちゃんの目を見ると、涙で潤んでいる。
「あ……当たり前やないの……グスッ……生きな……グスッ……生きなあかん……うっ……うぅぅぅぅ……なに……言うてんねん……卑怯なわけない、生きようとせんほうが、亡くなった人に申し訳ないわ! 生きなあかんに、決まっとるやろ……」
お兄ちゃんは、しばらくギュッと目を瞑り、そして力強い目で、うちを見て言った。
「……おおきに……すまんかった…………粥を……持ってきて、くれんか……」
「か……お粥!? わかった! お母さんに頼んでくるわ! ちょっと待っててな!」
うちは急いで立ち上がり襖を開けて廊下に出て曲がる。すると、そこに静子ちゃんが立っていた。
「静子ちゃん!? なにやってんの!?」
「や……その……心配になってな? ……立ち聞きしてもうた、堪忍」
「いや、ええけど……うちちょっと、お母さんに」
「あ! あ〜……大丈夫や、今、台所へ向かわはったわ」
「……え!? お母さんも聞いてたん?」
「……心配なってな?」
なんなん……
うちは静子ちゃんを連れてお兄ちゃんの元に戻り、2人が立ち聞きしていたことを、口を尖らせながら伝えると、弱々しくも、微笑んでくれた。
間もなくお母さんが台所から戻ってきた。
「いつでも出せるように、ハナが何かしら準備してくれてるんよ。お粥はもう少し待ってな」
そう言いながら、お兄ちゃんの上体を起こしてあげて、少しずつ、お味噌汁の上澄みを口に運ぶ。
すると、お兄ちゃんの目から一筋の涙が零れた。
「……お母さん……すまんかった」
お母さんは、ポロポロと泣きながら笑顔で答える。
「かめへんよ、生きていてくれるだけで、お母さんは嬉しいんや」
うちと静子ちゃんも、泣きながら、そっと部屋を出た。
ハナに帰ることを告げて、2人で下宿屋へ戻った。
次話、後日談です




