【47】下宿屋のおばちゃん⑬/⑭
う……くらくらする……
目を開ける。天井か壁かわからん……
ここは……うちの部屋や……あれ……なんやったっけ……
まあええわ、寝よ……
ゴロッと寝返りをうった。
目の前で女の子が寝ている。
「え!」
びっくりして上体を起こそうとして、くらっとしてまた倒れ込む。
女の子をまじまじと見る……
し、静子ちゃん? な、なに? なんで?
恐る恐る、肩あたりを指でつついてみる。
「し……静子ちゃん?」
静子ちゃんは体をモゾモゾさせて、目をゆっくり開けた。
「……千代子ちゃん」
はい
「千代子ちゃん! 大丈夫か! いけるか!」
静子ちゃんは起き上がり、うちの肩を両手で持って揺さぶる。
「……あ、あかん……目眩すんねん」
「あ! 堪忍……ほんま、心配したで」
静子ちゃんは立ち上がって言った。
「お粥さん作ったるからな、寝とき。あとは炊くだけや、材料適当に使ったでぇ」
ボーッとする……頭働かへん
……あかん、お手洗い行きたいわ
くらくらしながら起き上がる。その瞬間、前後左右がわからなくなって、ペタンと倒れる。
……あかん、したい思たらもう我慢できひん、頑張るんや、千代子!
必死で這いつくばって廊下まで出ることはできた。お手洗いが、遠い!
必死で這っていると、
「千代子ちゃん! 何やってんねん! 寝とかな!」
と言いながら静子ちゃんが駆け寄った。
「……ご不浄に」
「……あぁ。しゃあないな」
静子ちゃんがうちを支えてくれて立ち上がり、うちは空いてるほうの手を壁に当てて歩く。目が、回る! つらい!
お手洗いに着いたけど……ど、どないしよ、屈めへんわ!
「ほら、支えとくから、頑張り」
え……支えとく!?
「……む、無理や!」
「……恥ずかしがっとる場合か。自分のせいや。観念し」
うちは、何も言い返せんかった……
屈辱や……
済ませて、一旦廊下に座らされて、静子ちゃんは布巾を濡らして持ってきて、うちの手を拭いてくれる。
布団に横になって、ホッとした。
……うちは、ほんま何やってんねやろ
しばらく横になっていると、静子ちゃんがお粥を乗せたお盆を持ってきてくれた。うちは壁まで行って背中を預けて、静子ちゃんが口に運んでくれるお粥をひと口、食べた。
じわぁ、と、身体に染み渡る……おいしい……
涙が、ポロン、ポロン、と出てくる。
静子ちゃんは、黙って口に運んでくれる。うちは泣きながら、ゆっくり、ゆっくり、お粥を食べた。
「うち、まだここおるからな、しばらく寝とき」
静子ちゃんに言われて、大人しく従う。
……パチッと目が覚めた。
身体が軽い気がする。頭はまだボーッとするけど、目眩がなくなった。
部屋を見渡すと、静子ちゃんが窓の外をボーッと眺めていた。
「……静子ちゃん」
「……起きたか」
身体を起こそうとしたけど、まだ、しんどい
「無理しな、寝たままでええて」
「……堪忍」
横向きに寝転んだまま話す。
「うち……」
なんでこんなことになってるんか、よくわからへん。何から聞けば……
静子ちゃんがため息をつく。
「……あんたなぁ、あと一日遅かったら死んどったで」
「……え」
「うちの主治医を呼んできてな……ほんまにあと一日か知らんけどな。大変やったんやで、あー、もう、疲れたわ!」
「……堪忍」
静子ちゃんはうちの頭を支えて、畳んであった布団を下に入れて、少し上体を起こせるようにしてくれた。
「何があったんか……想像はつくけどな……」
うちは一瞬身体が強張って、無意識に机のほうに視線が向く。
視線を辿って、静子ちゃんも机のほうを見る。
そこには煤けたように黒ずんでいる小さな巾着袋が、ポツン、と置いてある。
うちは、目を逸らした。
静子ちゃんは、うちを見て、もう一度机のほうを見て、巾着袋を手に取る。
そしてそれを、うちに差し出した。
うちは、目を背けた。
違う! 違う!
静子ちゃんは、うちの手を取って、巾着袋を握らせた。
「千代子ちゃん……」
「違う! 帰ってくるんや!」
「……」
「帰ってくるんや……約束したんや……一緒に……幸せになる、て」
「……」
「……い、一緒に……うっうっ……うぇぇぇん……約束……うっうっ……」
「……うぅぅっ……ひっく……うぅぅぅ」
静子ちゃんはうちに抱きついてきて、泣いている。うちも静子ちゃんにしがみつく。
義雄さん……約束したやんか……帰ってきたら、一緒に寝る、て、一緒に、幸せになる、て……
しばらく泣いて、静子ちゃんを見る。
……なんで、静子ちゃんが一緒にいてくれるんやろ
「グスッ……静子ちゃんは、なんでここに?」
「……ふふっ。グスッ……今頃かいな」
「だって……」
静子ちゃんは体を起こして、遠くを見るような目で言った。
「……うちん人はな、2月に、同じ軍隊にいた、て言う人が戦死の報告にきてくれたんや」
「……え」
「いやぁ、もう、なんやろな……そん人な、泣きながら……自分だけが生き残ってすみません、て言うねんで。うちん人と同郷だったらしくてな、復員してすぐにうちに報告にきてくれたんやけど……そらもう、蚊の鳴くような声で……すみません、すみません、て」
言いながら、静子ちゃんの目からまた涙がポロンと出てくる。
「ま、うちはな、あんたらみたいに強く想い合ってた、て訳やないからな、死のうとまでは思わんかったけどな……それでも……ええ人やったんやで……うち、この人となら、幸せになれるわぁ、なんて、思てたんやけどなぁ」
「……静子ちゃん」
うち……自分だけが辛いと……
「堪忍やで……うっうっ……」
「ええねん! もう、うちは乗り切ったんや。それよりな、ここに来た理由や」
静子ちゃんは涙を拭ってうちを見た。
「この下宿屋、千代子ちゃんのお父さんを通しての紹介制やないの?」
「へ? そうやで?」
「ほな、なんでうちはダメなん?」
「へっ? ダメ?」
「実家のな、橘の名前でも断られたわ。なんで?」
「え? な、なにそれ!」
「……千代子ちゃんも知らんのかぁ」
……どういうこと?
「……え、静子ちゃんが、ここに!?」
「そこかいな。……そやねん。うち、1人で生きていくねん」
また……静子ちゃんはほんま唐突や
聞くと、静子ちゃんの戦死した旦那さんは次男で、義両親とは別で暮らしていたけど、家族がもう諦めていた長男さんが復員されたことで、静子ちゃんとの再婚話が上がっているらしい……そんなことあるんや……
「うち、絶対嫌や! うちはまだあん人のこと……それにな? 全くの他人ならまだしも、あん人のお兄ちゃんやなんて、無理や!」
「……そやけど、女が1人で生きていくやなんて」
「……わかっとる。それでも……戦争も終わったのに、うちらはまだ我慢せんとあかんの!?」
「……」
「それでな? あそこから離れたくて橘のお父さんに頼んだんや。千代子ちゃんとこの下宿屋に入られんか。それやのに……なんで?」
「え、わ、わからへん」
「今、誰も入ってへんのやろ? 部屋は空いとるのに……」
そう、確かに……いくらなんでも何ヶ月も1人も見つからんて、おかしいよな
「……うち、明日、聞いてくるわ」
「あかん。明日まではゆっくり休むんや」
「……はい」
晩御飯も静子ちゃんが作ってくれて、2人で食べる。
……誰かとご飯やなんて、久しぶりや、おおきに
次の日はかなり元気になって、座ったり立ったりできるようになった。
「だいぶ良くなったわ。ほんま、おおきに」
「かめへんよ。ただ、もう二度とごめんやからな」
「うん……」
「……話したくなったら、また話してな?」
「うん……へへ、おおきに」
「さて、千代子ちゃん、頭洗うで」
「へっ?」
「だいぶ洗てへんやろ」
「そやけど……そんな大量のお水、うち、出ぇへんで?」
「大丈夫や。汲んできたわ」
「えぇぇ!!」
ここら一帯は被害が酷くて水道がまともに出ない。あちこち滲み出てはいるけど、水道管が破れているらしく、水圧が足りないとかで、家の蛇口まで上がってこんのやて。
「水がまともに汲めるとこて……結構離れたとこの井戸しか……しかも、いつも人がいっぱい並んでて……」
「そや、大変やったで」
「……ほんま……なんて言ったらええか……」
「ええねん。うちもお水使うねんから。ほら、おいで」
静子ちゃんは色々と準備してくれていた。タライは少し高いところに置いて、うちが座ったままでも洗いやすくしたり、バケツに汲んだ水は陽の当たるところに置いて、少しでも温かくなるようにしていたり。
静子ちゃんは丁寧に洗ってくれた。
「ほら、さっぱりしたやろ」
ほんま……気持ちええ
「おおきに」
……別にお父さん通さんでも、このまま静子ちゃん下宿屋に住んでええんとちゃうかなぁ
でもどちらにしろ……義雄さんのことを、報告しないといけない
翌日、静子ちゃんと2人で高木家へ向かった。
「あらー、静子ちゃんやないの! ……良かった、元気そうで良かった、よう来てくれたなぁ」
「千代子ちゃんのお母さん、久しぶりです」
お父さんの仕事部屋に通されて、お父さんとお母さんに、まずは報告をした。
「義雄さんの戦死報告がありました」
2人とも言葉が出ない。多分うちの身を案じているんやろう……
「同じ部隊の人からの報告やったから、そのうち国からも正式に届くやろ。それよりな、聞きたいことあんねん」
お父さんが顔を上げる。
「うちの下宿屋に入りたいて、静子ちゃんのお父さん、橘さんから話があったと思うねんけど、なんで断ったん?」
お父さんは首をかしげ、
「そんな話は来てないが……」
と言った。
うちと静子ちゃんは顔を見合わせる。どういうこと?
静子ちゃんが口を開く。
「あの、ほんまに話来てへんのですか? うち、父にお願いしたんです。そしたら、貸せないと言われた、と……」
「……なんでそないな話になってるのか、私にはわからんが、静子さんなら、私は構わない。ただ、お父さんとしっかり話をしてきなさい。お父さんが良しとしないのなら、貸すことは難しい」
「……わかりました。父と話してみます」
うちはお父さんに聞く。
「それとな、こんな何ヶ月も、ほんまに誰も借りたいて言う人おらんの?」
「そうや。あそこは……被害が酷いからやと思う。水もまともに出んからな」
「そんな……」
「それとな、千代子」
そう言いながら、お母さんと目配せする。……え、なんなん?
「……義雄くんから、万が一自分が戦死したときは、手紙を渡してほしい、と言われ、預かっている」
え……手紙?
お父さんは机の方に行き、引き出しから手紙を取り出し、うちに渡した。
「……ここで読んでもええし、気持ちが落ち着いてからでもええ」
義雄さんから、うちに手紙……なんで
うちは、なぜか怖いと思った。
手紙を握ったまま動けないでいると、うちの手を、そっと静子ちゃんが両手で包んだ。
「……千代子ちゃん、うちがおるで」
「……うん。そやな。静子ちゃん、うちの部屋で一緒に読んでくれる?」
「もちろんや」
うちは静子ちゃんを連れて自分の部屋に行く。
……読むのが怖い。でも読みたい
複雑な気持ちで、縋るように静子ちゃんを見ると、静子ちゃんは「大丈夫や」と頷いてくれる。
2人で並んで畳に座り、手紙を開いた。




