【44】下宿屋のおばちゃん⑩/⑭
4時間程で目が覚めた。しばらく寝転がったままぼんやりとしてると、せっちゃんとトキちゃんも起きて、3人で話し合う。
「いつまで水がダメなんか、わからへん。実家も無事かわからんけど、一応、持てるだけの食料は持ってこうか」
「そやね、実家まで40分て言うてたよね。あんまり大量には持っていけんけど、みんなで少しずつ持とう」
「頭巾と最低限の着替えもいるな」
準備のために部屋を出ようとしたら、廊下に紙が置いてあった。
「えっ、……手紙!?」
「……どうしたん?」
せっちゃんとトキちゃんが覗き込む。
「……え」
それは、お母さんからの置き手紙だった。
家も2人も無事だということ。探しにきたけど、3人とも無事で、寝ていたから起こさずに帰るということ。下宿屋の水道が止まっているようだから、家に3人で来るように、ということ。
……お母さんが来てくれたんや! 無事やったんや!
「千代子さん! 良かったなぁ! 無事やったんや!」
「ほんま……良かったなぁ……グスッ」
良かった……安心して、力が抜ける。
トキちゃんにつられてうちも泣きそうになるわ
予定通り、持っていくものを準備するため、台所へ向かった。すると、水につけていた洗濯物が、洗って干してあった。バケツの水ですすいでくれたんやな
「……千代子さんのお母さんが、やってくれはったんやね」
「そやなぁ、ほんま、ありがたいわ」
3人で準備して、念のため鍵をかけてから出かける。
実家まで、歩けば40分……まともに歩けるんやろか
外に出ると、辺りは焼け野原になっていた。
戻ってくるときは薄暗くてよくわからへんかったけど、ほんまに酷い
うちらは、黙々と歩く。
目印になる建物も少ないし、まともに歩けない道もある。近所の人がどこへ行ったのか、周りの人たちは何をしているのか、なんにもわからへん
ただ、方向だけは見失わんように、黙々と歩く。
煤だらけの町……明るくなって色んなものがはっきりと見える。防火水槽の周りに真っ黒の人が集まって倒れている。……あの炎の中、必死に水を求めて集まったんやろう
……なんて酷いことを
うちらの慣れ親しんだ町が、一夜にして焼け野原になってしもた
……2人とも、何を思っているのか、何も話さない。うちも、話さない……
瓦礫や倒れた電柱や、亡くなっている人を避けながら、歩く。
しばらく歩いていると、徐々に風景が変わっていく。
「……この辺、燃えてへん建物が多ない?」
「ほんまやね」
歩き続けていると、ほとんど被害のなさそうな景色に変わった。
「この辺は、無事やったんや」
「千代子さんの実家は、近いん?」
「うん、もうすぐや」
3人の足取りは軽くなる。
「……あそこや」
「……ほんま、無事や」
「……良かった……」
実家は、見慣れた姿のままやった。
うちらは、いつの間にか走り出していた。
「千代子!」
声のした方へ顔を上げると、2階からお父さんとお母さんが顔を出していた。
「お父さん! お母さん!」
玄関を開けて家に入ると、お父さんたちが階段を降りてきていた。
うちがお母さんに抱きつくと、さらにお父さんがまとめて抱きしめてきた。
お母さんたちは、夜明けと共に下宿屋へ向かったらしい。うちらの無事を確認して、台所で何か食べるものでも作ろうとしたら、水が出ないことに気づいたらしい。
そのあとは手紙を書いてから家に戻り、ご飯を作って待っていたそうや。
「ほんま、おおきに」
せっちゃんとトキちゃんも一緒にご飯を食べる。
「千代子、節子ちゃんとトキちゃんも、しばらくここにおったらええ。水の復旧がいつになるか、わからんからなぁ」
うちら3人は、うちの部屋で3人で寝泊まりさせてもらうことにした。
せっちゃんとトキちゃんは、職場がどうなっているか見に行くと言って出かけた。
うちは、お母さんと2人で石田屋がどうなっているか見に行くことにした。
2人の職場は無事やったようで、明日から出勤することになった。
石田屋は……残念ながら全焼していた。義雄さんの両親の姿はなかった。念のために、焼け残った柱に「チヨコ、ブジ」とだけ彫り残した。
実家での食べ物も豊富ではなかったが、どこからかお父さんが少しずつ食料を手に入れてきてくれた。
うちは毎日、下宿屋へ出向き、掃除をしたり水が復旧していないかを確認したりしていた。
ある日、義雄さんの両親が訪ねてきた。少し離れた親戚のお宅に身を寄せていたそうで、無事を知らせに来てくれた。
良かった、義雄さん、2人とも無事やったで
しばらくして、量は少ないけど水が出るようになったことを確認して、3人で下宿屋へ戻ることにした。
「わざわざ戻らんと、ここにおってええんやで?」
と、お母さんは言ってくれたけど、空き巣も心配やし戻ることにした。
「ほんま、おおきに。助かったわ」
うちらは3人で下宿屋へ戻った。
その頃には亡くなっていた人たちの姿はなく、焼け野原だけがそのままだった。
生きていくんや。闇市でもなんでも利用して、3人、しっかり食べて、生きていくんや。
空襲は何度もくる。あれ以来この辺りには攻撃がない。……ほとんど焼き尽くしたからやろか
それでも空襲が来れば避難しなければいけない。敵機の動きも冷静に見られるようになった。
毎日、3人で寝て、3人でご飯を食べる。仕事に行く2人を見送って、うちは下宿屋の仕事。食料の確保。
断水することも度々ある。
春が過ぎ、蒸し蒸しする季節が近づいてきた6月。
朝から空襲でまた避難や。……もう、何回避難すればいいんや。
ある日、2人は仕事に行っていて、うちは下宿屋に1人でいたお昼頃に、警報が鳴った。
うちは落ち着いて準備をして、少し離れた防空壕へ走る。また空襲や。
この周辺には攻撃がなかった。1時間以上は経っていたやろか、警報は解除された。今日はどこが攻撃されたんやろ、などと考えながら下宿屋に戻り、ラジオを聴きながら、みんなの分のほつれた服を縫い直したり、ちょこちょことした作業をこなす。
しばらくすると、突然玄関がガラガラッと開いた。
「千代子さん!」
え、トキちゃん?
「ど、どないしたん。まだ仕事中とちゃうん?」
「く……ハァハァ、空襲に、遭って……ハァハァ」
よく見ると、トキちゃんの服には赤黒い血のようなものがべっとりと付いている。そして顔にも、煤のような汚れが……
「トキちゃん! 怪我しとるんか!?」
うちはトキちゃんに駆け寄り、支えようとした。
「うちは何ともない! せっちゃんが!」
「……ど、どないしたん」
「だ、大丈夫! やと思うけど、病院に運ばれて」
トキちゃんが、ガクガクと震えだす。
「トキちゃん、しっかりし! せっちゃんの怪我の状態は? 病院はどこか、わかるん?」
「あ……怪我……あ、病院は、わかる!」
「……行けるか? トキちゃんは、ほんまに怪我してへんのか? ……これは?」
トキちゃんの服の血のようなものを指すと、トキちゃんは、ハッとして
「……せっちゃんの血や」
と答えた。
うちはすぐに出かける準備をして、トキちゃんと一緒に病院へ向かう。
せっちゃん……せっちゃん……
無事やんな? 病院に運ばれた……生きてるんや、大丈夫や!
病院まで、結構歩いた。空襲に遭って下宿屋まで来たトキちゃんは、かなり疲れたやろう。
息を切らしながら中に入ると……酷い状態やった。
床一面に寝かせられた患者たち
忙しそうに動き回っている救護の人たち……
この中に、せっちゃんがおるの?
トキちゃんと顔を見合わせて、一緒に1人1人確認して回る。
呻き声があちこちから聞こえる。目を背けたくなるような状態の人もいる……
トキちゃんと2人で、ピタ、と止まる。
「……この男の人、亡くなってるんとちゃう?」
「……」
「……」
せっちゃん、せっちゃんどこや
何人も何人も見て回る。
「……せっちゃん」
「……」
そこには、青白い顔で目を瞑り、横たわるせっちゃんがいた。
お腹の辺りに何かが刺さったまま、血だらけで、ピクリとも動かないせっちゃん。
うちらは、座り込んで呼びかける
「せっちゃん?」
「せっちゃん、来たで」
「……」
嘘や、嘘や!
「誰か! せっちゃんが! せっちゃんのこと、診たって!」
バタバタと動き回る人たちに大声で叫ぶ。
「誰か!」
看護の女の人が気づいて来てくれた。
「……ご家族のかたですか?」
「うちが預かってます! せっちゃんを! せっちゃんを診てください!」
女の人は、首を横に振り、
「……残念ですが……この方はすでに……」
「嘘やぁ! せっちゃん! せっちゃん!」
「せっちゃーん! うわぁぁぁぁ……」
うちらは、しばらくそこを動けんかった。
放心状態だったみたいで、看護の人に肩を叩かれて見上げると、せっちゃんの名前や年齢などを聞かれた。
「……せっちゃんは、今は18歳。10月で19歳になります」
他にも色々と聞かれ、あとは、手続きがどうとか、会社がどうとか、家族がどうとか、そんな話をされて、うちらにできることは、何にもないみたいやった。
うちらは、ただ、帰るしかなかった。
帰り道は、うちらは無言で、ただ歩き続けた。
いつも通りに質素なご飯を作り、味のしない食事を終え、身体を拭き、防空服装に着替えて、布団を敷いて、寝た。




