【37】下宿屋のおばちゃん③/⑭
~1943年~
うちはもうすぐ15歳になる
相変わらず仕事部屋には入れてもらわれへん。
義雄さんとの距離は相変わらずで、稀にすれ違う程度。そやけど、前と違い少しだけ笑顔でお辞儀をしてくれるようになった。あぁ……素敵な笑顔
女学校は、なんや最近は勤労奉仕が増えてきて、農作業だけやのうて、担架講習やら身体の鍛錬やら、お国のためにやることがどんどん増えてきた。
花嫁修行より、こっちのほうがよっぽど役に立つわ!
「なぁ、千代子ちゃん、あの話聞いた?」
すごく真剣な顔をして静子ちゃんが聞いてきた
「あの話?」
「他所の女学校やけどな? なんや工場に行かされてるらしいで」
「工場? 工場って……何するん?」
「勉強やのうて、働くんやて」
働く!?
「ええやん!」
「千代子ちゃん……」
「うちは働きたいわ!」
「はぁ……そんなん言うの女学校で千代子ちゃんくらいやで」
そうなん?
「……うちの妹な? 身体弱いやん?」
「ああ、澄子ちゃん」
「最近、学校でも身体使うことも増えたし、とても工場で働くなんて無理やから、退学したんよ」
「え! そうなん!?」
「それでな……」
いつもはっきりものを言う静子ちゃんが、言い淀む。
「まだ、わからへんのやけど、うちも……」
「え?」
「……ううん。なんでもない」
「え? なに? どしたん?」
「いや、まだ決定したわけやないねん。……親が心配してな? もしかしたら、もしかしたらやで? うちも学校辞めることになるかもしれん」
えー!?
「……なんなん、それ」
「いやほんま、そんな話が出てるってだけや」
なんや、よくわからへんわ
よくわからへんのは家のほうも同じや
食べられるもんが昔に比べて減ってきている
甘いお菓子もたまにしか食べられない
お父さんもや。余裕がなさそうに、難しい顔をしたりため息をついたり……仕事部屋に長時間籠っていたり……
うちが心配すると、
「千代子は何も心配せんでええ」
としか言わへんのや
そんな日々が続き、秋になってもうちの学校はまだ学徒動員がない。早く堂々と働きたいのに
女学校からの帰り道、商店街を抜けた先の小道に、焼き芋屋さんが屋台を引いているのが見えた。
わぁ、久しぶりに食べたいわぁ
焼き芋屋さんのいる方へ、小走りで近づく
「おじちゃん、ひとつちょうだい」
「おおきに。ちょっと待ってやぁ」
おじちゃんがゴソゴソと準備しているうちに、うちもお財布を開けてお金を取り出そうとした、その時
突然後ろからおじちゃんが抱きついてきて、胸を揉まれた
ひ、ひぃー!!
なんやのこれ、なんやのー!
耳の横でおじちゃんの「ハァハァ」て声が聞こえる
いやや! いややー! 義雄さん!
うちは腰が抜けて地面に膝をつき、おじちゃんの手が一瞬緩んだのを見て、おじちゃんの手に思いっきり噛み付いた
おじちゃんが手を引っ込めた隙に逃げようとしたけど、腰が抜けて立てない……どうしよう、誰か!
「たっ、助けてー!」
叫ぶ!
「誰か助けてー!」
すると、何人かが、何事や、と寄ってきた。それを見ておじちゃんは屋台を放ったらかして走って逃げていった。
た、助かった……
「なんやなんや、どないしたん」
「なんや女の子が襲われたみたいやで」
「どこの子や」
「なにがあったん」
遠巻きに人が少しずつ集まってきた
……どうしよう、恥ずかしい! いやや!
すると突然頭から何かを被せられる
バサッ
……なに!?
「……立てるか? 行くで」
こ、この声……
腕をグッと抱えられて立たされ小走りで連れて行かれる
2~3分ほど走って、立ち止まり、頭の被り物を取られる。顔を上げると、心配そうに覗き込む義雄さんの顔……
「……うっうぅ、うぇぇぇん」
うちはその場で子供みたいに泣いてしまった
義雄さんはただ、そこに居てくれた。
……少し落ち着いたら、恥ずかしいやら腹立つわ
「……来るの遅いねん」
「はぁ!? どないやねん!」
「うち、心の中で呼んだんやで!」
「そんなん知らんわ」
「うち……うち……」
「……大丈夫、やったんか?」
「あのおっさん! ほんま! 腹立つわ!」
「そやな」
「でもな! うちもタダで済まさへんで! 思いっきり噛み付いてやったわ!」
「ぷっ」
……笑った?
「酷い! うち、めちゃめちゃ怖かってんで!」
「ああ、堪忍」
「……」
「……」
「義雄さん……おおきに」
義雄さんが優しく見つめ、手をうちの頭の方へ向けた
……あ、また、頭にぽんぽんってしてくれるん?
だけど、手はピタッと止まり、下げられた
……あれ? ちゃうかった
首をかしげていると、義雄さんは目を逸らし、ポソッと「送るわ」と言った。
帰り道は、お説教やった。
「男ってのはな、」とか「人通りの少ないとこは、」とか「自分の身は自分で、」とか……もぉ! しつこいわ!
今日は、家の前まで送ってくれた。
去り際にもお小言、
「しっかりしぃや」
なんなん! もぉ!
……また、距離が縮まったな、へへ
◆
1944年1月
静子ちゃんが唐突に言った
「うち、結婚すんねん」
は?
「え、え、結婚!?」
「そや」
「な、え、えええ!?」
「そろそろ……本格的に動いとかんとあかんみたいや」
「なんのこと? 全然わからへん!」
「……あんまり大っぴらに話せることやないけどな? 学徒動員もいつこの女学校が対象になるかわからんし、親がな、心配して……」
「心配って……お国のために働くのがそないにあかんことなん?」
「千代子ちゃんはほんま……」
「え?」
「はぁ……あんな? 普通の親は、自分の娘が戦争のために働くなんて嫌に決まっとるわ」
「そ! それは! あかん! 静子ちゃん、何言うてんの!?」
「……千代子ちゃんは親友やから話してるんや。わかってんねん、危険な思想や」
そうや、非国民や……
うちは言葉を失った
「うち、もう退学も決まったんや。退学だけやと安心できんから、親が決めてくれた人と結婚すんねん」
「……うち……そんなん許されへん。そんなん……非国民やで」
「……ほうか。ほな、うち、行くわ」
静子ちゃんは、うちに背を向けて帰っていった
……信じられない
しっかり者の静子ちゃんが、あないなこと言い出すやなんて
怒りなのか悲しみなのか、よくわからへん
そんな思いで帰宅しながら、ふと、思った
……まさか、うちの親も同じこと考えてへんやろうか
いても立ってもいられなくて小走りで家へ帰り、勢いよくドアを開ける
バンッ
「ハナ! お父さんとお母さんは!?」
「おかえりなさいませ、お嬢さま。お二人は……」
「どないしたんや千代子、嫁入り前の娘がそないに騒いで」
「お兄ちゃん! そないなことどうでもええねん! お父さんとお母さんは!?」
「……今度は、何を言い出すんや」
「う、うちは、そないに変なこと言うたことないわ! 確認したいことがあるだけや!」
ため息を吐くお兄ちゃんに連れられて仕事部屋へ向かう。
「お父さん、千代子が話があるそうです」
中を覗くと、お母さんもいる。2人で何の話してたん!?
「……ちょうど良かった。お父さんたちからも千代子に話がある。清、お前も一緒に聞きなさい」
「はい」
「その前にうちの話が先や」
「千代子! お行儀が悪いわ!」
「清、ええから。話してみなさい、千代子」
うちは、静子ちゃんの話をそのままぶつけた
「……静子ちゃんっていうのは……あぁ、橘さんとこのお嬢さんか」
「お父さん、まさか、うちにも同じこと考えてへんよね? うち、そんな非国民みたいなこと、絶対したくないで!」
お父さんもお母さんも俯いている
なんで!? なんで俯いてんのや!
「はぁ……その話をしようと思ってたんや。千代子、よく聞きなさい」
……嘘や、聞きたない
「……嫌や」
「千代子! お父さんの話を聞くんや!」
「嫌や! うちはお国のために働くんや! 動員逃れやなんて、絶対せんで!」
うちは立ち上がって踵を返す。
「千代子、待ちなさい」
お父さんが呼ぶけど、振り返らない
「千代子!」
腕を掴まれた、ふりほどこうと、お父さんの顔を見た
その瞬間
パン!
ほっぺたを叩かれた
え……嘘……
うちは叩かれた頬を押さえる
お父さんに、叩かれた……
涙がポロポロ零れる
お母さんが駆け寄って抱きしめてくれる
今まで、言うことを聞かないからと叩かれたことは、ない。
なんで?
泣きながらお父さんを睨む
お父さんは、苦しそうな顔をしている。
「……千代子、お前のためなんや」
「わからへん。うちは非国民になりたない」
「お前は非国民にはならへん。正式な家同士の縁談や。時期が早よなるだけや、非国民とちゃう」
非国民とちゃうの?
でも……
「……うちかて、働きたい」
「お前はなんもわかっとらん」
「……」
すると、ずっと黙って聞いていたお母さんが口を開いた。
「千代子、このご時世に働くんは、そらもう厳しいことなんやで。女だけが選択肢がないんとちゃう、男にも選択肢なんてないんや」
……あ、確か義雄さんもそんなことを言ってた
「人はみんなな? 支え合って生きてるんやで? それがそんなに嫌か?」
お母さん……
「千代子、お母さんは、千代子が嫌がる人生を歩んでるんやで? それはどう思ってんの?」
「ち、違う!」
そんなつもりや……
お母さんは、ふふっと笑う
「意地悪な質問したな、堪忍やで」
うちは、何も答えられず俯く
……うちは、何やってんのやろ
「千代子」
お父さんが何枚かの書類を見せてくれた。
「……すまんかった。千代子が不自由なく暮らせる相手を何件か候補にしとる。お父さんの取引先やでな、安心してええで」
……取引先?
書類をバッと見てみる
……違う、これも、これも、これも違う
「……石田屋さんは何で候補に入ってへんの」
「石田屋? ……あそこでは、家格が釣り合わへんわ」
「……うち、石田屋さんがええ」
「は?」
「石田屋の三男、義雄さんがええ。あの人やないなら、結婚せえへん」
目の端で、お兄ちゃんが頭を抱えた




