【35】下宿屋のおばちゃん①/⑭
千代子ちゃんやで
【35】以降、何話か、第二次世界大戦におけるエピソードがあります。あからさまな描写は避けていますが、苦手な方は、【下宿屋のおばちゃん編】を飛ばしてください。
この番外編の後、通常の本編へ戻ります。
今日もいつものルーティンを済ませ、みんなそれぞれ仕事へ向かう。
私は朝は時間にかなり余裕があるから、少しずつ料理を習おう、と決めていた
今日は魚の焼き方を教えてもらった
お味噌汁は、出汁を取るのが難しそうで気が進まない
「私、ほんま料理だけは苦手かもしれん」
「こんなもんはなぁ、慣れや。おばちゃんも最初の頃は失敗ばっかりやったでぇ」
「そんなもんなんかなぁ」
魚を焼くのだって、ただ焼くだけやろ、て思ってたけど、いざ自分が焼くとなると、どっちの面から? 何分ずつ? てかそもそも鮭以外は何の魚かもわからない
おばちゃんにひとつひとつ聞きながらやってみたけど、全然ピンとこない
「おばちゃんもなぁ、16で嫁に行くまで女中さんが全部やってくれてたからなぁ。ほんまに何も知らんかったで」
はい、ツッコミどころ満載です
「ちょっと待って、おばちゃん、16歳で結婚したん!?」
「そやで?」
いや、そんな普通の顔で
「女中さんて、なに? お手伝いさんがおったの? おばちゃん、何者?」
「何者ってあんた……いや、まあな、そこそこ裕福な家やったなぁ」
「おばちゃんがええとこの子ぉやんか!」
私は普通の家の子や!
「あはは、そやなぁ」
なるほど、裕福な家で16歳で結婚。……それって
「16歳で結婚ってことは、やっぱり、その、政略結婚なん?」
「あっはっは! そんな言葉知ってるんか」
ドラマとか漫画は勉強になるんだよ
「話すと長ごなるで?」
まだ時間はある、ドンと来い
「あれはな……」
◆◆◆◆◆ 千代子お嬢さま ◆◆◆◆◆
~1934年 春~ 【千代子6歳】
「お待ちください! お嬢さま!」
「ハナー! 早よ! こっちや!」
「危ないです! あきまへん!」
早よせんと可愛い蝶々が飛んでってまうわ
「こら! 千代子!」
「お兄ちゃん!」
「ハナが困ってるやろ? もう小学校に入学したんやから、少しは周りに合わせなあかんで!」
「……はぁい」
お兄ちゃんが頭を撫でてくれる
なんでもできてすごいんやで! 大好きや
「お客さん来てはるからな、いい子にしてるんやで」
お父さんのお仕事の人が来てはるんかぁ
庭の窓からお仕事のお部屋を覗いてみる
あー、見たことのあるおっちゃんやなぁ
あと3人は知らんなぁ。あれ? 1人はまだ子どもちゃう? お兄ちゃんと同じくらいやろか
なんで子どもがお仕事のお部屋におるんやろ……
うひひ……どんなお話してるんかこっそり聞きに行ったろ
ハナの目を盗んで勝手口から家の中に入り、お仕事のお部屋へ行く。扉をすこーしだけ、こーっそり開ける。
「……ほんまに今日はありがとうございました。いずれうちの仕事をやることになる息子たちも、ええ勉強になったと思います。今後とも何卒、石田屋の反物をよろしゅうおたのもうします」
んー? なに? お勉強? よくわからへんわ
顔が見えへんなぁ。ん〜、もうちょっと、もうちょっとだけ開けて……
「千代子お嬢さま! あきまへん! 旦那さまに叱られます!」
わぁ! 見つかってもうた!
ガチャ!
「千代子!」
お父さんが扉を開けて立っている
「すんまへん! 旦那さま」
「お父さん……」
「仕事の部屋はあかん言うてるやろ」
「だってぇ」
お父さんは、はぁ、と言ってうちに手を差し出してくれる。お父さんの手を握ると、中へ入れてくれた。
「長女の千代子や。千代子、挨拶しなさい」
はい!
「千代子です。よろしくお願いします」
そう言ってぺこりとする。
お客さんが慌ててこちらに来る
「高木社長のお嬢さんですか、こりゃ利発そうなお子さんや。よろしゅう」
りはつって、何やろ
おじさんの隣に並ぶ3人を見る
おじさんがその3人に、挨拶しなさい! と言っている
いちばん大きいお兄さんが「正雄です」
となりのお兄さんが「昭雄です」
お兄ちゃんと同じくらいの人が「義雄です」
と言った。
ふーん
「さ、千代子お嬢さま、行きますよ」
「はぁい」
なんにも面白くなかったわぁ
お庭で蝶々さがそ
「ハナ、お庭に行こ」
「はい」
お庭に行くと、お母さんがお花に水をあげている
「お母さん!」
走って行ってお母さんに抱きつく
「千代子」
そう言いながら頭を撫でてくれる。お母さん大好き!
玄関の方から声が聞こえてきた
あ、さっきの人たちが帰るんやな
おじさんがこっちに気づいて近づいてきて、お母さんと挨拶してる
他の3人は後ろに立ってる
お兄ちゃんと同じくらいのお兄さんは、子どもやのになんでお仕事のお部屋にいたんやろ
ええなぁ。うちも一緒にお話したいわぁ
じーっと見てたら目が合った
なんていうお名前やったかな……
ん? なんか、びっくりした顔してはる
キョロキョロして、どないしたんやろ
ん? ん? こっちにきたわ、なんやろ
パシッ
肩のへんを叩かれた
え? 叩かれた?
「なんしよんのや! 義雄!」
「え、いや、ちゃう……」
叩かれた……
「う、う、うわーん!!!」
「ほんま! すんまへん! 義雄! 謝らんかい!」
「ちゃ、ちゃうねん! 毛虫や! 毛虫が付いとったんや!」
「あらあら、ほんまや、ここ、毛虫が歩いてるわ。おおきに、義雄くん。ほら、千代子、お兄さんが助けてくれはったんよ」
グスッグスッ……助けてくれはったん?
お兄さんの顔を見たら、なんや口を尖らせて怒ってはるみたいやわ
「千代子、ありがとう、言わな」
「グスッグスッ……お兄さん、ありがとう」
「……べつに」
「こらっ! 義雄! なんやその態度は! ほんますんません、躾が行き届いてのうて」
……義雄お兄さんは、おっちゃんに怒られながら帰っていった。
うちが泣いてしもたから……堪忍やで
◆
小学校を卒業して、女学校に入学する歳になっても、仕事部屋へは入れてもらえへんかった。お兄ちゃんはしょっちゅう入ってるのに!
……石田屋の義雄さんもあの頃小学4年生で入れたのに……
後に聞くと、義雄さんはうちより4つ上で、お兄ちゃんの1つ下だった。
あれからもたまにうちに来てはったけど、話をすることはできず、あのときのことを謝ることもできひんかった。
朝ご飯を食べながら尋ねる
「なぁ、お母さん、なんでうちは仕事部屋に入ったらあかんの?」
「なんで、て……あんたたまに入ってるやない」
「それはお茶出すときだけやないの」
時々、ハナのお盆を奪って出している
「はぁ……千代子、あんたはな、いずれお嫁にいかなあかんのや。お仕事のことはな男の人に任せて、しっかり花嫁修行せなあかんの」
もー! それ何回も聞いたわ!
最近は、女学校で知り合った人たちと仲良くさせてもろとるけど、特に気が合うのは静子ちゃんや。
静子ちゃんは、意志の強そうな美人さんで性格もさっぱりしてて素敵な女性や
静子ちゃんには双子の妹がいて、そらもう儚げな美人さんで……澄子ちゃんは身体が弱いみたいで時々お休みしてはる。
顔はそっくりやけど、雰囲気は全く違う。
毎日、学校行くのが楽しみや
「静子ちゃん、聞いてや。うちもう嫌や」
「どないしたん」
「なんで女だけ花嫁修行やねん。うちも仕事部屋に入りたいわ」
「またその話かいな。女はな、家庭を守るという立派な仕事があるやないの」
「……ほんま静子ちゃんは良妻賢母の鏡やな」
「はぁ……みんなで、あんみつ食べたいなぁ」
うちの話、聞いてへんな
「はぁ……ほんまやなぁ。お砂糖、配給制になってしもたもんなぁ」
「日本が勝ったらいっぱい食べような?」
「ほんまや〜。楽しみやなぁ」
学校からの帰り道、みんなと別れて1人で歩く。
……ちょっと
ちょっとだけ、遠回りしてみよかな
べ、別に、他意はないねんで? ちょっと、たまにはな、違う風景を見たいだけや
誰に言い訳してるのかわからへんけど……
あ……見えてきた……石田屋さん
いや、別に、ただの通り道やからな。たまたま、見かけただけや。
見ないように、見ないように……チラッ
……人の姿は見えへんな
いや! 別に! ちゃうちゃう! なんとなく見てしもただけや!
なんや恥ずかしなって下を向いて早歩きで帰る。
……うち、何やっとるんや
あまりの恥ずかしさに、もう遠回りは二度とせん! と決めた。
そう決意した次の日、普通の帰り道でばったり会った。
義雄さん!?
ちょっと、待って、心の準備が!
千代子ちゃん、6歳→13歳




