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第三章 貨物船「綾鷹丸」Ⅱ

挿絵(By みてみん)

第三章 貨物船「綾鷹丸」Ⅱ


【四】


「綾鷹丸」という貨物船がある。

 このころ日本政府は、補助金を出すから老朽船を更新しよう、と呼びかけていた。

 これは造船業や船会社から好評を受けていた。


 これを見た海軍は、さらに踏みこんだ内容を思いつく。

 つまり海軍が補助金を出して、貨客船を建造させる。

 平時は民間会社が運航し、有事の際には海軍が徴用する。

 それを軍艦に改造して運用しよう、というものだ。

 政府と海軍が協力し、これを試行的に開始した。


 だが、民間船と軍艦では、要求される能力が大きく異なる。

 ひとつには、速力だ。

 軍艦が要求する速度では、貨客船には早すぎる。

 つまり燃費が悪くて、採算が取れない可能性があった。

 これに対して海軍は、海軍の仕事を委託することで、運用費の一部を負担しようとした。

 そうして建造され、就航したのが綾鷹丸という船だった。


  ◇ ◇ ◇


 アメリカに端を発した世界恐慌は、イギリスも無関係ではいられなかった。

 大英帝国は紅茶の国だ。

 その供給元であるインド、セイロン、あるいはジャワは茶葉価格の暴落を恐れて、価格協定を組んでいた。

 結果として、イギリスでは茶葉の価格が高騰していた。

 これを危惧したのがロンドンの工場主であり、資本家であり、大英帝国政府であった。


 この時期のイギリスにおける紅茶とは、ただの優雅な嗜好品ではない。

 低所得の労働者階級にとって、欠かせない燃料のようなものだった。

 彼らの食事は、油脂を塗っただけの冷たいパンだ。

 そこに紅茶が加わることで、貴重な温かい食事ができあがる。


 さらに砂糖と牛乳を山ほど入れることで、カロリー源としても機能する。

 カフェインと砂糖は、労働者の疲労を忘れさせる、一種の「薬」のようなものだった。

 そういう層には、お上品な繊細さは全く不要だった。

 とにかく安くて、味と色の濃い、労働者向けの紅茶を、ロンドンの市場は求めていた。


  ◇ ◇ ◇


 そのころ、日本の業界でも動きがあった。

 アメリカ向けの茶葉輸出が減少している。

 そこで、イギリスへ紅茶を売ってはどうか。そのように農林省と茶葉農家が模索していた。

 イギリスの紅茶商からは、とにかく安くて濃いものを、という要求があった。

 インドやセイロンとは違い、日本の紅茶は関税の対象だ。

 つまり関税分を吸収しつつ、さらに価格を下げねばならない。

 茶葉農家は誇りを堪えて、これに応えるべく農林省の力を借りた。


 農林省の担当者は、逓信省の知人へ相談した。そこで綾鷹丸の話を聞いた。

 いわく綾鷹丸は海軍の委託を請けて、軍需品の買い付けを行っている。

 往路には積むものがほとんどないので、ここに載せてもらったら船賃が抑えられるんじゃないか、ということだった。

 退庁後、商工省の友人と飲んでいると、発酵と乾燥も船上でやったらどうか、などと言ってきた。

 酔った勢いで無茶苦茶を言うやつだ、と思った。潮風に当てるのは論外だろう。


 酔っぱらいの戯言だと話半分に聞いていると――いや、これがなかなかいいかもしれない。

 船舶のボイラーは、大量の熱を発生させ、それを捨てている。

 この廃熱を発酵と乾燥に利用できないか。

 製造工程の一部を洋上で行うことで、移動時間を工程に組みこめる。

 また、製造施設の運営費や燃料費を大きく抑制できる。

 酔いつぶれた友人に礼を言って、その足で庁舎へ駆け戻った。勘定は忘れた。


  ◇ ◇ ◇


 翌日、農林省に鉄道省の技師が乗りこんできた。

 おもしろいことをやってるらしいな、うちの運搬箱を使ってみてくれ、ということらしい。

 このころ鉄道省は運搬箱と呼ぶ、鉄道コンテナの原型を開発し、普及に努めていた。

 一定規格の箱に荷物を詰めこむと、一度に大量の荷物を扱えるというものだ。


 当時は、ばら積みの荷物を人の手で積み下ろしするのが主流であり、この考えは画期的なものだった。

 だが日本の鉄道駅には、これに対応した施設が少なかった。

 また日本社会の自動車化が遅れていたことも、運搬箱の普及を阻害した。

 大八車で運ぶには、一トン規格の鉄箱はいささか重すぎたのだ。


 そのてん船舶輸送であれば、船自体に揚貨装置があることも多く、重量は問題になりにくい。

 さらに運搬箱自体が密閉できるため、完成品の紅茶を潮風や湿気から守れることも都合が良かった。

 なかば押し切られる形で、洋上運搬箱の活用が決定した。


  ◇ ◇ ◇


 この運搬箱に、今度は海軍が食いついてきた。

 日本を取り巻く国際情勢は、緊張の度合いを増している。

 そんななか綾鷹丸は、軍需品や戦略物資を密輸同然に買い付けていた。

 世界に名だたる帝国海軍が密輸の真似事とは、と嘆く声も大いにあった。

 だが嘆いているだけでは、軍縮下の海軍はその自重を支えられなかったのだ。


 そのてん、運搬箱であれば積み下ろしは一瞬で済むうえ、箱を封印すれば中を見られる心配もない。

 余談ながら、後世この洋上コンテナによる密輸が国際社会の問題になるのだが――とりあえず今は「密輸する側」の利点である。

 そして運搬箱は密閉できるため、防水防火にも便利が良かった。

 たとえば火薬は湿気ても困るが、靴鋲が火花を飛ばせば船ごと沈める恐れもある。

 綾鷹丸案件担当の補給士官は、すっかり運搬箱に惚れこんでしまった。


  ◇ ◇ ◇


 静岡県は茶葉の名産地である。

 その東部にある港に、綾鷹丸は停泊していた。

 摘んだ茶葉に風を当て、萎れさせることを萎凋と呼ぶ。

 また、その葉を強く揉んで酵素が出るように促すことを揉捻という。


 農林省の調べによると、茶葉を細かく刻むと色と味が濃くなるらしい。

 茶葉農家としては、茶葉を刻むなんて邪道だろうと反発した。

 だがすぐに、すでに邪道をひた走っているしな、と開き直って茶葉を刻むことにした。


 しかも茶葉を刻むなら、規格外の茶葉も入れられるので、さらに価格は下げられる。

 安さは正義、つまりこれは正義の行いなのだ。

 そのようにして刻んだ茶葉を、ドラム缶に詰めてやる。

 それらドラム缶が、運搬箱へと運びこまれる。

 その運搬箱が、今度は綾鷹丸の揚貨装置に吊るされる。

 次々と、整然と、その船腹に運搬箱が納められた。

 あとの作業は洋上で行うというわけだ。


 ボイラーの排気管を分岐させ、各運搬箱へ廃熱を送る。

 発酵段階では温度だけ、乾燥段階では熱風を出せるように、工事してある。

 排ガスが入れば台無しなので、そこは慎重さが求められた。

 こうすると、各運搬箱が作業場であり、発酵場となる。

 湿度と温度の管理は手間だが、これを長めにとって深く発酵してやる。

 すると赤黒くて濃い色の茶が出るようになり、牛乳に負けない「重い」味が出るようになる。


 また、茶葉自体も夏摘みの二番茶、三番茶を使っている。

 一番茶は高値で売れるが、二番茶以降は値が下がる。

 夏の強い日差しを浴びて、渋み成分が多く生成されるためだ。

 それはすなわち、ロンドンが求める「安くて強い」茶葉である。

 さらに仕上げとして、高めの温度で乾燥させる。もはや焙煎に近い。

 焙じ茶になる一歩手前で、「ミカサ・ティー」が完成する。


  ◇ ◇ ◇


「ミカサ・ティー」というのは、この省庁横断企画による紅茶の製品名である。

 もちろんミカサは戦艦「三笠」に由来している。

 日露戦役においてバルチック艦隊を打ち破った、連合艦隊の旗艦である。

 そして、イギリス・ヴィッカース社の傑作戦艦だ。

 今や関係が悪化しつつある日英の関係だが、戦艦三笠は両国が蜜月関係にあったときの象徴だった。


 本件担当の補給士官が、蕎麦屋へ入ったときのことだ。

 なにかの拍子に、おやじと紅茶の話になった。

 おやじは、イギリスが相手なら三笠でも描いときゃ喜ぶんじゃねえか、と雑なことを言った。

 海軍士官として、三笠の安売りには抵抗があったが、これが売れて綾鷹丸が成功することは、日本海軍の未来になると心を決めた。

 出世の打算も少しあった。

 そして、それを実行した。


  ◇ ◇ ◇


 また、鉄道省の技師も綾鷹丸に乗りこんでいた。

 運搬箱の試験や調整という名目だったが、小柄な割に剛健な身体で、いつも忙しそうに作業していた。

 その彼が、運搬箱内の温度湿度を調整していたときだった。

 これは洋上熟成だな、そう聞くとなんかうまそうに聞こえるじゃねえか。などと言って、がははと笑っていた。

 茶葉農家と農林省の担当者は、顔を見合わせて、それだと大きな声を上げた。

 船上で発酵、乾燥しているから、「洋上熟成」という言葉に嘘はない。

 嘘はないが、それが想像させる映像は、ボイラーの廃熱で発酵乾燥させるものではないはずで、その意味では詐欺のような謳い文句だった。


  ◇ ◇ ◇


 極めつけは、イギリスの港湾当局が密輸を黙認したことだった。

 もちろん「袖の下」は求められたが、関税の半額程度だった。

 その対応から察するに、担当者の小遣い稼ぎという次元ではなく、「かなり上のほう」からの方針に見えた。

 それほどまでにロンドンは、安い紅茶を求めていたのだ。

 これまで関税分を吸収するつもりで、一銭一厘を切り詰めてきた。

 これはうれしい誤算になった。


 そして「洋上熟成 ミカサ・ティー」はロンドンで爆売れした。

 あらゆる文物を輸入してきたイギリスだが、「船に揺られて熟成されたワインやビール」というのに弱かった。

 エキゾチックでエスニック、オリエンタルでコロニアルな浪漫を感じるのかもしれない。

 やっぱり紅茶は洋上熟成に限るぜ、というわけだ。


 想定していた労働者階級はもちろんのこと、海軍の水兵たちも好んでこれを飲んだ。

 下士官は隠れて飲んでいた。将校は安物と馬鹿にして飲まなかった。

 気になっていた者はいたようである。


 販売当初は、戦艦が描いてある安物の紅茶、という認知のされかただった。

 だが、相場よりかなり安いし、味も色も濃い。

 どろどろになるまで砂糖を入れても、紅茶の強い渋みがある。

 牛乳を入れても負けない赤黒さがあり、紅茶を飲んでいる感じがあった。

 その包装紙に、なにか戦艦が描いてある。よく見ると「MIKASA」とあった。

 ああ、あの「MIKASA」か。

 年嵩の者は見たことがあったし、年少の者も親戚家族が建造に関わったというのもいた。


 このようにしてミカサ・ティーは、ロンドンの労働者と工場を救い――日英緊張の「お茶を濁した」というわけだった。




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