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第三章 貨物船「綾鷹丸」Ⅰ

挿絵(By みてみん)

第三章 貨物船「綾鷹丸」Ⅰ


【一】


「今日も戦争やってんのかねえ」

「終わったって話がないから、やってるんでしょうね」


 護衛艦「アクィラ」の進水から――イタリアによるエチオピア進攻から、三月が経った。

 加藤航空隊の飛行場には、今も門がない。

 ただし、いくつかの小屋が増えていた。


 ひとつは司令部と執務室を兼ねたもので、要は加藤と伊東の仕事場だ。

 丸太の椅子に腰を預けて、鉛筆を回している。

 茶でも淹れるか。そうですね。


 呑気なことを言っていると、わあっと大きな歓声が上がった。

 増築された、別の小屋のほうからだ。

 そっちは飛行機の整備場である。

 屋根と壁があって、工具と部材を置けるようにしただけのものだが、整備班からは評判がいい。

 なんだなんだと覗いてみると、ぴかぴかの飛行機が組み上がっている。


「ついに完成か、ベルティくん。おめでとう」

「加藤司令、ありがとうございます!」


 加藤はあいかわらず、司令と呼ばれると絶妙に厭な顔をする。

 ベルティくんは、そんなことは気にしない。

 レッジャーネから出向してきた彼は、りっぱな整備班の一員だ。

 飛行機の勉強という会社の意向もあるが、それ以上に彼は熱心だった。

 戦争が始まって、レッジャーネも忙しそうだった。

 それでも彼は、会社と工場と航空隊を行き来しながら働いていた。


 加藤航空隊を「変なところ」と言っていたベルティくんだったが、彼も大概なやつだった。

 彼は分解結合が好きだった。

 分解結合というのは、小銃なんかを分解、整備したのち組み立てることだ。

 彼の場合は、それを飛行機でやっていた。もちろん、整備仕事の合間を縫って、である。

 そして、その部材をひとつひとつ確認し、すべて自社で製造できるよう複製していた。

 伊東は目の前の飛行機を見て、しみじみと思っていた。習うより慣れろっていうのは、世界共通なんだなあ。


 一方、フィアットのほうでは、なんか消耗部品の発注が減ったなあ、とは認識していた。

 認識していたが、理由は追及しなかった。

 そうというのも、マリーニ中佐の評判である。

 彼は部品ひとつとっても、これは高すぎるとか、ここは再生部品でいいなどと、神戸仕込みの価格交渉をする。

 なのでフィアットの営業担当は、加藤航空隊への訪問日になるとおなかが痛くなっていた。

 だから、その発注が減ったことは、むしろ喜ばしいこととして受け止められていたのだった。

 そして今、レッジャーネ製の部品だけでイチから組み上げた機体が完成したというわけだ。


「うちとしても助かっている。ありがとう」

「いや、ほんとに助かってますからね」


 加藤と伊東が口々に言う。


「まあ、ちゃんと動くか、飛ぶかどうかはこれからなので」


 ベルティくんが、はにかんで頭を掻いた。

 レッジャーネの航空部門は、技術研究や自社開発よりも技術獲得の段階にある。

 旧式機だが信頼性のあるCR.30を完全に複製することを、ひとつの目標にしていた。

 すでに加藤航空隊保有の全機は、ほぼレッジャーネ製の部品に入れ替わっている。

 それはすでにフィアットのCR.30と言えるかどうか、なにやら哲学の匂いがする二十機と一機である。

 しかし、と伊東は思う。

 わあわあと盛り上がる整備班と搭乗員たちを、少し遠巻きにして加藤に声をかけた。


「マリーニ中佐も忙しそうですし、われわれは大丈夫なんでしょうか」


 マリーニはイタリア海軍の軍人なので、戦争が始まれば忙しくなる。

 エチオピアに海はなく、海軍もまた存在しない。

 だからこの戦争は、陸軍が進攻し、空軍が支援する。

 海軍は主に運び屋をやる。

 ただしエチオピアを支援――というより、イタリアを警戒しているイギリスが、嫌がらせをしてくる危険があった。

 そして嫌がらせをさせれば、世界で最もうまくやるのがイギリスという国である。

 

「まあ大丈夫だろう。なんせ日本とエチオピアは戦争してないからな」

「そりゃあ、まあ、そうですが、それを許してもらえますかね」


 白人列強と有色人種の植民地という構図になると、日本はとたんに後者に肩入れしたくなるらしい。

 事実、日本とエチオピアの間には政略結婚の話もあったという。


 だが、加藤はそのあたりの“物語”をあまり信じていないようだ。

 有色人種の連帯というなら、なんで日本は清と戦争したんだ、ということらしく、あいかわらずわかるようでわからない理屈である。


 伊東としては、それはそれとして、エチオピアまでの距離が気になった。

 隣国二国を掌握しているとはいえ、エチオピアはスエズの向こうで海がない。

 するとスエズを越えて、植民地国に揚陸し、そこからようやくエチオピアだ。

 考えるだけでめまいがする。


 すると、マリーニの六二一トラックが勢いよく駆けこんできた。

 あいかわらずエンジンはやたら調子がいい。

 懸架装置はくたくたなので、不整地では簡単に宙を舞う。

 この航空隊では、飛行機よりもトラックのほうが「とんだ」回数が多いのだ。


 トラックから降りたマリーニが、加藤のもとへ歩いてくる。

 騒がしかった雰囲気が、一転して静かになった。

 今は戦時中で、その軍人の前で浮かれているのは良くなかろうという空気があった。

 当のマリーニは、いつもの調子と言えばそうだった。さすがに少し疲労の色は見えていたが。


「ばたばたしていて、すまないな」

「中佐、お久しぶりです。どうされました」


 わざわざここに来たということは、まあ、悪い知らせだろうとは予想がつく。

 問題は、どの程度かということだ。


「燃料がなくなる」


 まあまあの悪さである。


「われわれの配当があったのでは?」

「有事だからな、空軍に持っていかれたよ」


 空軍にしてみれば、貴重な航空燃料である。

 海軍に配当があるのが、そもそもおかしいという話なのだ。

 なぜならイタリア海軍に航空隊は存在しないのだから。


 イタリア軍において、飛行機は空軍以外が保有できない。

 だから書類上は日本海軍のものということにして、イタリア海軍が運用している、という脱法航空隊なのだ。

 法を盾にしている以上、法の建前には弱かった。


「まあ、仕方ないな」

「仕方ないな?」

「諦めるんですか?」


 加藤がそんなことを言うと思わなかったので、マリーニと伊東が驚いた顔をする。


「そんなわけない。中佐、トラックを出してください」

「構わんが、どこに行こうというんだね」

「善は急げというやつですよ」


 マリーニと伊東が困惑した顔を見合わせる。

 しびれを切らした加藤が、伊東に言った。


「おいおい、忘れたのか?」

「なにをですか」

「われわれには、打ち出の小槌があるだろう」



【二】


 第一水雷戦隊の司令部に、突然の来客があった。


「おい、南雲」

「中将。どうされました」


 南雲忠一少将も、もう慣れたものである。

「おい、南雲」などと言って司令部に入ってくるやつは、山本五十六中将くらいしかいない。

 書類から顔も上げずに返答した。


 山本は、そんなことには頓着しない。型に嵌まらないが、礼を失することは許さない。

 南雲はこの数か月の付き合いで、山本に敬意を持つようになっていた。

 信頼と言い換えてもいいかもしれない。

 そのせいなのかは知らないが、山本は南雲の態度に怒るようなことはない。


「あいつらだよ、あいつら」

「どれどれ」


 席に座ったままの南雲へ、山本が電報の紙片を突きだした。

 あいつらというのは、遣伊将校の加藤と伊東のことだろう。

 紙片を受けとる。駐伊大使館から送られてきたようだ。

 そもそも送り出しておいて、連絡手段は大使館経由しかないというのも大概ではある。

 紙片には、航空燃料がほしい、助けて山本中将、というようなことが書いてあった。


「わしのことを打ち出の小槌だと思っとるんじゃないだろうな」

「まあ、思っているでしょうね」


 扉を叩く音がする。南雲の従兵が、紅茶を持ってきた。

 山本が礼を言って盆を受けとる。

 今日は紅茶か、いいじゃないか。そう呟きながら、砂糖を何杯も入れている。

 紅茶だろうがなんだろうが、もはや砂糖を舐めたほうが早いんじゃないか。などと思いながら山本のようすを眺めていた。


「さすがに航空燃料なんか、どうにもならんぞ」


 色が着いているだけの砂糖汁を啜って、山本が言った。

 それを見て、南雲はなにかが繋がったような感覚を得た。


「……いや、なんとかなるかもしれませんよ」

「なんだと?」

「それです」


 南雲が、盆を指さした。

 さされた先を、山本が、じっと見る。

 一秒、二秒、三秒目で「……なるほど」と呻くように絞りだした。


「綾(・)鷹(・)丸(・)か。なんてこった」


 山本は両目を覆って、天井を仰いだ。

 言葉と裏腹に、その口元は嬉しそうだ。すごく嬉しそうだ。


「あいつら、持ってるな」



【三】


 エチオピア戦線において、イタリア陸軍の進攻は思うように進まなかった。

 進攻軍の総司令官は、エミーリオ・デ・ボーノ元帥である。

 ベニト・ムッソリーニ首相は、彼の慎重さが作戦遅滞の原因と見て、目付役を送りこんでいた。

 ピエトロ・バドリオ元帥である。


 だがバドリオは、遅滞の原因はボーノだけに帰するものではないと考えていた。

 一時帰国していたバドリオは、ヴェネツィア宮殿の冷厳な廊下でジュゼッペ・ヴァッレ空軍参謀総長を捕まえて、問いただしていた。


「空軍はなぜ出動しない?」

「空軍はエチオピア航空部隊を撃滅し、所定の任務を達成したためだ」

「陸軍としては航空偵察、および支援を要請しているが、これは空軍の任務ではないということか?」

「支援の要請は受けている」


 ヴァッレの発言は、はっきりしているくせに歯切れが悪い。

 だが、いらついてしまうと、ヴァッレのペースに呑みこまれる。

 ここは「慎重に」ならねばならない。


「受けているが、やりたくないということか」

「……やれないのだ」

「なに?」


 観念したように、ヴァッレが声色を落とした。


「撃墜された機はないが、飛行機は消耗を続けている。砂塵の濃いアフリカではなおさらだ。代替機どころか、部品の補給も追いついていない」

「海軍に船を出してもらえないのか」

「それだけじゃない。燃料もない」


 それだけじゃない、じゃないだろう。とバドリオは思う。

 海軍に頼りたくなくて民間船を出しているようだが、イギリスの臨検を受けて到着していないものも多いと聞く。

 ならばと自前で空輸しているらしいが、海運に比べて効率は天地の差がある。

 皮肉なことに、地のほうだ。


  ◇ ◇ ◇


 後年、このことは空軍の傲慢、怠慢として批判されることが多かった。

 しかし近年になり、おもしろい数字が算出された。

 日本の歴史愛好家の計算によると、イタリア三軍の航空燃料は、総量として十分あったということだ。

 問題は、加藤航空隊である。


 なにも加藤航空隊が空軍の配当を奪ったということではない。

 だが、もし加藤航空隊が存在しなければ、彼らが購入した燃料は、そのまま業者の在庫になっている。

 これが空軍にとって、「潜在的備蓄」として機能しただろう、というのだ。

 この「潜在的備蓄」があれば、空軍はこの戦争の期間を通して、燃料に悩まされることはなかった、というのがその論旨である。

 歴史に「もし」は存在しないが、加藤航空隊がイタリア三軍の燃料問題を表面化させた可能性はあるようだ。

 この研究の進展次第で、また新たな発見があるかもしれない。


  ◇ ◇ ◇


 それはそれとして、空軍は海軍が気に入らない。

 借りを作りたくないのだろうが、そんなことで支援されずに困るのは陸軍である。

 特にあの脱法航空隊、カトー・アヴィアツィオーネのことで、ずっと空軍は怒っている。

 ならばその名を出してやろう。


「燃料がないだと? 加藤航空隊は飛んでいるぞ?」

「あれはわが空軍でなければ、イタリア軍でもない」


 ヴァッレは吐き捨てるように言った。

 カトー・アヴィアツィオーネは、日本海軍の航空隊だという詭弁だが、ここに来てそれが逆に作用した。

 その理屈ならば、イタリア海軍に航空隊は存在しない。

 存在しない航空隊に燃料を配給する理由はない。

 有事なのだから戦略物資は必要なところに集めるべきだ。――そのように主張して、空軍は海軍の航空燃料を巻き上げていた。


 だが、それにもかかわらず、カトー・アヴィアツィオーネは飛んでいる。

 それがヴァッレには腹立たしく、バドリオにとっては光明に見えた。


「つまり、日本から補給を受けているというわけか」


 そしてボーノが更迭された。

 後任に就いたのは、バドリオである。




 ご高覧ありがとうございます。

 ついに動き出した加藤(脱法)航空隊ですが、燃料不足という問題に直面します。

 山本、南雲の語る「綾鷹丸」とはなにか。イタリア陸軍、そしてバドリオ元帥の思惑とは。

 国家戦略のうねりのなかで、加藤航空隊は――加藤司令はなにを決断して、なにをなすのか。

 彼らのたたかいにお付き合いいただければ幸甚です。


 なお、第三章は一日一回、十九時の更新となります。

 どうぞよろしくお願いします。

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